わたしの選択
昔から、これといった取り柄はなかった。
成績も運動神経も、良くはないが悪くもない。怒られないけど目立ちもしない。
ただ、何かを好きになった時の集中力はすごかったと我ながら思う。アニメや漫画、ゲームにのめり込んだ。バイト代でグッズを集めイベントへ参加し、果てには自分で本を作ったことも。
そんなわたしが出会った運命の推し、ゼン様。
この期に及んで気がついた。至極当然、当たり前。
エンジュはゼン様じゃない。見知らぬ世界の小さな里で、得体の知れないわたしを拾ってくれた、優しいひとりの神様だ。
***
もしかすると、泣きわめいて駄々をこねればよかったのだろうか。
でもわたしはそうしなかったし、エンジュももちろん何も言わなかった。あれ以来、話題にすら出さず、いたって普段通りの三日間が過ぎた。
夕刻に出る、とエンジュは言った。
「最後の景色が嵐ではな」
呟きにもわたしは返事をしなかった。ただモミジくんを騙すのがつらい。知れば天気は荒れるかもしれない。そう思えるのは、たぶん、幸せなことだ。
「おでかけすゆの?」
「うん。留守番を頼めるか?」
「ん!」
毬を手にして、モミジくんはしっかりとうなずいた。
「モミジ。火には近づかないこと、薪の山にもだ。庭より遠くへ出てはいけない。それと――」
「困ったら、守り紐を切ること!」
得意げに笑う顔が愛らしい。
「あのね? ととしゃんとあしゃぎは仲良しさせてあげないとだめだよって、へーはち兄しゃんが言ってたの」
ふふん、と。
「おれね、えらいからね、いってらっしゃいすゆの」
「ありがとう。帰りに甘いものを買ってきてやるからな」
ぽんと頭に手を置いたエンジュは、背負った風呂敷にわたしの洋服と荷物とを包んでいる。そんなこと知るはずもないモミジくんは、嬉しそうに笑った。
「あしゃぎも、いってらっしゃい?」
うん、と答えたつもりなのに、変な呻き声にしかならなかったのが悔しい。
***
「え……」
今は冬だ、間違いない。吐く息は白いし、雪も積もっている。
それなのに御神木は、まるで夏のように青々とした葉を広げていた。なんで? つい先日に見た景色と全然違う!
「まずは……神子の印を解こうか」
そう言ってエンジュは手をかざす。片手にあった花のアザが、一瞬で光の粒子となって消えた。
痛みはなかった。本当に何もない。……なんだ、それ。そのシステムに無性に腹が立った。こんな、あっさりと無かったことにされるなんて。
「体は、なんともないんですか?」
「うん。言っただろう、きみが来る前よりも調子が良いくらいだ」
「……」
彼は目を合わせることなく、懐から何かを取り出す。
「これを」
大きな手のひらにのった、ミサンガのような、緻密に編み込まれた小さな紐。色合いの異なる銀の糸が複雑に絡まり合っている。オオカミ姿のエンジュを思わせる、月光みたいにきれいな色だ。
「守り紐だよ。傍に居れば要らないと思っていたが」
大人しく受け取った。
守り紐。出てくる前にモミジくんが言っていた。それにシノノメ様が来た時にも、紐を切るのがどうとか?
「何かがあればこれを切るといい。たとえ故郷に駆けつけられなくとも、俺たちの祈りがきみを守るだろう」
そんな穏やかな顔をしたって無駄ですよって、どんなにか言ってやりたかった。知ってる、知ってるんだ。だって、力なく地面に垂れたもふもふ尻尾が、今日は全然動いてないじゃないか!
風呂敷包みを渡される。御神木の前に立ち尽くすわたしをじっと見て、それから彼は一歩下がると、再び片手をこちらへかざした。
オレンジ色のあたたかな輝きが辺りを包む。呼応するように、御神木からきらきらと光の粒が空へ上っていく。
「アサギ。きみは、きみの人生を生きてほしい」
引き留めてくれたら。喉元まで出かけた浅ましい願い。
だけど、望む一言は絶対に口にしてくれないのも知っている。この神様は本当に愛情深くて、真っ直ぐで、たまにトンチンカンで
「さようなら、俺の……ただひとりの神子」
――実はちょっとだけ、独りよがりだ。
「と、とりゃああああああッ!!」
体を包もうとする光から飛び出す。真っ白な地面に踏み出し、無我夢中で腕を伸ばす!
「な……?!」
「うおおおお!」
向こうにも大切なものはたくさんあるけど、家族はいないから。
目の前にある、男らしい手首を必死に掴んだ。せっかくもらった風呂敷を放り出す。礼儀? 知るか!
引き留めてもらおうだなんて、そんなのしゃらくさいと思った。面倒くさいカノジョかよ。自分の人生を生きろというなら、またしても誰かに振り回されるなんて、まっぴら御免だ!
「わたしがっ!」
散っていく光の中で、呆然とする顔を見上げる。ああもうチクショウいっそムカつく! やっぱり誰より、世界でいちばん美しい。カッコいいのも好きだけど、無防備な姿も推せちゃうね!
「自分の意思で! 残るんです!」
エンジュは呆然と立ち尽くしたまま、「む、無茶苦茶な……」と呟いた。いつもの穏やかな表情を崩せたという、レアショットへの喜びはでかい。こんなにカッコいいひとが存在していいんですか?!
推しに何かを望むだなんて、おこがましいにも程がある。だけど、わたしにはどうしても今、一つだけ欲しいものがあった。
ぐ! と目の前に拳を突き出すと、びくっと耳の毛が逆立った。
「痛いのは嫌ですけど! 我慢しますから!!」
後退りしかけた姿勢のまま、ついさっききれいになったばかりの手の甲をまじまじと見つめ。
優しい神様はしばらくしてから、「……今度は、逆の手にしようか?」と生真面目に首を傾げたのだった。
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