かかしゃん
なんだか最近モミジくんの様子が変だ。
「もう食べないのか?」
「ん。おなかいっぱい」
いまも食欲なく、皿の上のものをつつきまわしている。エンジュは微かに眉を下げたが、無理強いはしない。体調が悪いというわけではなさそうだけど……。
「ととしゃん。今日おしゃんぽすゆ?」
「日が暮れる前なら構わないが」
「あしゃぎと一緒に、ごしんぼく行く」
「またか? このまえ行ったばかりだろう」
「行くのっ」
なぜか、モミジくんはしょっちゅうあの御神木のところへ行きたがった。普段は聞き分けの良い子なのになぁ。
父親が首を縦に振らないとみるや、膨れっ面がこちらへ向けられる。
「ええっとぉ……」
わたしは目線でエンジュに助けを求めるしかない。いざ連れていってもモミジくんは黙って木を見上げているばかりで、特に楽しそうには見えないのも、わたし達を困らせる理由の一つだった。
「んむぅ……いいもん!」
誰も賛同してくれないと知ると、とうとうごちそうさまも言わずに席を立つ。モミジくんはそのまま、トタトタと出ていってしまった。
***
昼食後しばらく経って。廊下の拭き掃除をしていると、自室で作業していたはずのエンジュが声をかけてきた。
「アサギ。モミジを見なかったか」
「いえ、見てないですけど。どうかしましたか?」
「居なくなった」
「え?!」
思わず大声をあげて立ち上がる。ど、どど、どうしよう?!
「てっきり、きみのところだと思っていたが」
エンジュは落ち着き払った様子で、庭の方へと顔を向けた。すんすんと鼻を鳴らしたかと思えば「ふむ」と考え込んでしまう。
「し、ししし、心配じゃないんですか?! 早く探さなきゃ」
「里からは出ていないよ。匂いでわかる」
「さすが山犬様ですねぇ?!」
いやまあ、神様が言うならそうなのかもしれないけど!
「探してきてくれるか、アサギ。俺ではだめだ」
「へ?」
「あの子は何か、きみに伝えたいことがあるんだろう」
蜂蜜色の瞳が静かに瞬く。わたしに伝えたいこと……?
もしかしてまずいことでもしてしまったのだろうか。直近の己の言動を省みたけど、これといって思い当たる節はない。でもこういうのって本人は忘れている場合が多いし、もしも傷つけてしまっていたなら、どうフォローしたらいいのかな……
「外は冷える。持っていきなさい」
綿の詰まった羽織が二枚。そ、そうだよね。
堂々巡りの不安を振り払う。ともかく、モミジくんを見つけるのが先決だ。危ない目にあっていないといいけど。
***
「ぜえっ……はあっ……」
く、自分の体力を過信した……! 片や、若さ全開のオオカミさん。こちらは運動不足常習犯。御神木までの坂道を急いで登るものの、息が、苦しい……!
両膝に手をつき息を整え。上着を抱え直して顔を上げれば、西日に照らされた小さな三角耳が見えた。
「ぜえ、ぜえ……モッ、モミジくん!」
「……あしゃぎっ?」
予想に反して駆け足で寄ってきたモミジくんは、心配そうにわたしを覗き込んだ。冷えたのか、鼻の頭もほっぺもほんのり赤い。
「だいじょぶ? お背中とんとん、すゆ?」
「だ、だいじょぶ……。さ、寒くない? おうち、ぜえ、帰ろっ?」
なんとか笑顔をつくったつもりが、モミジくんはうつむいてしまう。げ、怖かった?!
「……おれだけ帰るの、ずるいもん」
耳も尻尾もへにょりと下がる。
「い、一緒だよ? わたしも一緒に」
「ちがう」
小さな拳がきゅっと握りしめられた。声がわずかに震える。
「あしゃぎをよんだの、おれなの」
「……え?」
わたしを、呼んだ?
じわりと涙が目を濡らす。
「おれが、かかしゃんが欲しいって、思ったからっ、それで、あしゃぎ、おうちに帰れなくなったの」
「……」
「だからねっ、だから、おれがおうちに帰してあげよ、と、おもって、ぇ」
『よんだ』って――そういうことか。
「そっか……それで御神木のところに通ってたんだね」
目を擦りながらコクコクとうなずく。また、もらい泣きしそうになる。
願いを叶える御神木。神様はなんだって聞いてくれる――聞いてあげられるはずだと、この子は信じているから。
この小さな神様は、ただお母さんに会いたかっただけ。
深呼吸をした。わたしがここへ来たのが本当にモミジくんの力でも、そうじゃなかったとしても、それは今さらもう重要なことじゃない。
「ごめんなさい、ひぐっ、ごめっ、なさい」
「謝らなくて大丈夫だよ」
大丈夫、大丈夫、とくり返して背中をとんとん。
自分のことで精一杯なのが当然だろうに、なんて優しい子なんだろうか。わたしのこともお父さんのこともちゃんと見てくれている。
「あしゃぎ、さみし……?」
「ううん。モミジくんとエンジュと家族になれて、本当に嬉しいんだよ。ふたりが居てくれるから、全然さみしくなんかない」
「おれのことっ、き、きらいになった?」
「まさか! ないない」
「お、おえが、つよくなゆから、ととしゃんも、あしゃぎも、まもゆからぁ……!」
「うん、楽しみにしてるね」
ぐりぐりと胸に顔を押しつけてくる。エンジュ似の銀髪が、夕陽の色に染まってきれいだった。そっか、そっか。モミジくんはきっと立派な神様になるね。
「……あのね」
「うん?」
「……かかしゃんって、呼んでも、い?」
胃袋がキュッとなる。なんだろう、わたしに子どもはいないからわからないけど、すごく温かい気持ち。
「うん。もちろん」
「…………かかしゃ」
小さな小さな声、少し見える頬は真っ赤。
すぐにまた、いっそう強く、額が押し付けられる。
「……や、やっぱり、あしゃぎにすゆ」
「ふふ。そうだね」
「んにゅ……」
うん、モミジくんのお母さんはひとりだけだ。きっと、それは大事に持つべき思い出だもの。
「おうちに帰ろ? エンジュも待ってるよ」
「ん。……ととしゃ、おこゆかな……?」
「大丈夫だと思うよ。もしそうなったら、わたしも一緒に怒られてあげる」
「んにゅ」
どちらからともなく手を繋いで、ふたりで一緒に家へと帰る。モミジくんがちょびっとだけ先導するように歩いてくれて、それが堪らなく可愛らしかった。