81 中川の入部
―――そして翌日。
「よーう、森上。おはよー」
中川は席に着く際、森上の肩をポンと叩いた。
「中川さぁん、おはよぉ」
「昨日は、ありがとな。楽しかったぜ」
「私もぉ、楽しかったぁ」
「んーで、これな」
そこで中川は、『愛と誠』の第一巻を鞄から取り出した。
「おお・・これなんやなぁ」
「うちに全部あんだけどよ、重いだろ。だから一冊ずつな」
「ありがとぉ」
「早く仕舞えよ。先生に見つかると没収されんぞ」
「うん~わかったぁ」
森上は嬉しそうに、本を鞄に仕舞った。
「恵美ちゃん、おはよう」
そこに阿部がやって来た。
「千賀ちゃん、おはよぉ」
「よーう、阿部」
中川がそう言えども、阿部は無視して森上を見ていた。
「恵美ちゃん、さっき、鞄に仕舞ったん、なんやったん?」
「ああ・・中川さんがぁ『愛と誠』を貸してくれたんよぉ」
「ふーん・・」
そこで阿部はチラリと中川を見た。
「おめーも読みてぇのか」
「わ・・私は興味ないねん」
「ふーん、そっか。森上よ、それ、絶対に嵌るぜ」
「そうなぁん」
「一巻読み終えたら言えよ。続き、持って来てやっからよ」
「うん、わかったぁ」
「なあ、恵美ちゃん」
阿部は、まるで中川と争うように森上を呼んだ。
「なにぃ」
「バイト・・頑張ってる?」
阿部は、話す内容がなくて、無理にそう訊いた。
「頑張ってるよぉ・・」
「そうなんや」
「おい、森上」
中川が呼んだ。
「なにぃ」
「おめー、バイトって、なにやってんだ?」
「土日だけやねんけどぉ、パン屋でバイトしてるねぇん」
「ほーう、パン屋か。いいじゃねぇか」
「商店街、あったやんかぁ」
「おお、あったな」
「あの商店街の通りにあるねぇん」
「そうかー、近くていいな」
「恵美ちゃん・・」
また阿部が呼んだ。
「なにぃ」
「中川さん・・なんで商店街のこと知ってるん・・」
「ああー、昨日森上んち、行ったんだぜ」
「あんたに訊いてないねんけど」
中川さん・・恵美ちゃんの家、行ったんや・・
なんでやねん・・
「中川さんさ」
「なんだよ」
「この際やから言うとくけど、恵美ちゃんちは色々あって大変なんよ。だから、余計なことして波風立てんといてほしいねんけど」
「なんだよ、余計なことって」
「なんか・・いらんこと言いそうやし・・」
「阿部さあ、おめー、私のことが気に入らねぇのか」
「べ・・別に、そんなんちゃうけど」
「森上も楽しそうだったし、慶太郎も喜んでたんだぜ?」
なっ・・なによ・・
慶太郎って・・呼び捨てやん・・
「とっ・・とにかく、恵美ちゃんのことで口出しせんといてほしいねんけど」
「おいおい、ちょっと待てよ。私は森上と友達なんだよ。口出しって言い方、酷くねぇか」
「と・・友達・・?」
阿部は森上を見た。
「そうやねぇん。中川さん、めっちゃいい子で、私ぃ、友達になったんよぉ」
「そっ・・そうなんや・・」
「友達が友達んちへ行くっての、普通じゃねぇか」
「ほんでぇ、中川さんなぁ、同じ大正ねぇん」
阿部はそう聞いて、更に唖然とした。
「ああ、森上。それな、私、間違えてたんだよ。私の家は港区なんだよ」
「え・・そうなんやぁ。でもぉ、大正と港区、近いやぁん」
「おお、おおお、そうなんだよ。ちけーんだよ」
恵美ちゃん・・
先生も私も・・恵美ちゃんが戻って来るの待ってるのに・・
いつ戻って来てもええように・・私は必死で練習してんのに・・
大正区とか港区とか・・なんやねん・・
「ああ、それでぇ、千賀ちゃん」
「なに・・」
「私なぁ・・中川さんにぃ卓球部入ってって頼んだんよぉ」
「え・・」
恵美ちゃん・・
なんて余計なことを・・
嘘やろ・・
「千賀ちゃん、一人やしぃ・・」
「そ・・それで・・中川さん・・どうするん」
「それなんだよ。素振り500回だろ?ああ~あり得ねぇ~」
「そうやで。中川さんには無理やと思う」
阿部は、間髪入れずにそう言った。
「っんだよ。決めつけやがって」
「強がり言うて、素振りに挑戦しても無理やとわかる。恥をかかん前に言うたってんねや」
