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さめ君。その名前。



 さめ君は小さく身体を震わせて、眠りからさめた。



 目覚めたばかりの、ぼやけた視界に映った、田舎の商店街はすっかり暗くなっていた。月も照らしていない、真っ暗な道。でも、その視点の位置は、いつもの地面から見上げる高さじゃない。空き地を囲む、古いコンクリート顔を出す、タチアオイ(60cm〜2mの花)の淡い色の花の頭に、ちょうど当たるくらいの高さなんだ。


 さめ君にとっては、とても新鮮な景色だった。ほのかに雨の匂いがする寂れた商店街が、縦に横にゆっくり揺れながら流れていく。人の住むところというのは、意外に色味のないところで、まるで、さめ君の身体のように灰色だった。


 しばらくして、間隔の広く空けられた、民家の通りに入る。まだ高さの変わらない感覚で、身体がとっても大きくなってしまったように感じた。それで、さめ君はちちっ。と鳴いたんだ。


 ーーありゃ。ぼくはおおきくなっちゃったのかな。


 もちろんそんなわけはない。流れる景色に気を取られて気づかなかっただけで、実はもうこの時、さめ君は女の子の手の上で寝転んでいた。うとうと魔法の絨毯の上でくつろいでいたさめ君も、まわりを見渡して、ようやく気付く。


 振動をなるべく伝えないように、慎重に支えるあったかい手のひらが、さめ君にはふと、名残り惜しくも感じたけど、殺されないように逃げるため、本屋で出会ったばかりの女の子を睨みつけた。小さいけど、威嚇のつもりでね。


 少女も、手のひらの小さな野ねずみが起きたことに気が付いたのか、自分を見つめる視線とで交差する。その黒目がちな瞳が、大人しそうな前髪から覗いて、それからまぶたが薄く閉じ、きらり。と輝いて見えた。


 彼女が笑ったように、さめ君は感じた。


 ーーうわわ。たべられちゃう……!


 威嚇も上手くいかない。それに、お腹の減った身体で逃げる事はむずかしいと、いまさら、さめ君は思った。空腹で、上手く身体が動かないんだ。女の子の手のひらの魔法の絨毯が、二つに割れた。咄嗟に落ちてしまわないように、さめ君は左手の上にころん。と移動して、女の子の攻撃に備える。死ぬのは覚悟の上だった。最期に、木の実が食べれなかったことだけが、すごく残念に思えたみたいだけど。



 ーーねこだったら、ぱんちがくるっ!



 いよいよ少女の右手が、素早く動きだして、制服白いシャツの胸ポケットに向かって伸びた。指でそこを探るようにして、何かを取り出そうとする。猫とは違う動きだけど、野ねずみの可愛い眼光がそれを見逃さない。


 ーーいっしゅんで、どうぐをつかってころすきなんだ……


 さめ君はそんなことを思った。そして、見たこともない小さな道具が目の前に出てきた。さめ君の手のひらにも収まりそうな、白と黒い縞模様の、涙型の道具。きっとこれがぱんちしてきて、しんじゃう。というようなことを思ったけど、ほっぺにちょんと優しくぶつけられて、分かった。



 それはとても美味しそうな、ひまわりの種だったんだ。



 もう、お腹が空いたさめ君は、目の前の大きな人のことなんて、目に入らない。女の子の人差し指と親指に摘まれた木の実を、力いっぱい小さな手で引き抜いて、小さい口を大きく広げて、ぱくっと殻ごとほっぺに放り込む。


 ちょうど街灯に照らされ始めた、左手の、灰色と白の、木の実を頬張る野ねずみが、学生服の女の子には、鮫のように思えたんだ。折れ曲がった尻尾もちょうど背ビレみたいに“くの字”で背中にくっついている。この子は陸に迷った鮫なんだ。そんなことを思った。


 女の子は少し考え、それから手の平に向かって、ぼそっと、驚かせないように言う。


 『鮫みたいな色……』

 『よし……。今日からきみは、さめ君だね』


 ーーわたしは『みさき』だよ。よろしくね。と女の子は小さく付け加えた。けど、なんのことだからわからないさめ君は、少し甘くて、美味しい木の実を、幸せいっぱいに頬張って、きゅきゅ。と鳴く。夕方の書店の吹いていた湿っぽい潮風は、もう止んでいる。山から吹く少し涼しい風が、ぽつぽつ立ち並ぶ民家の合間を縫ってふんわり、さめ君のツートンカラーの毛並みを揺らした。



 白い家の小さな門がきーっと開く。

 みさきの長い黒髪が、夜の風に揺られて踊った。



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