~ファイル11 ろくでなしを、ぶっ飛ばせ~
「あのぉー、すいやせぇん! ちょっと、これについて、教えてくだっさいよぉー?」
「ジーサン! ちょっとぉー、こっちも、このパン、説明してよぉー? こっちこいよぉ」
短パン姿にタンクトップのシャツを着た細身の男と、真っ黒に顔を塗り、目元と唇だけを真っ白に塗ったメイクの女が、那須白磯市ブースのパン屋にいる。
「あぁ、はいはい。いらっしゃい。えーと、すまんのー。どれのことかな?」
小柄なお爺さんが、ゆっくりと、その男と女の前に歩み出た。このパン屋の店主のようだ。
「えっとぉー、それだよ。なー、ちょっと、こっちのものを見て欲しいんすけどー?」
タンクトップの男は自分の髪を何度も手で直しながら、お爺さんの肩をぐいっと引いて、テントの横に連れ出した。
「へっへへ! ・・・・・・おい、やれ!」
「あいよ! すっとろいジジーだ! きゃははははははぁ! もらった!」
黒塗り顔の女は、男がお爺さんを外に連れ出した隙に、売上金の箱を持ち、一目散にその場から逃げていった。
「え? な、なんじゃ? ちょっと。おいー。その箱はぁ・・・・・・」
「へっへへ。ジジー! 気のせいだ・・・・・・よぉっ! うっるぁぁっ!」
・・・・・・ドグッ!
タンクトップの男は、お爺さんの腹へ、強烈なパンチを一発、叩き込んだ。
その一撃によって嗚咽し、お爺さんはその場で膝を着き、苦しそうにばたりと倒れてしまった。
周りの客も、何が起きたのかがわからない様子。時が止まったかのように呆然としていた。
数秒後、五月雨のように、「警備員は?」「救急車は?」「警察を!」といった声があがる。
男と女は、県庁の陰に停まっている黒い軽ワゴンに向かって、お金の入った箱をいくつか持って走っていった。別な店の売上金を、既に何箱か奪っていたようだ。
「へへへ! おい、やったじゃねーか。これ、どれもけっこう入ってんじゃんかよ!」
「全部で十万以上あるよ! きゃははは! ねぇ、あのジジーは? どーしたんだよ?」
「知んねーよ。腹ぶっとばしたら、その場に、ぶったおれやがったぜー。弱ぇーの!」
「きゃははははぁ! 十万ありゃ、ブスジマさんへの金、足りるよー。楽勝ーっ!」
・・・・・・シュンッ! キュンッ! バチィッ! バチイィッ!
建物の横から出てきた影が、男と女の持っていた箱を吹き飛ばした。
空中に浮いた箱は、数メートル後ろの植え込みに、ぼさりと落ちる。
「おい。あんたら・・・・・・。せっかくいい気分だったのに、よくもこの楽しいイベントを、ぶちこわしにしてくれたな! ろくでなしどもめ! あたし、許さないかんね!」
「(こ、小紅ちゃん・・・・・・。ぼ、ぼくも、小紅ちゃんを守らなきゃっ! 怖いけど)」
男と女の前に、紅茶のカップを持った小紅が立っていた。
一瞬で箱を蹴り飛ばし、その二人が逃げ去る道を塞いだのだ。
優太も小紅の隣で、膝を震わせながら相手に向かい合っていた。
がやがやがやがやがやがやがやがや ざわざわざわざわざわざわ
「トラブル! だめだ! カメラ止めて!」
「警察はまだ? 警備員さん、あっちに犯人逃げてったよ!」
ざわざわざわざわざわざわ がやがやがやがやがやがやがやがや
イベント会場は、野次馬も増えて大騒ぎ。
売上金の箱を奪われたことで、どのブースも店員やスタッフがピリピリしていた。
もう、イベントはしっちゃかめっちゃかになり、スケジュールが止まっていた。
先程、腹を殴られたお爺さんは、何とか意識を失わずにすんだようだ。
「はぁ、はぁ。ひどいことをする者が・・・・・・いるもんじゃ。哀しいのぉ」
「おじちゃん! しっかり! ・・・・・・いま、救急車も来るからね?」
「カレンちゃん。今日はもう、あがっていいよ! ・・・・・・そのパン屋さん、知り合い?」
