ミコって一体なんですか?
いよいよ妖怪じみた見た目の、けれど苦悶の表情すらものすごく美しい男性は、けほけほとさらに咳き込んでしまう。ゼン様に似てはいるけど、犬耳と尻尾は幻覚ではない。
はっと我にかえると、彼の体からは燐光のような、光の粒がほろほろと天に昇っていた。銀色の三角耳も、若草色の袴も、うっすらと輪郭が透けている。
な、なんだ? 何が起きているの……?
「おねがい! ととしゃんを助けて……っ」
「はわあああ?!」
駆け寄ってきたのは、泣いていたはずの小さな子どもだ。ゼン様の幼少期に激似! いや幼少期の立ち絵は公式で描かれていないが、わたしにはわかる、わかるぞ!
枯れそうな声で、真っ赤に腫らした目で、訴えてくる愛くるしい生き物。同じく犬耳と尻尾が生えている。
って、待て。待て待て待て。ととしゃん? とと?
「お、お父さん? なのですか?」
こくこくと頷く。肯定。えええええっ?!
混乱しながら少年にぐいと引っ張られるまま、ゼン様(仮)の目の前に膝をつく。ウッ致死量の美貌!
ぶんと首を横に振る。いや違うだろう、まずはこのひとを何とかしなければならない!
「大丈夫、じゃないですよね?! どうしましょう、えーとえーと」
「こほ……いい、もう時間がない」
「うーんと、とと、ともかくお水とか……?!」
「きみ」
「ハイッ!」
「勝手を承知で頼みたい。少しの間、この子を預かってくれないか」
「へ?」
小さな子どもはまた、父親であるらしい青年にしがみつく。ぐしょぐしょの顔面を、彼は袖で拭いてやっている。
「知り合いがくるまで数日かかる。彼女が来たら引き渡してくれ。あれは身なりは派手だし口うるさいが、霊力は確かだから」
「は? え?」
ととしゃ、と涙声が聞こえた。苦しそうに胸を掴むのと逆の手が、小さな頭を撫でる。
「モミジ、達者で暮らせ。愛している」
情報量に、とうとうわたしの脳が処理の限界を迎えた。パァン!
あああわからん、正直なーんにもわからん! この際もう妖怪でも幻覚でも何でもいい、が、推しを看取るなんて、そんなイベントは絶対に御免だ!
「だめですよこんな小さい子をのこして!」
「しかし俺はもう、」
「諦めるなーッ! 何でもします! えっと、そ、そう! 神様に祈ればなんとかなるって可能性もなくはないかもしれないし?! 何かできることはありませんか?!」
わたしが喚くと、はっとしたように彼は目を瞪った。そして何度か口を開閉させてから
「……一つだけ、ある」
と言った。
「助かる、方法」
「なんですか?!」
「きみが俺の『神子』になることだ」
「みこ? みこって、巫女さん?」
なんで? よくわからないけど!
「わたし、どうしたらいいですかっ?」
「だが、そうなればきみはもう、家には」
「そんなこと言ってる場合じゃないんでしょー?!」
脂汗を流す奴が他人の心配をしている場合かと問いたい、小一時間は問い詰めたい。お人好しにもほどがある。確かに、ゼン様にもそういう優しくて超絶人格者なところはあるけども!
それに……懸命に泣いている男の子の気持ちはどうなるのだ。
犬耳のイケメンはぐっと言葉に詰まったあと、まだ渋々といった様子で頷いた。
「……わかった」
くるりと虹彩が光った瞳は蜂蜜色。とても、きれい。よく見ると三角耳にはゴツい銀の輪っか、というかピアスらしきものをぶら下げていて、それもまたわたしのヘキだ。見目麗しい男が、いかつい装飾品をしてるのって、いいよね。いやいや違う、それは置いといて!
「きみ、名前は」
「アサギです! 清里、あさぎ!」
ぶつぶつと呪文のようなものを呟く。激しくなる雨音にかき消されて聞こえない。
「少し我慢してくれ」
ふっと顔が近づいてくる。後頭部に手がまわり、エー! いやだめですだめだって、推しはそういう対象じゃなくあくまで、あ、うわまつ毛なっが! チクショウもったいない、なぜわたしの眼球にはカメラ機能がついていないんだ!
コツ、と額を合わせられる。と、
「ぁあッつぅー?!」
手の甲を襲う、刺されたような痛みと、思い切りしっぺを食らった時のような熱さ。思わず悲鳴をあげて身を抱える。なにが起きた?!
ズキズキと痛む心臓を落ち着かせようと、何度も深呼吸をしてみる。雨といぐさの青い匂いと一緒に、鼻水をすする。
恐る恐る見た手の甲に傷はなく、花のような模様の、妙なドでかいアザができていた。閉じ開きをくり返す。よかった、動く。
「俺の……神子」
滲む視界に、大きな色白の手が入ってくる。透けてないし光ってない。しっかりと、質量と温度がある。それどころか、めちゃくちゃ色っぽい。
「痛むか」
「いえ、」
傷ひとつない指先が、まるで割れ物に触れるように痣をそっとさする。う、うあああ……
恥ずかしくなって顔を上げ、すぐに後悔した。な、なんだその汗に濡れたけしからん前髪は! 逮捕!
「ととしゃ」
小さな体躯を丸め、男の子は未だぐすぐすと鼻を鳴らしていたけど、どうやら泣き止んではくれたらしい。しゃくりあげる背を撫でる手つきは、とても優しかった。
「ぐすっ……も、いないいないしない?」
「うん」
「いたいの、なくなった?」
「うん」
いつの間にか、あれだけうるさかったはずの雨も止んでいる。外から射し込む光は明るく、まだ昼間だったんだと気づかされる。
きっと夢に決まっているのに、どっと疲れた気がする。ああ目覚めないと。もしくは帰らなきゃ、家に。
明るく透ける障子をぼんやりと眺めていたら、かさり、と大きな尻尾が畳を撫でた。本当にモッフモフで気持ち良さそうだなー。夢でもいいから触ってみたい。
「先ほどの雨はこの子の力。神として未熟なために、感情に引きずられて霊力を使ってしまうことがある。いつもは俺が封じているんだが……すまなかった」
神? れいりょく?
聞き間違いかと視線を戻すと、彼は微笑みも怪訝な顔もせず、ただただ不思議そうにわたしを見て首を傾げた。
「それで、きみ。いったい何処から来た?」