85 やる気満々の中川
小島は浅野との昼食を終えて桐花へ出向き、たった今、小屋に到着したところだった。
ガラガラ・・
小島は扉を開けた。
すると中には日置だけがいた。
「え・・彩ちゃん」
日置は小島の姿を見て驚いていた。
「先生、こんにちは」
小島はそう言いながら、靴を脱いで中へ入った。
「どうしたの?」
「中川さんを見に来ました」
小島はニッコリと微笑んだ。
「そうなんだ」
「二人とも、まだなんですね」
「阿部さんはトイレ。中川さんは忘れ物したとかで、教室へ行ったよ」
「そうなんですね」
「彩ちゃん、桂山の練習は?」
「午前で終わりました」
「そっか。わざわざありがとうね」
ガラガラ・・
そこで阿部はトイレから戻って来た。
「ああ・・小島先輩」
「阿部さん、久しぶりやね」
「わあ~来てくださったんですか」
阿部は慌てて靴を履き替え、中に入った。
「部員、一人増えたらしいな」
「ああ・・はい・・」
阿部の消極的な返事の意味を、小島はわかっていた。
事情は、日置から聞いていたのだ。
「よかったな」
それでも小島は、そう言った。
「まあ・・」
日置と小島は顔を見合わせて、苦笑していた。
そこでまた、扉が開いたかと思うと「ああ~~!これがねぇと、始まらねぇ!」と言いながら、中川も戻って来た。
小島は、まさに早乙女愛のような中川を見て、驚愕していた。
日置から聞いてはいたものの、まるで本から出てきたようじゃないか、と。
「おやっ」
中川は見知らぬ小島を見てそう言った。
「いやあ~~あんたが中川さんやね!」
『愛と誠』が好きな小島は、思わず興奮していた。
「そうだよ」
「初めまして。私はここの卒業生で小島です。よろしく」
「おおっ、先輩っすか!こりゃあ~失礼したっす。中川っす」
「あはは、先生から聞いてたけど、ほんま、早乙女愛そのものやね」
「おおっ、先輩、愛と誠、知ってるんすね!」
「知ってるも何も、めっちゃ好きやねん」
「あはは、こりゃあ~いいや!」
中川はそう言いながら、手にしていたゴムで髪を括り、前髪はピンで留めた。
「卓球部に入ってくれて、ありがとうな」
「いやっ、なんかさ~成り行き上そうなんったんすけど、やると決めたからにゃあ、私はとことんやりますぜ」
「あはは、それにしてもその喋り方、なんかすごいギャップが」
「そうなんすよ。みんな驚くんっす。でも、早乙女愛も出来ますぜ」
「ええっ、そうなん?やってやって~」
すると中川は、両手を胸にあてて「誠さん・・愛は・・どんなに冷たくされても・・誠さんを追いかけずにはいられないの・・」としおらしく言った。
「きゃ~~めっちゃええやん!」
小島は思わず拍手をしていた。
阿部はこの間、ずっと不機嫌だった。
「小島さん」
日置が呼んだ。
「はい」
「そろそろ練習するから」
「あああ、すみません」
「それできみ、悪いんだけど、中川さんの素振りを見てやってくれないかな」
「もちろんです!」
「もうカットの段階に入ってるから」
「わかりました」
そして日置は阿部とラリーを、小島は中川の素振りを見た。
「よろしくっす!」
中川はラケットを持ち、小島の前に立った。
「はい、よろしく」
「では、フォアカットからやりますんで」
そして中川はラケットを振り始めた。
おお・・さすが先生が教えただけある・・
様になってるやん・・
小島は誰かに教えるという経験は初めてだ。
しかも相手は後輩だ。
それだけに、先輩と後輩という関係に、嬉しさを感じていた。
「そうそう、上手いで」
「おーす!」
「もっと右足を下げて」
「おーす!」
こうして中川は500回を目指して、懸命にラケットを振り続けた。
「小島さん」
日置が呼んだ。
「はい」
「中川さんの素振り、どう思う?」
「ええんやないですかね」
「だよね。じゃ、中川さん、今度はバックカットね」
「おーーす!」
そして中川は、バックカットも500回始めた。
うん・・バックカットも板についてる・・
もう500回、やらんでもええんとちゃうか・・
なるべく早くボールを打った方がええし・・
「先生」
小島が日置を呼んだ。
「なに?」
日置は振り向いて答えた。
「バックカットも、もうええんとちゃいますかね」
「そっか。じゃ、中川さん」
「はいっ」
「今日からボールを打とうか」
「おーーーすっ!」
中川は、やっと地獄の素振りから解放され、安堵した表情を見せた。
