74 日置家
―――そして翌日。
日置と小島は新幹線の座席に座っていた。
そして日置は、昨日のことを小島に話し終えたところだった。
「もう僕ね・・切なくて・・胸が張りさけそうになったよ」
「そうですね・・なんか・・私かて・・めっちゃ切ないです・・」
「泣きながら打ってたんだよ・・あの子たち」
「そうですか・・」
小島も泣きそうになっていた。
「だから僕、もう一度ご両親と話してみるよ」
「そうですか・・」
小島はまた、日置が傷つくのではないかと心配した。
「かわいそう過ぎるよ・・」
「でも先生」
「なに?」
「あまり焦らん方がええと思います」
「うん・・」
「気持ちは痛いほどわかります。わかりますけど、まだあまり日が経ってないし、もう少し時間を置いた方がええと思います・・」
「うん・・」
「きっと、ご両親の気持ちも変わる時が来ます。それを待ちましょう」
「そうだね・・」
先生・・
またそんな切ない顔して・・
私はどうしたらええねや・・
小島は日置を抱きしめて、背中を擦ってやりたい心境になっていた。
「大丈夫。大丈夫ですから」
小島はそう言って日置の手を握った。
「彩ちゃん・・」
日置はまた、なんとも切ない表情を見せた。
先生・・その顔、あきませんて・・
私・・めっちゃ辛いですやん・・
「あっ!先生」
そこで小島は車窓を見た。
「ほら、富士山!富士山ですよ!」
「ああ・・今日は綺麗に見えるね」
「きゃ~~私、富士山見るん、これで二回目ですよ!」
「そうなんだ」
「きゃ~~雄大~~」
「彩ちゃん、子供みたいだね」
「せやかて富士山ですよ!日本一の山ですよっ」
「わかった、わかったから、少しボリューム下げて」
「あ・・ああ、すみません。あはは」
すると日置はニッコリと笑った。
よかった・・
先生・・
やっと笑ってくれはった・・
「先生」
「なに?」
「私、この服装でええと思います?」
小島は、紺色で白の水玉模様の清楚なワンピースを着ていた。
「素敵だよ」
「化粧はどうですか」
小島は薄化粧を施していた。
「とても綺麗だよ」
「そうですか。よかった」
「緊張しなくていいからね」
「はい」
「父は大人しい人だけど、母は、ちょっとうるさいけど気にしなくていいから」
「お母さんには、試合場で一度お目にかかったことがあります」
「ああ・・そういや、そんなことあったね」
佳代子は昨年、当時の日置の見合いの相手として柿沼貴理子を連れて、試合場に来ていたことがあった。
その時、小島は佳代子に挨拶をしていた。
やがて新幹線は東京駅へ到着し、日置と小島はタクシーで家へ向かった。
小島は手みやげとして、大阪名物の岩おこしを持参していた。
現在では、手土産といえば、お洒落なものを選ぶ人が多いが、当時、岩おこしは、いわば手土産の定番だった。
ほどなくしてタクシーは、日置家の前に到着した。
小島はタクシーから降りて、門扉の前で立ち止まっていた。
「彩ちゃん?」
「え・・はい・・」
「緊張しなくていいからね」
「は・・はい・・」
「さ、行くよ」
そして日置は小島の手を握って玄関まで歩いた。
「ただいまあー」
日置は玄関を開けた。
「まあまあ~どうもいらっしゃい」
佳代子は慌てて迎えに出て、小島にそう言った。
「どうも・・初めまして・・あ、いや・初めまして。小島彩華と申します。この度はお招き、ありがとうございます」
小島は丁寧に頭を下げた。
「いやっ、もう慎吾。手なんて繋いで~まあ~」
「あ・・ああ・・」
そこで日置は慌てて手を離した。
小島は思わず下を向いた。
「慎吾の母です。今日はよく来てくださいました。どうぞ上がってください」
「じゃ、上がろうか」
「はい・・お邪魔します」
そして小島は日置の後を着いて行った。
和室の六畳には、佳代子の手料理が並べられていた。
そこには父親の孝蔵が、座っていた。
「父さん、こちらが小島さんだよ」
「おお、これはどうも。慎吾の父で、孝蔵です」
「小島彩華と申します」
そして日置と小島は、孝蔵の正面に座った。
「お盆ですから、混んでたでしょう」
孝蔵が小島に訊いた。
「ああ・・はい。でも先生が予約を取ってくださいましたので、座って来れました」
「あはは、先生って呼んでるの?」
「ああ・・すみません・・」
「教え子さんだもんね」
孝蔵は優しく微笑んだ。
小島は思った。
日置は孝蔵にそっくりだ、と。
顔も似ているが、温厚な感じが、日置そのものだ、と。
「まあまあ~なにもありませんが、遠慮なく食べてね」
佳代子はそう言いながら、湯飲みと急須を運んできた。
