92 中川の人間性
―――この日の練習後。
日置と中川は、ラケットとシューズを購入するため、西藤の店へ向かっていた。
「先生よ」
中川は歩きながら声をかけた。
「なに?」
「森上さ、どうしたんだよ」
結局森上はこの日、全く感覚を取り戻せないまま、練習を終えていた。
「初日だったし、仕方がないよ」
「それにしたってよ、あいつ、すげーんだろ?」
「うん」
「なんか、落ち込んでたしよ」
「まあ、そうなるのも無理はないよ」
「大丈夫なのかねぇ」
「そこは、きみが励ましてやってよ」
日置はニッコリと微笑んだ。
「先生よ」
「なに?」
「その笑顔で、何人の女、泣かしてきたんでぇ」
「あはは」
「なに笑ってんだよ」
「きみって、ほんとに面白いね」
「っていうか、先生、独身なのかよ」
「うん」
「えええ~~!先生って、いつくなんだ?」
「今年で三十」
「ほーう、見えねぇな」
「そう?」
「二十代前半に見えるぜ」
すると日置は嬉しそうに笑った。
「彼女、いねぇのかよ」
「さあ」
「さあってことは、いるってことだな」
「きみ、そんなことはいいから」
「まあいいや。それより先生」
「なに?」
「後で、相談があるんだけど」
「それってなに?」
「後で言うよ」
「きみさ」
「なんだよ」
「僕、一応、教師なんだけど」
「へ?」
「教師に対する言葉遣い」
「あああ、忘れてた。わりぃっす」
「あはは、忘れてたって」
「いや、先生って、なんつーか、見た目は若いし、威張ってねぇし、つい忘れるんすよ」
「まあ、褒め言葉だと受け止めておくよ」
やがて二人は西藤の店に到着した。
ガラガラ・・
日置は扉を開けた。
「おお、慎吾」
西藤はカウンターで座っていた。
「おばあちゃん、久しぶりだね」
「こんばんは」
中川は、とりあえず「普通」に挨拶をした。
中川を見た西藤は、その美しさに唖然としていた。
そして「おい、慎吾」と、日置を手招きした。
「なに?」
日置は先に店へ入った。
「あの子・・誰やねん」
西藤は小声で囁いた。
「うちの部員だよ」
「ぶ・・部員・・あんな綺麗な子・・大丈夫なんか・・」
西藤は、小島のことを心配したのだ。
「大丈夫って?」
日置は、全く意味がわかってなかった。
「いや・・あんな女優みたいな子・・」
「先生、入ってもいいっすか!」
中川は入口でそう言った。
「うん、おいで」
日置は手招きをした。
そして西藤は、中川の話し方に、さらに仰天していた。
「どうも、初めまして。中川と申します」
中川は西藤の前に立ち、ペコッと頭を下げた。
「ああ・・初めまして。慎吾の祖母で西藤です」
「いやあ~先生から聞いてたんすよ!ばあちゃん、卓球の店やってるって」
「・・・」
「狭いっすね~~!」
「あんた・・関東の子か?」
「そうなんすよ!二学期になって転校してきたんす」
「そうなんや」
「もうね~父ちゃん、左遷されちまって。あはは」
西藤は、あっけらかんと話す中川に好感を持った。
「あんた、おもろい子やな」
「それっすよ、それ。先生もそう言うんすよ」
「で、慎吾。今日はなんや」
「中川さんのラケットとシューズを買いに来たの」
「そうか」
「中川さんはカットマンなの」
「よっしゃ、わかった」
そして西藤と日置は、ラケットを置いてある場所へ移動し、二人で選んでいた。
「それと、ラバーは裏と一枚ね」
「ほう、彩ちゃんと一緒やな」
「うん」
「彩ちゃんって、誰っすか」
中川が訊くと「足のサイズ、何センチ?」と日置は、話を逸らすように言った。
「23っす」
「彩ちゃんってな、慎吾の彼女や」
なんと西藤は、あっさりと暴露してしまった。
日置は、なにを言ってるんだ、という風に、西藤を睨んでいた。
「なぬっ!先生、やっぱり彼女、いるんじゃないすか」
「きみには関係ないよ」
「別に、悪いことしてるわけでもないんやから、ええがな」
「おばあちゃん・・」
日置は呆れていた。