「それじゃ、阿部さんは小島さんとフットワーク。小島さん、カットマンとのフットワーク、教えてあげてね」
「わかりました」
「中川さん、僕がボールを出すから、きみはそれを打ち返してね」
「おーーす!」
「阿部さん」
小島が呼んだ。
「はい」
小島は日置らから一台開けて、台に着いた。
「カットとツッツキを一球ずつ混ぜて、打つからな」
「はい」
「あんたはカット打ちとツッツキ。それをフォアとバック交互に送ること」
小島はボールを八の字に送ることと、ツッッキはなるべくストップをかけることなどを丁寧に説明した。
一方で、日置は中川にボールを一球ずつ送っていた。
「確実にここへ返すこと」
日置はフォアコースを指して、時折アドバイスをしていた。
「もっと振りをシャープに」
「はいっ」
以外にも中川は、センスが良かった。
無論、ミスも連発したが、その度に「くっそーー!」と言いながら、日置に向かって行った。
やがて一時間が過ぎた頃、一回目の休憩をとることにした。
「よーう、先輩」
中川は小島に話しかけた。
「ちょっと、中川さん」
すると阿部が制するように口を挟んだ。
「なんだよ」
「お茶、淹れんといかんやろ」
お茶はやかんで沸かして、校庭の水道で冷ましていた。
阿部は、手伝えと言いたかった。
「おめーが行けよ」
「なんでやの」
「私は部室からコップを出す」
「そんなん、後でもええやん。やかん重たいねんけど」
お茶を沸かすのは、当番を決めているわけではなく、いわば交代でやっていた。
順番からすると、阿部なのだ。
「おめーさ、いつまで私に絡むつもりなんだよ」
「まあまあ、二人とも」
小島が割って入った。
「先輩。このチビ助さ、なんか知んねぇけどよ、私のことが気に入らねぇみたいでよ」
「そうなんや」
小島は阿部を見たが、阿部は目を逸らした。
「私らもな、最初の頃は、ケンカばっかりやったで」
「そうなんすか!」
「そのため、辞めるもんもいてたし、言い合いばっかりやった」
「いや、私はね、チビ助なんて相手にしてねぇーんすよ。どっちかってぇと、むしろ好意的なんすよ」
「そうか」
「それをこの野郎が、突っかかって来やがるんでぇ」
「だから、その呼び方、止めてって言うてるやん!」
阿部が怒鳴った。
「まあまあ。チビ助ってかわいいやん」
阿部は小島にそう言われ、唖然としていた。
「ほれみろ」
「私はかわいいと思うけど、阿部さんが嫌なんやったら、止めた方がええんちゃうかな」
「そうっすか」
「でもま、こんなしょーもないことで揉めてるんも今のうちや」
「どういう意味ですか」
阿部が訊いた。
「それどころやなくなるってことや」
「・・・」
「インターハイ行くためには、揉めたくても揉める暇なんかなくなるで」
「そりゃそうっすよ!」
そして阿部は黙って校庭へ出て行った。
「んじゃ、私はコップを出すっす」
中川は部室へ向かった。
日置と小島は顔を見合わせて、苦笑していた。
「先生も、大変ですね・・」
小島は小声でそう言った。
「まあね・・でも彩ちゃん、ありがとうね」
「それより、先生」
「ん?」
「なんか、三神の一年生が、明正大学へ行って、男子相手に練習してるみたいですよ」
「へぇ、そうなんだ」
「内匠頭が言うてましたけど、森上さん対策のためやないかと」
「ああ・・なるほど」
日置にも、すぐにそうだと理解できた。
「私、思うんですけど、皆藤監督は十二月の団体戦を視野に入れてるんやないかと」
「団体戦かぁ・・」
日置は彼女らを出したくても、人数が足りなければ出る以前の問題であることもわかっていた。
「あと一人、いればええんですけどね・・」
「というか、森上もいつ戻れるかわかんないよ」
「そこなんですよねぇ・・」
なんの話だ・・?
中川は二人の会話を聞いていた。
団体戦・・?
卓球って、個人競技じゃねぇのか・・
意味、わかんねぇぞ・・
「よーう、先生、先輩」
中川はコップを持って、部室から出た。
「団体戦たぁ~なんのこった」
二人は黙って顔を見合わせていた。
「あと一人いれば良いっつってたな」
「ああ・・まあ」
小島が答えた。
「つまりよ、その団体戦ってのか。それに出るためには人数が足りねぇってことだな」
「そうなんよ」
「おい、チビ助」
そこに、やかんを持って戻った阿部を呼んだ。
阿部は黙ったまま中川を見た。
「おめーに相談がある」
そう言われた阿部は、少し驚いて中川を見ていた。