「あの・・なにかお手伝いできることがあれば、仰ってください」
「まあ~なに言ってるの。お客さんにそんなことさせられないわよ」
「いえ・・」
「彩ちゃん」
「はい・・」
「きみは座ってていいよ」
「あらまっ、彩ちゃんって。まあ~慎吾ったら~」
「なんだよ」
「もうアツアツぶり、全開なのね~」
「なんだよ、全開って。普通に名前を呼んだだけだろ」
「もう~こんな男のどこがいいのよ~小島さん」
「え・・」
「親に対してこの言いぶりよっ」
「いえ・・先生は、とてもいい人です」
「あら~そんなこと言ってくれるの~」
「ああ・・はい・・」
「まあまあ、佳代子」
そこで孝蔵がたしなめた。
「小島さん、どうぞ召し上がってね」
孝蔵が言った。
「はい、では頂きます」
そして四人で和やかな昼食が始まった。
「ねえねえ、小島さん」
佳代子が呼んだ。
「はい」
「慎吾って、どんな監督だった?」
「なに訊いてるんだよ」
日置が口を挟んだ。
「いいじゃないの。ね、どんな監督だった?」
「えっと・・とても厳しかったですが、私たち選手のことを一番に考えてくださって、素人だった私たちを懸命に引っ張ってくれました」
「でもさ~この子、真面目すぎない?」
「ああ・・確かにそうですが・・それは先生のお人柄の良さやと思います」
「そうなんだけとさ~、もうちょっとなんていうかさ~」
「私はそんな先生から、多くを学びました」
「あら~そうなんだ」
「母さん、もういいから」
「なによ~慎吾っ」
「彩ちゃん、気にしないで」
「それで、小島さん」
孝蔵が呼んだ。
「はい」
「慎吾と付き合ってること、ご両親は知ってらっしゃるの?」
「はい、知ってます」
「それで、なんと仰ってるの?」
「これは、私はぜひ、お父さんやお母さんにも聞いていただきたいことです」
「はい」
「私の両親は、先生に全幅の信頼を寄せています。これは私が卓球部員だったころからそうでした。それで・・卒業を機にお付き合いが始まったわけですが、先生なら安心や、というて、快く付き合いを認めてくれました」
「そうですか」
孝蔵は嬉しそうに微笑んだ。
「いやっ、私はね、まだ十八の大事な娘さんを、こんな年行のおっさんとなんか、と気にしててね。それは小島さんのご両親もそうだと思ってたのよ」
佳代子が言った。
「年行ってなんだよ」
日置はむくれ顔になった。
「ほらほら、こうやってすぐにムキになるのよ」
「でも、小島さんのご両親が納得されているのなら、僕たちも何も言うことはないですよ」
孝蔵は、また優しく微笑んだ。
「ありがとうございます」
小島は深々と頭を下げた。
「ねぇ、小島さん」
佳代子が呼んだ。
「はい」
「こんな子だけど、よろしくお願いしますね」
「そんな・・こちらこそ、よろしくお願いします」
「もうさ~、後がないのよ、後がっ」
「え・・」
「佳代子、失礼なこと言わないの」
「それにしてもまあ~小島さん、若いってのもあるけど、とてもかわいいわ~」
佳代子は孝蔵を無視して続けた。
「いえ・・そんな・・」
「まるで私の若い頃を見てるようだわ~」
「母さん・・」
日置は唖然としていた。
どこが似ているんだ、と。
けれども小島は、とても嬉しそうに笑っていた。
「いいっ、慎吾っ」
「なんだよ」
「小島さんを大事にしなさいよ」
「わかってるよ」
「泣かせたりしたら、承知しないからねっ」
こうして日置と小島は、両家ともども交際を認められた。
ちなみに小島が岩おこしを渡した際、佳代子は「懐かしい~これ好きやのよ~」と思わず関西弁で喋っていた。
ほどなくして日置と小島は家を後にした。
「彩ちゃん、疲れたでしょ」
歩きながら日置が訊いた。
「いえ、とても楽しかったです」
「母さん、いつもああなんだよ」
「なんか、西藤さんと話してるみたいでした」
「あはは、そうだよね。そっくりだよね」
「とてもいいお母さんです。それとお父さんも」
「ありがとう」
日置は小島の頭を優しく撫でた。
「彩ちゃんて、東京へ来たことあるの?」
「いえ、初めてなんです」
「え・・そうだったんだ」
「なんか都会って感じですよね」
「じゃ、せっかくだから、行きたいとこ連れてってあげるよ」
「ええ~ほんまですか!」
「どこがいい?」
「じゃあ・・竹下通り!」
「さすが、若者」
「テレビで見たんです~ええなあ~と思いました」
「よーし、じゃ、行こうか」
そして二人は原宿へ向かったのだった。
小島は思っていた。
大阪へ戻れば、「現実」が待ち受けている。
そして日置はまた、辛い思いをするに違いない、と。
せめて今日だけは、束の間の幸せを感じていたい、と。