「ちょっとぉ・・千賀ちゃん・・そんな言い方ぁ・・」
森上はオロオロしだした。
「よーーし、わかった!やってやろうじゃねぇか」
「え・・嘘やろ・・」
「嘘じゃねぇよ」
「いやっ、私は恵美ちゃんが戻ってくるまで一人でええ」
「っんなこたぁ、関係ねぇぜ。私がやるっつてんだから、やるんだよ」
「迷惑やねん!」
「うるせぇ!おい、阿部。おめーには負けねぇからな」
こうして中川は、ひょんなことから卓球部への入部を決意したのだった。
―――そして放課後。
中川が小屋へ行くと、もうボールの音が聴こえていた。
おおっ、やってるな・・
ガラガラ・・
扉を開けると、阿部が一人でサーブ練習をしていた。
「よーう、阿部」
阿部は無視して、サーブを出し続けた。
「ったくよ・・」
中川はそう言いながら中へ入った。
「先生は?」
それでも阿部は無視していた。
「それ、なんの練習やってんだ」
「・・・」
「ふんっ」
中川はそう言って部室へ行った。
「ここで着替えるんだな。にしても、狭すぎだろよ」
へぇ・・ラケットも、あるんだ・・
どれどれ・・
中川はペンのラケットを持って、戻った。
そして遊び半分で振ってみた。
こうか?
いや・・こうかな・・
「あんた、なにやってんのよ!」
阿部が怒鳴った。
「なんだよ」
「まだ先生も来てへんし、入部は先生が決めるんやけど」
「別に、ラケットくれぇ持ってもいいじゃねぇかよ」
「勝手なことせんといて」
「うるせぇよ」
「私、キャプテンなんやけど」
「へぇーおめーがキャプテンか」
「なによ」
「キャプテンだったらよ、もっとこう、気持ちを広く持つとか、あんだろうがよ」
ガラガラ・・
そこで扉が開いて日置が入って来た。
「ああ、中川さん」
「よーう、先生」
「きみ、また見学?」
「ちげーんすよ」
「え・・?」
「私、入部したいんす」
「そうなんだ」
日置はそう言いながら、靴を履き替えて中へ入った。
「でもね、ここでやるからには、遊びじゃないんだよ」
「はい、わかってるっす。インターハイっすよね」
「うん」
「じゃ、入部を許可してくれるっすか」
「素振りからのスタートだよ」
「はい、500回っすね」
「あはは、知ってるんだね」
先生・・
なに笑ろてんねん・・
まさか・・入部を認めるんやないやろな・・
阿部はハラハラしていた。
「練習するには、制服じゃ無理だし、卓球シューズも必要だよ」
「ああ・・なるほど。なに着ればいいんすか」
「Tシャツでいいよ」
「んじゃ、明日持って来るっす」
「先に言っとくけど、素振りができなければ、僕はそれ以上は教えないからね」
「はいっ」
「それでなんだけど。きみの持ってるラケットね、それは使わないよ」
「ああ・・そうなんすね」
「きみにはカットマンをやってもらう」
日置は異なるタイプの選手を作りたかった。
そして中川の体格を見て、すでにカットマンだと決めていた。
体は細いが、いかにもしなやかそうな長い手足、これはカットマンに持って来いだと。
「先生!」
たまらず阿部が呼んだ。
「なに?」
「カットマンとか・・まだ素振りもやってないのに、決めてもええんですか」
「ペンとカットマンの素振りは違うの」
「・・・」
「カットマンとして素振りを教える。だからそう言っただけだよ」
「・・・」
「やり熟すことができなければ、入部は認めないよ」
「・・・」
「それと阿部さん」
「はい・・」
「個人的な感情は出さないで」
「え・・」
「僕が教えることや、僕の方針に逆らうのであれば、僕は監督を辞める」
「そんな・・」
「きみたちの先輩にも、そうやって指導してきた」
「私は、逆らわないっすよ」
中川がそう言った。
「阿部さん、きみはどうなの?」
「わかりました・・」
日置は思っていた。
阿部は賢い子だ。
若さゆえの個人的なぶつかり合いがあったとしても、阿部ならすぐに乗り越えるはずだ、と。
そして森上が戻って来れば、余計な感情などすぐに消えてしまうだろう、と。