「わたくしの、家のすぐ近くなんです・・・・・・。おじちゃんち、昔からよく知るお店なのー」
那須野町ブースのスタッフに、あの三島華蓮がいた。自分の居住地である、那須白磯市から出店しているお爺さんを必死に介抱している。
「すみません。おじちゃんをちょっとだけ、お願いします。・・・・・・犯人は、どこへ?」
「犯人と思われる男女は、県庁の裏手の方へ走っていったみたいだけど・・・・・・。あれ?」
「あそこにいる二人だ! でも、何か、様子が変だぞ?」
イベント会場のスタッフや関係者たちが、小紅たちの方へ目を向けた。
華蓮も一緒に、その方向へ視線を向ける。
「(わたくしのところからは、よく見えないけど・・・・・・。あの子は、いったい?)」
おでこに手を当て、眩しそうにする華蓮。逆光となったその先では、小紅が相手に詰め寄る。
「・・・・・・わたくし、ちょっと、お手洗いに行ってきますね?」
「あ、ああ。でも、危ないやつがいるみたいだから、気をつけて! カレンちゃん。お爺さんのことは、我々スタッフがしっかり見てるから。急いで行っておいで」
華蓮は、人混みをかき分け、その騒ぎの中から離れていった。
* * * * *
「おい、マンバ! せっかく奪った金の箱、どーすんだよ! 早く拾って、逃げようぜ!」
「わかってんだよ、カスミ! でも、このクソ女が邪魔だ! きゃははは。おい、てめー。アタイらが、誰だかわかってんだろぉなーっ? このクソ女の、ブスアマが!」
「・・・・・・汚い心と言葉で、あたしに話しかけんなよ。誰だかなんて、知るか。ろくでなしめ!」
黒塗り顔の女は、噴水のような髪をわさわさと揺らし、まるで目出し帽のようなメイク顔を歪めて小紅を睨みつける。
小紅は、そんなことを気にも留めず、さらに一歩、ずいっと踏み出る。
タンクトップの男と黒塗り顔の女は、二人揃って、果物ナイフをポケットから出した。
「こんにゃろぉーっ! 胸がでけぇだけのブス女め! 邪魔しやがって! 死ねーっ!」
「きゃはは。てめーが悪いんだ! 後悔しろーぉ? どうだ! ナイフだ! 怖ぇだろ?」
太陽の光を反射させた二つの刃が、きらりと振り上げられた。
・・・・・・ばしゃあっ!
「「 うおあっ? 」」
小紅はその瞬間、持っていた紅茶を、二人の顔に思いっきりぶちまけた。
「さっきから・・・・・・あたしのことブスだの何だの・・・・・・。失礼しちゃうな、この野郎っ!」
ギュッ グイィッ! バシイィィッ! ドガアッ! バシャァンッ!
二人が紅茶によって怯んだ隙に、一瞬で女の手首を捻り上げ、拳でナイフを打ち払う小紅。
そしてそのまま後ろ蹴りを見舞い、タンクトップの男を植え込みの中に吹っ飛ばした。
グルゥンッ! ギュアッ! ドダアァァンッ!
「う、うげふっ・・・・・・」
小紅は黒塗り顔の女の手首を両手で固めて思い切り引っ張り、足をかけて転がし、地面に腹ばいにさせた。
さらに間髪入れず、手刀で思い切り女の後頭部を打った。
ナイフを向けられてから、わずか三秒の出来事だった。
「て、てめー。ブス女め・・・・・・ケンカ慣れ・・・・・・してやが・・・・・・るな? (ぱたり)」
「人聞きの悪いこと言うなっての。あたしは、ケンカをしてるつもりは毛頭ないね!」
小紅は、涼しい顔をして黒塗り顔の女をあっという間に倒した。
何事もなかったかのような表情をして、あのお金の入った箱を茂みの中から拾う。
「こ、小紅ちゃんーっ。だいじ? あー、緊張したー・・・・・・。震えが止まらないやー」
「ごめんね、優太。せっかく優太が買ってくれた、あたしの紅茶が・・・・・・」
しょんぼりする、小紅。優太はその小紅の表情を見て、慌てて笑顔を作った。
「い、いいんだよ! また買いに行こう? ぼくが買った紅茶も、役に立ったんだしさ」
・・・・・・ガサリ ガササッ!
