96 日置と小島
―――ここは日置のマンション。
小島は練習を終えた後、日置の部屋に訪れていた。
「彩ちゃん、チューハイ飲む?」
日置は冷蔵庫の前でそう訊いた。
「はい~飲みたいです」
小島はソファに座り、嬉しそうに答えた。
日置は、二人でいる時は、アルコールを飲むことを許していた。
「一本だけね」
日置はそう言いながら、缶とグラスを二つテーブルまで運んだ。
「あ、私、なんか作ります」
「いやいや、疲れてるんだからいいよ」
「おつまみがなかったら、なんか口淋しいでしょ」
小島は立ち上がって台所へ行った。
「簡単なものでいいよ」
「はーい」
小島は冷蔵庫を開けて、食材を探していた。
「あ・・こないだ買ったしいたけ、まだあるんですね」
「そうだっけ」
よし・・これで作ろう・・
そして小島はしいたけを千切りにして、アルミホイルに包み、そこへバターと醤油を加え、フライパンで蒸し焼きにした。
日置は、冷蔵庫と流し台をせっせと往復する小島を、目を細めて見ていた。
小島は「淡い初恋消えた日は~」と、森昌子のヒット曲である『せんせい』を口ずさんでいた。
彩ちゃん・・ほんとにかわいいな・・
「彩ちゃん」
「なんですか~」
小島は背を向けたまま、返事をした。
「ゆっくりでいいからね」
「はーい。お~さない~私が~胸焦がしぃ~」
小島は『せんせい』の続きを歌っていた。
そして料理は、あっという間に出来上がった。
小島はホイル包みを皿に乗せた。
「はいはい~出来ましたよ~」
小島はそう言いながら、テーブルに運んだ。
「おおっ、さすが彩ちゃん、仕事が早いね」
「あはは、仕事て」
「わあ~いい匂いだぁ」
日置は包みを開けて、鼻を近づけていた。
「じゃ、彩ちゃんもどうぞ」
日置はそう言って、缶チューハイを小島のグラスに注いだ。
そして二人はグラスをチンと鳴らし「乾杯」と言った。
「これ、美味しそうだね」
日置はチューハイを一口含んで、すぐに箸を持った。
「どうぞ」
「いただきます」
すると日置は、「美味しい!」と味に感激していた。
「そうですか~よかった」
「これ、また作ってね」
「はい、いつでも」
「彩ちゃんも食べて。ほら、あーん」
すると小島は「あーん」と言って、口を開けた。
「ね、美味しいでしょ」
「はい」
小島は嬉しそうに笑った。
「ああ、そういえば先生」
「なに?」
「文化祭、どうなりました?」
「それなんだよ・・ちょっと聞いてくれる?」
日置は箸を置いて、突然、不満げな言いぶりをした。
「どうしたんですか」
「僕さ、出ることは決めたんだけど、それが、なにをやると思う?」
「さあ・・なんですかね」
「愛と誠」
「えっ・・」
「僕、太賀誠やることになったの」
「え・・ええ・・ええええええ~~~!」
『愛と誠』が好きな小島は、当然、興味を示した。
「先生が、誠さんを!」
「そうなの。もう、気が滅入っちゃうよ」
「なんでですか!ええやないですかっ」
小島はテーブルをバンッと叩いた。
「ええ~・・」
日置はその様子に引いていた。
「文化祭、いつですか!」
「来週末の土曜日」
そこで日置は再び箸を手にして、しいたけを食べた。
「行きます、行きますっ!」
「嫌だよ。観に来ないで」
「いやあ~~絶対に行きます~~」
「きみ・・他人事だと思って」
そして日置はまた「あーん」と言って、小島の口に箸を持って行った。
小島はすぐに咀嚼して、飲み込んだ。
「それで、早乙女愛は、中川さんですよね!」
「さあ・・知らない」
「先生!」
「なんだよ」
「ここは、やり抜くべきですよ」
「えぇ・・」
「照れたら、観てる方が恥ずかしくなるもんです。だから全力で誠さんを演じてください」
「全力ねぇ・・」
小島は日置の気も知らず、「やった~やった~」と無責任に大喜びしていた。
「太賀誠ってどんな人なの?」
日置は『愛と誠』は知っているが、内容は詳しくは知らなかった。
「そりゃもう~愛お嬢さんを護るためなら、たとえ火の中水の中ですよ」
「ふーん」
「でもね、誠さんは、絶対に気持ちを見せないんです」
「そうなんだ」
「不良なんですけど、もう根性半端ないんです。たった一人で大勢に立ち向かう、そんな人です」
「ふーん」
