野良魂
薄汚れたアパートの入り口で、佇んでいる、一人の、影。
向こうがわが透けている。
……あれは、野良魂だ。
この世に心残りがあって、天に昇ることができなかった、魂。
「……。」
「………。」
「…、……。」
「…?」
蟠りを残した出来事を、繰り返し……呟いている。
死してなおつぶやき続けるくらいならば、なぜ生前に呟いておかなかったのか。
この野良魂は…、呟くことができる環境にいた。
つぶやくことができるのに、呟かなかった。
つぶやいて行動することができたのに、動かなかった。
つぶやいて運命を変えることができたのに、変化を望まなかった。
つぶやく事すらできない環境にあった魂ならば、命が途切れた瞬間に解き放たれることもある。
やれたはずなのにという思いがあるせいで、囚われている。
自分の功績を称えない世間が悪いという考えがあるせいで、囚われている。
自信を持ちながら、結果を出さずに潰えてしまった命。
自身を持ちながら、周りに合わせて埋もれることを決めた命。
怨念になれない、ただの後悔の塊。
希薄になれない、ただの執着の塊。
悪魔が喜ぶほどの憎悪を持たず、天使が喜ぶほどの純粋を持たず。
神が情けをかけるほどの悲劇を持たず、鬼が怒りを持つほどの傲慢を持たず。
実に中途半端で、魅力のない、野良魂だ。
食ってもうまくない、魂。
生まれ変わってもうまくいかない、魂。
黒い部分を白に変えて、天にあげるか。
白い部分を黒く塗りつぶして、食らうか。
野良魂にそっと近づき、様子を見ながら、最善の手を探る。
話をさせてみる。
願いを言わせてみる。
夢を語らせてみる。
黒い部分は、なかなか薄くなっていかない。
話を肯定してみる。
願いを聞いてみる。
夢を叶えてみる。
黒い部分が、増えていく。
話を否定してみる。
願いを叩き潰してみる。
夢を笑い飛ばしてみる。
白い部分が、ぽつぽつとできていく。
何をしても、こちらの思惑に乗ってくれない。
中途半端にやる気があって、諦めがあって、納得をして、思い出したように文句をつぶやく。
……面倒な野良魂だ。
これ以上手をかけても、恐らく同じことの繰り返しになるに違いない。
俺はこんなものに囚われている。
俺はこんなものに弄ばれている。
俺はこんなものに揶揄われている。
たかが、ちっぽけな、野良魂だというのに。
この、憎悪の魔術師と言われた俺が…。
この、怒りを巻き起こす奇跡と噂される俺が。
この、絶望が尾を振り飛び込んでくると名高い俺が!
俺様の、手厚い施しを!!!
無駄に使いやがってええエエエエ!!!
・・・・・・ぱっくん!
目の前の、どっちつかずのぼんやりした野良魂。
……このまま食っても、味もそっけもないんでね。
ちょいととびきりの味の素を、トッピングしてやった。
自分お手製の、怒りってやつをさ。
相変わらず俺の怒りは…、活きが良くて熱があってピリリと刺激的だ。
……もうさ、味の素の販売でもしようかなって思ってるんだよな。
最近の野良魂のマズさときたらほんと地獄ニュースでも一面に載るくらいでさ。
絶対大ヒット間違いなしなんだよな……。
……。
……よし。
俺は、地獄に退職届けを出すことを決めて、闇にまぎれた。