「て、てめぇぇーーーーーーーーっ・・・・・・」
その時、優太の背後から、小紅が蹴りで吹っ飛ばしたタンクトップの男が起き上がり、ナイフを向けて一気に襲いかかってきた。
優太は、咄嗟の出来事を理解しきれずに固まっている。
「え!」
「! 優太ぁっ! あぶないっ!」
・・・・・・ドゴォアッ! ズドォンッ!
「「 ・・・・・・え? 」」
男は短い白刃を優太の背中へ向けて突撃してきたが、真横から白い服と長い黒髪の人物が体当たりをして男を吹っ飛ばした。
「大丈夫でしたか? 危ないところだったね。こいつらなのね? おじちゃんを痛めつけ、イベントを台無しにしたのは!」
そこには、白いワンピース姿の三島華蓮がいた。男に向かって、腰を落として構えている。
「い、いってぇ! ・・・・・・てめぇ、さっきパン屋の呼び込みをしてた女じゃねーか!」
華蓮は男の言葉に一切耳を傾けず、小紅と優太の方をちらっと見た。
「あなたのさっきの動き、すごかったわね。もう大丈夫。このバカな人たちは、わたくしが、懲らしめちゃうから! 彼氏を守ってあげてねーっ?」
「(この子、どこかで・・・・・・。そうだ! この前テレビで見た、観光PR大使の子!)」
小紅は、優太をかばいながらも、じっと華蓮と目を合わせたままでいる。
「懲らしめちゃう・・・・・・って、相手はナイフ持ってんだ。危ないよ。あたしがやるから!」
「こうして、加わっちゃったんですもの。それに、あの男は、パン屋のおじちゃんを殴り、お金も、あちこちのお店のものを奪って逃げようとした。わたくし、許せないのよ!」
「だからってあんた、どうするつもり・・・・・・」
小紅と華蓮が話しているうちに、男は華蓮に対して襲いかかってきた。
「あ! あ、あぶない!」
優太が、思わず慌てて叫んだ。
フワッ! パンッ! ドォンッ! バチンッ! ズダアンッ! ベキョッ!
「う、うごはぁー・・・・・・(どしゃ)」
華蓮の掌は緩やかに動き、ナイフを持った男の手首を横から掴んだ。
そして、一気に腕を引き上げながら横向きに踏み込み、肘を突き出して体当たり。男のアバラ骨を一気に砕いた。
華蓮の技によって、その場で男は失神。糸の切れた人形のように地面に崩れ落ちた。
* * * * *
「ふぅ。・・・・・・バカな人たち。裡門頂肘は、この騒ぎを起こした罰よ。反省しなさい!」
鮮やかな、華蓮の技が一閃。優太が瞬きする間に、それは終わっていた。
男を一瞬で倒した華蓮の動きを見た小紅は、冷や汗を垂らしつつも顔は笑っていた。
「な、なんだ、今の技! ねぇ、あんた。テレビに出てたよね? 三島華蓮・・・・・・だっけ?」
「いかにも、わたくし、三島華蓮と申しますが・・・・・・」
「太極拳っぽいのをやってるって言ってたけど・・・・・・。いまの、なに?」
「こ、小紅ちゃん! もう、行こうよ。騒ぎも大きくなっちゃいそうだし!」
「こべに? ・・・・・・あなた、前に新聞に出てた、早乙女小紅って人かしら? わたくしのこと知ってるのね。とちのはテレビかな? あのスーパー女子高生って、あなたかぁ」
「スーパーじゃないけど、あたしは早乙女小紅だよ。あんたのことは以前、じーちゃんと茶の間でテレビ越しに見たよ。あんた、何の拳法を学んだの? 一つじゃなさそうね?」
小紅は、瞳を輝かせて、華蓮に一歩近寄る。
「さすが、確かな目ね。わたくし、三つの中国武術を学んだのよ。八極拳、白鶴拳、少林拳の三つ。これを、美容と健康、そして、護身のためにやってるんだよー」