「別に、ええがな、な?」
西藤は中川を見て言った。
「そうっすよ!」
「あのね、おばあちゃん」
「なんや」
「教師がプライベートなこと、生徒にペラペラと話すわけないでしょ」
「ほら、これやねん」
西藤は、また中川にそう言った。
「慎吾な、真面目すぎるんや」
「なるほど、そうっすよね」
「もう僕のことはいいから」
日置は強い口調で制した。
「先生、わりぃわりぃ」
「まったく・・」
「これ以上は訊かねぇっす」
「ところで慎吾」
西藤も日置の意を察し、話を変えた。
「なに?」
「部員は、結局、何人いてんねや」
「三人だよ」
「三人か・・」
「どうかしたの?」
「来年、どないすんねや」
西藤は、団体のインターハイ予選のことを言った。
「ああ・・」
日置もそのことだと理解した。
「今のままやったら、団体、出られへんで」
「うん、そうなんだよね」
「来年、部員が入ったとしても、戦力にはならへんで」
インターハイ予選は、五月にある。
新入部員が入ったとしても、単なる数合わせでしかなく、たったの二カ月弱で、勝てる選手を育てられようはずもないのだ。
「うん」
「せっかく森上さんいう、大物がいてんのに、人数が足りんで、みすみす逃すのはもったいないで」
「西藤さん、森上、知ってんすか!」
「知ってる、知ってる。試合も観たしな」
「おおっ、なんの試合っすか」
「一年生大会や」
「え・・それって、十二月にあるんじゃないんすか」
「森上さんが出たのは、シングルの一年生大会だよ」
日置が言った。
「ほーう、そうなんすね」
「十二月は無理や」
西藤は中川に言った。
「なんでですか」
「試合は、最低でも四人おらんとあかんねや」
「それ、知ってるっすよ」
「だから、そう言うこっちゃ」
「いや、ちょっと待ってくれ」
西藤と日置は、黙ったまま中川を見た。
「先生」
「なに?」
「相談ってのは、そのことなんだよ」
「え・・?」
「団体の一年生大会のことだ」
「だから、なんなの?」
「人数が足りねぇなら、部員を増やせばいいじゃねぇか」
「きみ、なに言ってるの」
日置は、500回素振りをやり熟す者など、どこにいるんだと言いたかった。
「あのさ、先生よ」
「なんだよ」
「せっかく森上が戻って来たんだぜ?あと一人いればいいんだろ」
「人数としてはね」
「だったら、増やそうぜ」
「きみ、僕の方針知ってるよね」
「ああ、知ってるさ。やる気のない者の入部は認めない。目標はインターハイ」
「知ってるなら、わかるでしょ」
「先生こそ、なに言ってんだよ」
「なんだよ」
「団体戦に出ることが大事なんじゃねぇのか」
「だから、それは――」
「あと一人は、「お飾り」でいいじゃねぇか」
「なに言ってるの」
「私さ、チビ助から説明受けたけどよ、一番から五番まであって、三試合先に勝てばいいんだよな?」
「そうだよ」
「ならさ、その「お飾り」を五番目に出せばいいじゃねぇか」
「きみ・・試合のオーダーを決めるのは、そんなに簡単じゃないんだよ。相手があってのオーダーなんだよ」
日置は、なにもわかっていない中川に、少々、辟易としていた。
「ちげーって。1+1は2だろ。それと同じでよ、先に三つ勝つ。すると五番は関係ねぇよな」
「だから――」
「先生よ」
「なんだよ」
「森上の復帰を泣いて喜んだんじゃねぇのか」
中川は、森上から「先生が泣いていた」と聞いていたのだ。
「だったらよ、あと一人増やして、試合に出ようぜ」
西藤は思った。
監督と選手、あるいは教師と生徒というのは、いわば主従関係にある。
監督から指示を受けると、的外れや理不尽なことでない限り、大概はそれに従うものだ。
けれども中川はどうだ。
試合やオーダーのなんたるかを知らなくとも、堂々と自分の意見を述べている。
しかも、話の中身は一理あるのだ。
この中川という子は、この先、きっと日置の支えなる選手に育つであろう、と。




