69 愛されている日置
―――ここは桂山の体育館。
彼女らは練習を終えて、更衣室で着替えていた。
「彩華」
浅野が呼んだ。
「なに?」
「慶太郎くん、もう大丈夫なんか?」
「ああ・・そのことなんやけどな・・」
「どしたんよ」
小島の言いぶりに、他の者も何かあったのかと、心配した。
「いや・・実はさ、森上さんな、もう卓球辞めるらしいねん・・」
「ええええええ~~~!」
そこで彼女らは一斉に叫んだ。
「辞めるて、どういうことなん?」
浅野が訊いた。
「実はな――」
小島は昨日、日置から聞いた内容を彼女らに話した。
「た・・だぶらかすて・・」
「そらさ・・誘拐なんて、もうあってはならんことやけど・・」
「あれやろ?森上さんは公園で慶太郎くんをみてたんやろ?」
「いやあ~先生~かわいそう~たぶらかすやなんて~あんまりやわあ~」
彼女らは口々にそう言った。
「まあ・・親の気持ちもわかるけどさ、いや、なんちゅうんか、先生さ、よちよちみたいな年寄りクラブのコーチ引き受けてまで、森上さんをなんとか練習させようとしてたんやろ?」
為所が訊いた。
「そやねん・・」
「こんなん言うたらあれやけど・・誘拐は先生のせいとちゃうやん」
「うん・・」
「それを、たぶらかすやなんて、あまりに侮辱が過ぎへんか」
「うん・・」
「それにさ、内匠頭かて毎日、朝練に付き合ってたし。それは森上さんのためやん」
「いや、私はええねや」
浅野は直ぐにそう答えた。
「それで、彩華」
為所が呼んだ。
「なに?」
「先生、元気ないんとちゃうの」
「ああ・・まあな・・」
「なあなあ~」
そこで蒲内が口を開いた。
「先生を~励ます会、しような~」
「どうやって励ますん?」
外間が訊いた。
「みんなで集まって~ほんで~励ますねん~」
「だからどうやってよ」
井ノ下が訊いた。
「それは~あっ!パーティーとかどうなん~」
「パーチーか」
「あはは~いのちゃん~パーチーて~」
「いや、二人とも。そこは彼女である彩華に訊くべきやろ」
杉裏が言った。
するとみんなは小島を見た。
「うん、ええんとちゃうかな。先生かて喜ぶと思うし、私もそうしてほしいし」
「わ~~い、決まりやな~」
「で、いつにするんよ」
「場所は?」
「先生の家でええんちゃう」
「またまたあんたらは。そこも彩華に訊くべきやで」
岩水が言った。
そしてまた、みんなは小島を見た。
「いや、別に私が決めんでもええし。みんなの意見は?」
「場所、いうたってやな」
「練習との兼ね合いかてあるしなあ」
「やっぱり、先生のマンションでええんとちゃう?」
「ほなら、週末に先生のマンションってことで」
小島がそう言った。
そして彼女らは全員で、日置を励ます会を行うことになった―――
その後も日置は、阿部の練習を終えた後、毎日『よちよち』へ出向いていた。
森上が辞めたという事情を知った秋川らは、日置のコーチに気が引けていた。
そこはさすがに中島らおばさん連中も同じで、複雑な心境になっていた。
「なあ、先生」
中島が声をかけた。
「はい」
「もうさぁ・・森上さん辞めたのに、私らのことは、もうええですよ」
「でも、瀬戸さん辞めてしまわれたし、コーチがいないとダメでしょ」
「まあそうですけど・・あまりにも先生に気の毒で」
「僕は構いませんよ」
日置は優しく微笑んだ。
「ああ~~・・それよ、それやのよ」
「え・・」
「そんな顔して微笑まれたら、辞めてくださいて言われへんわあ」
「あはは」
「ああ~~・・その青年のような笑顔もよ・・心臓に悪いわあ」
「ちょっと~中島さん、独り占めはあかんで~」
柳田が言った。
「ほんまよ~中島さん、ずるいわあ~」
新入部員の武田もそう言った。
武田も五十代の中年女性だった。
「あんたらな、先生を、あまり困らせなや」
秋川がたしなめた。
「ほなら、秋川さんかて、先生みたいに微笑んでみぃさ」
中島が言った。
「なんでわしが、そんなんせなあかんのや」
「いやっ、年寄りでも微笑むことくらいはできるやろ~」