「あんたの拳法は、体操的なものじゃないね。まさに、実戦用の武術って感じだったよ!」
ナイフ持ってる相手ですもの。『武』の字は、『矛』を『止』める意味合いらしいですし」
「にこやかで明るいアイドルみたいな感じとは裏腹に、凄まじい技使ってたね。優太を助けてくれて、ありがと。・・・・・・三つの中国拳法か。あたし、興味津々だなー」
「わたくしも、まさかこんなところで、スーパー女子高生の早乙女小紅に会えるなんて思ってもいなかった。あなたも、やるじゃない! ふふっ!」
「今度、何かの機会に、あたしもあんたの拳法、体験してみたいな! あ。小紅って呼んでいいよ、あたしのこと。また、どこかで、あんたに会いたいな!」
笑顔を見せる小紅に、華蓮も笑顔を返す。
「いいよっ! これ、わたくしの連絡先。携帯に入れといていいから。わたくしのことも、好きな呼び方で自由に呼んでよー。ねっ、小紅チャン?」
華蓮は小紅に、携帯電話の番号とメールアドレスが書かれた紙を渡した。
そして、すっと手を差し出す。小紅もにこっと笑って、華蓮とがっちり握手を交わした。
その様子を見ていた優太がふと振り向くと、遠くでは、黒い軽ワゴンが猛スピードで走り去っていった。
「カ、カレンちゃんー。そんなところにいたんだ! だ、だいじょうぶ?」
しばらくして、スタッフが数名、警備員や警察官と慌てて走ってきた。
「・・・・・・トイレから戻ってきたらね、この人たちが取り押さえてたの。すごかったよ!」
「そうでしたか! ご協力、感謝いたします!」
「え? ちょっと! いや、これはー・・・・・・」
スタッフや警察官たちに笑顔で話す華蓮は、右目の瞼でぱちりと小紅へ小さくウインク。
小紅と優太は顔を見合わせ、ちょっとしどろもどろな受け答え。
華蓮は、小紅に向かって小さくピースサインをし、スタッフと共に歩いていく。
「またねっ。小紅チャンと、彼氏クンっ! さようならーっ!」
「あ! まって、華蓮! あたしだけの手柄じゃないでしょーっ! あと、優太はまだ、彼氏じゃないんだってばーっ! おいーっ・・・・・・」
小紅の声が、庁舎に跳ね返ってこだまする。
華蓮はさっと手を挙げ、振り向くことなく、黒髪を靡かせながら、去っていった。
「(ふふっ。小紅チャンか。スポーツ空手じゃないのね。あれは、完全な実戦向きねー)」
華蓮は、帰りの車の中で、窓の外を見つめながら、くすっと笑う。
小紅と優太は、強盗傷害犯を取り押さえたお手柄高校生として、翌日の栃葉新聞に大きく取り上げられていた。学校でも、またいろいろと話題にされたようだ。
もちろん小紅が、源五郎からまた、たくさんの説教を受けたのは言うまでもなかった。
その記事を、美布町では苺が、那須白磯市では華蓮が眺めていた。
新聞を読んだ二人は、同時に「おつかれさまでしたっ」というショートメールを小紅へ送ってきた。
「苺も、華蓮も、あたしがどんな思いしてると思ってんだーっ! じーちゃんに怒られて、昨日はブスだの言われて、あたしは不機嫌なんだーっ! あー、もぉーっ!」
学校から帰ってきて、茶の間の長座布団にそのまま寝転び、ふて寝している小紅。
制服もくしゃくしゃのまま、うつぶせで突っ伏している。でも、なぜか、一人で怒りながらも、ちょこっとだけ頬を赤らめて嬉しそうにしていた。
それは、自分の活躍のせいか。それとも、他に何か、理由があるのだろうか。
仏壇には、三本のお線香が焚いてある。学校から帰ってきた小紅が、手を合わせてから焚いたものだ。灰がぱらりと、たまに落ちる。
淡く香る煙が、ゆらりふわりと、小紅の近くへたなびいていた。