「愛お嬢さんは、そんな誠さんを追いかけては突き放され、追いかけては突き放され。これの繰り返しです」
「かわいそうだね」
「そうなんです。かわいそうなんですけど、そこがとても健気で」
「そっか」
日置は全く興味を示さなかった。
「森上さん、その後、どうですか」
小島は日置に気を使って、話を変えた。
「うん、頑張ってるけど、以前の森上じゃないよ」
「そうですかぁ・・」
「前にも話したけど、僕はもう焦らないことに決めたから」
「そうですか」
「元々、抜群の素質はあるんだ。教えて行くうちに、きっと成長すると思うよ」
「早くそうなってほしいですね」
「それより、中川の頑張りがすごいんだよ」
「そうみたいですね」
「あの子は、根性がある。多少のことでは根をあげないんだ」
「頼もしいですね」
「体格もそうだけど、あの子の性格はカットマンにピッタリだよ」
「ですよね。カットマンは耐え忍ばないといけませんから」
「彩ちゃんもそうだよね」
「そうですよ。私はどれだけ先生に扱かれても耐え忍びました・・」
そこで小島は「ううっ」と言いながら、涙を拭く仕草をした。
「あはは」
日置は思わず笑った。
「いやっ、なんで笑うんですか」
「きみ、よく僕に反抗してたよね」
「してませんて」
「練習サボって帰ったこともあったし」
「あ・・あれは、しゃあなかったんです」
「でもきみは、いつも僕のことばかり心配してたよね」
「そら・・そうです・・」
「僕のことが好きだったんだもんね」
日置は、いたずらな笑みを浮かべた。
「またそれ言う」
「あはは」
「なんで笑うんですか」
「からかうと、彩ちゃん面白いんだもん」
「まあ~~、人が悪いですねぇ」
そこで小島は日置から箸を奪い、しいたけをパクパクと食べた。
「彩ちゃん、もうすぐ誕生日だよね」
小島の誕生日は、十月二十五日だった。
「やっと十九ですよ。早く二十歳になりたいです」
「じゃ、お祝いとして、ドライブに連れてってあげる」
「えっ!ほんまですか」
「うん」
「わあ~~めっちゃ嬉しいです~~」
「どこへ行きたいか、決めておいてね」
「はいっ!」
「ああっ!しいたけ、もうないじゃん」
日置はホイルを覗きこんで、ショックを受けていた。
「あはは~早い者勝ち~」
「この~彩ちゃんめー」
日置はそう言いながら、小島の体をくすぐった。
「きゃ~やめてください~」
小島は這いつくばりながら、日置から逃げた。
「僕から逃げようったってダメ」
日置はすぐに小島を掴まえた。
そして小島を仰向けにさせて、覆いかぶさった。
「どうしてダメかわかる?」
「わかりません」
「だって地球は丸いんだもん」
日置はフォーリーブスの『地球はひとつ』という楽曲の、セリフを引用した。
そして、どうだといわんばかりに「ドヤ顔」をした。
「え・・」
小島は唖然とした。
「彩ちゃん、知らないの?」
「知ってますけど・・」
「だったら、笑うでしょ」
そう、日置は冗談を言って笑わせようとしたのだ。
「なにが、おもろいんですか・・」
「え・・」
「先生、どいてください」
「え・・ああ・・」
そして日置は小島から離れた。
「ええですか、先生!」
小島は起き上がって座った。
「なっ・・なんだよ」
「冗談を言うならですね、捻りを入れんと。捻りを」
「捻り?」
「そのまま言うて、どないするんですか」
「だったら、どう言えばよかったの?」
「僕から逃げようったってダメ、は、まあええです」
「うん」
「その後ですよ」
「うん」
「せやかて、地球は丸おまっさかいな、です」
「それって捻ってるの?」
「先生が大阪弁で「かます」からええんですやん」
「かますって・・」
「意外性を突くんですよ」
「なるほどぉ・・」
「じゃ、最初から。ハイッ!スタート!」
「僕から逃げようったってダメ」
「どうして?」
「せやかて、地球は丸いどっさかいな」
「あ・・アレンジしましたね」
「っていうか、彩ちゃん、笑ってないし」
「落ちがわかってるのに、笑うはずがないでしょ」
「彩ちゃんは、ほんとにお笑いに厳しいんだから」
このように、他愛もないやり取りがしばらく続いたあと、小島はまた、しいたけのバター焼きを作ってあげたのだった。