「だから、なんでせなあんかねん」
すると話を聞いていた水沢は、なぜか微笑んでいた。
けれども、それは微笑んでいるというより、引きつっていた。
「あはは、水沢さん~なにやってるんよ~」
「えっ・・いや・・別に・・」
「ああ~わかった」
「なんやねん・・」
「奥さんに・・やろ」
「あっ・・あほなこと言いなや」
その実、水沢は妻を驚かせようと思っていたのだ。
「先生、どうやったら、そんなにきれいに微笑めるんでっか」
水沢が訊いた。
「どうやったらって・・特に意識はしたことないですけど」
「そうか・・意識したらアカンのやな」
「自然な感じが一番じゃないですかね」
「水沢さん。先生とは、ここが違いますねん、ここが」
柳田は、自分の頬を叩いた。
「そうそう。先生は俳優みたいにハンサム」
武田もそう言った。
「かぁ~っ、持ってるもんが違うと損やなあ」
日置は答えようがなかった。
「さて、練習を始めますか」
日置がそう言うと、おばさん連中はジャンケンを始めた。
そして勝った柳田が「私からです~」と嬉しそうに言った。
「いえ、今日は、男性からですよ」
「えええ~~そんなあ~」
「昨日は女性から始めたでしょ。だから順番です」
「はぁ~い」
「先生~~!」
そこへパン屋でアルバイトをしている今井が、慌てて入って来た。
「ああ、どうも」
「これ、持って帰ってくださいね」
今井は、パンの袋を日置に渡した。
「ああ・・なんか、いつもすみません」
そう、今井は、度々日置にパンを持って来ていた。
「わしらには、ないんかい」
秋川は冗談めいて言った。
「秋川さんは買うてね~」
「酷い扱いやな」
「ほな、先生、頑張ってくださいね~」
今井はそう言って、パン屋へ戻って行った。
「先生~、それ、私らのおやつね~」
中島が言った。
「え・・ああ、はい。みなさんで食べましょう」
このように日置は『よちよち』のメンバーにとても愛されていた。
その後、女性新入部員の一人である大倉も遅れて到着し、魔法瓶にコーヒーを淹れて持って来た。
いつしか新入部員となっていた田中も到着し、芋の煮っ転がしをパックに詰めて、「先生、食べてください」と言って日置に渡していた。
田中は、誘拐事件で日置のことを気にかけていた。
日置のせいではないのに、まるで日置が悪かったかのように、事が決まってしまった。
自分があの時、慶太郎を引き止めてさえいれば、こんなことにはならなかったはずだ、と。
入部を決めたのも、惣菜を日置に渡すのも、田中なりの「せめてもの」という気持ちだった。
そして日置は、男性、女性、それぞれにコーチをした。
「そう言えば、最近、後藤さん来られないですね」
休憩時間、日置は秋川に訊いた。
「そやねん。なんか後藤はんな、仕事で足をくじいてな」
「え・・大丈夫なんですか」
「うん、大したことはないみたいや」
「そうですか・・」
「そのうち、また元気になって来ると思うで」
「後藤さんのご自宅、どこですか」
「え・・まさか先生、見舞いに行くつもりなんか?」
「いや・・見舞いというほど大袈裟なのもではなく、ちょっと様子を・・」
「先生~ほんま、真面目というか、ええ人やなあ」
中島は、しみじみとそう言った。
「ほんまやわ。私らなんか、そのうち来るやろと思てたけど、やっぱり先生はちゃうわ」
柳田もそう言った。
「いえ・・そうじゃなくて、気になっただけなので」
日置は、後藤が森上の相手をしてくれたことを忘れてはいなかった。
「えっとな、ここの通りを右へ行くやろ。三つ目の角を曲がって突き当りが後藤はんとこや」
秋川が教えた。
「そうですか。また日を改めて伺ってみます」
田中は思った。
日置は、芯から誠実な人物だ、と。
邪険にされても森上家へ足を運び、頭を下げて入部を頼んでいた。
そして森上が辞めたのに『よちよち』のコーチは続けている、と。
年寄り相手にも、けして嫌な顔をせず、真剣に教えている。
なんとかして日置の苦労が報われる方法がないものか、と。




