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さめ君。みさきに出会う。



 ーーぼくはしんじゃうんだね


 薄らいだ意識の中で、さめ君はそんなことを思った。すでに辺りを赤く照らしていた夕陽は暮れて、海から運ばれたむしむしとする風が、アスファルトに横たわった小さな身体を撫でる。その身体はお腹から下顎にかけては真っ白だけど、背中は灰色っぽく、二色の毛並みがまるで鮫ようだ。


 油っぽく、くしゃくしゃに乱れた毛並みが弱った鼓動に合わせて、雲丹の棘のように開いては閉じ、少しづつその収縮が間延びして、もう先が長くなさそうだと、一目でわかるほどなんだ。折れ曲がって、背中にくっついた、背ビレのようなしっぽが、助けを求めるように頼りなくぴく。と震えた。


 さめ君はねずみだ。小さくて、まだこどもの野ねずみ。

 

 彼は山で育った。今、倒れている書店の前の寂れた歩道からも、そんなには離れてはいない。けど、飢えた身体では辿りつくのはもう厳しそうだ。さめ君は世に言うねずみらしくもなく、綺麗好きで、どんぐりとかそういうものが好きなねずみだった。さめ君はドブねずみみたいに図太くもないし、人間のおこぼれで生きていくのを特に嫌がったんだ。


 そもそも、山に帰ればいいだろ。と思うだろうけど、それはできない。さめ君は一人ぼっちで、山が怖いんだ。たくさんいた家族も、野良猫やらきつねに食べられてしまったし、巣穴には蛇が住んでもう帰れない。いまや、さめ君にとってのどかに生活するという事は人間と比べてもすごく難しいことなんだ。夜の山に吹きつけた風の寂しげな音や、葉の落ちた木の根っこに落ちる雨の雫が、家族を亡くしたあの日の事を思い出させてしまうから。



 ***



 さめ君は、逃げて逃げて、この寂れた海沿いの商店街に来た。木の実もなにもない場所だけど、さめ君は野ねずみとしてじゃなくて、死にたくて来たんだ。『人間はねずみを嫌うらしい』と生まれたばかりの時にお母さんにも聞いていたし、『見たこともない道具で一瞬で殺されてしまう』とも聞いていたから。すぐ死にたくて、だから人に会いに来た。


 でも、山と海に挟まれた商店街から、そこの書店にしのび込んで、初めて人を見た時、さめ君は殺されるとか死ぬのはいやだな。と思った。植物図鑑を開いた女の子の店員は、ピラっとページをめくって、どんぐりの種を見ていたんだ。この子も木の実が好きなんだ。とさめ君は思ったから。


 山からおりて、しばらく経っていたのもあり、図鑑の木の実を見て、不意にお腹が空いて、さめ君の身体がぴょんと跳ね、その開いた本目掛けて跳躍した。完全に無意識で反応してしまった身体を、思考が巡って思った。


 ーーやっちゃった! ぼくころされちゃう!


 ぱふ。とほこりっぽい分厚い植物図鑑に着地して、開かれたままの、木の実のページで、咄嗟に死んだふりをした。その本に飛びついた野ねずみを見て女の子も背筋が切れそうな勢いで驚いた。でも、さめ君の『これされちゃう予感』は外れることになった。



 「……野ねずみかな?」



 さめ君の薄く開いたまぶたの先には、すごく大きな生き物がいる。しばらく野ねずみは、怖くて、動けなかった。だけど様子が少し変だ。お母さんねずみからまるで遺言のように聞いた話が嘘のように静かで、まるで、女の子も怖がっているのではないか。というほどだったんだ。


 大きな物体が身体を動かして本を開いたまま、椅子の上に置いて、じーっと眺めている。どれくらい時間がたったか、さめ君にはわからなかったけど、それから女の子の人差し指が、痩せた白いお腹にふにっと触れた。


 きいきいっ


 擬死も保てないような緊張が、さめ君のちっちゃな舌と上顎から擦れるような音を出して、女の子に必死の精一杯の命乞いを伝えた。女の子はさめ君の言葉を聞いて、なんとなくその意味を理解したみたいだった。女の子が声をひそめて、そっと言う。



 「……お腹へったの?」



 女の子の言葉はさめ君にはわからない。でも優しい響きだと、不思議に安心した。さめ君は疲れていたから、そのままサラサラとしたページの上で眠ってしまったんだ。女の子は、いままでつまらないと思っていた椅子の上の植物図鑑が、まるで絵本のように、生き生きと踊ったように感じて、小さく笑った。



 梅雨が終わったばかりの、夏の夕方。



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