66 相沢と高橋の奮闘
―――犯人の家では。
「浩介・・」
相沢が小声で囁いた。
「はい・・」
「わしな、後ろへ回るから、お前、玄関で男を呼べ」
「え・・」
「おそらくやけど、犯人はあの子と一緒におるはずや」
「・・・」
「そこで、お前が呼んだら、犯人はあの子から離れる。その隙にわしがあの子を助ける」
「そんな・・相沢さん、無茶ですよ」
「いや、それしかない」
「だって、僕ら警察やないんですよ。それに犯人が凶器を持ってたらどないするんですか」
「犯人は小柄や。それに、あんまり強そうでもない」
相沢の身長は179cmあり、いわゆる屈強な体格だった。
「それで、もし犯人が出てきたら、お前は逃げろ」
「えっ・・」
「それこそ凶器を持ってたら危ないからな」
「そ・・そんな・・」
「犯人は、わしらに誘拐のことがバレたと焦ってるはずや。いずれ警察にも報せると思てるはずや。あいつがやけを起こさんうちに、あの子を助けなな」
「相沢さん・・」
「なんや」
「もし・・相沢さんになんかあったら・・」
相沢には、五歳と三歳の男の子がいた。
浩介はそのことを言った。
「わしかて人の親や。あの子の両親の気持ちは嫌というほどわかる。せやから助けるんや」
「もっと他に方法はないんですかね・・」
「よう考え。普通な、身代金目当てやったら、子供を殺すなんか言わへん。たとえ言うたとしても「金を持って来んかったら」という「枕詞」を言うはずや」
「枕詞て、なんですか」
「そんなんどうでもええ。わしは裏へ回る。ええか、お前の声が合図や」
「わかりました・・」
そして相沢は、家の裏へ回った。
お・・勝手口があるぞ・・
相沢は静かにドアノブに手を置いて捻ってみると、幸いにも鍵はかかってなかった。
相沢は少しだけドアを開け、中を覗いてみた。
すると犯人は落ち着かない様子で、部屋の中をウロウロと歩いていた。
よし・・子供は別やな・・
「おおーーい!出て来い!」
表で浩介の声がした。
すると犯人はその場で立ち止まり、玄関へ目をやっていた。
「出て来い!子供を返せ!」
犯人は台所へ近づいた。
そう、相沢のすぐ近くまで来たのだ。
そして犯人は包丁を手にして、玄関へ向かおうとした。
あかん・・浩介が危ない!
そう思った相沢は、勝手口を開けて後ろから犯人に飛びかかった。
驚いた犯人は激しく抵抗したが、相沢の力には適わなかった。
「大人しくせぇ!」
相沢は何発も犯人を殴った。
そして手にしていた包丁は床に落ちた。
相沢はそれを足で蹴った。
「子供はどこや!」
相沢は犯人の胸ぐらを掴んだ。
「ひいぃぃ・・」
犯人はまた殴られることに、酷く怯えていた。
「浩介!裏から入って来い!」
相沢の声を確認した浩介は、すぐに勝手口から中へ入って来た。
「相沢さん・・」
浩介は相沢の無事な姿を見て、胸をなでおろしていた。
「子供を探せ」
「はい」
浩介は、すぐに部屋中を探し回った。
すると和室の襖を開けると、慶太郎がロープに縛られてもがいていた。
「大丈夫か!」
浩介はすぐにロープを解き、猿ぐつわも外してやった。
「うわあああ~~ん」
慶太郎は浩介の胸に飛び込んで大泣きした。
「よしよし、もう大丈夫やで」
浩介は慶太郎を抱いて相沢の元へ行った。
「おお、ぼく、大丈夫やったんやな」
「うわあああ~~ん」
「泣かんでもええで」
浩介は慶太郎の背中を擦ってやった。
「浩介、警察に連絡や」
「わかりました」
やがて通報を受けた警察官が二人、家の中に入って来た。
事情を聞いた警官は犯人に手錠をかけ、パトカーへ乗せた。
「えー、もう一台、応援お願いします」
警官は、無線で連絡を取っていた。
「それで、相沢さんと高橋さんでしたか」
警官が訊いた。
「はい」
「大変お手柄でしたが、まずは我々に通報してくださらないと」
「すみません」
「ぼく」
警官が慶太郎を呼んだ。
「うっ・・ううっ・・なに~」
「パトカーでお家まで送ってあげるから、住所、言えるかな」
「わっ・・わからへん・・」
「ああ、この子の地元は知ってます」
「そうでしたか」
そして相沢は所在地を告げ、やがてもう一台パトカーが到着し、慶太郎は乗せられた。
近隣の者は、何事かと野次馬でごった返していた。
「相沢さん、高橋さん」
警官が呼んだ。
「はい」
「詳しい事情を聞かせてもらいますんで、我々と署までご同行願えますか」
「ああ、わしら、トラックなんですわ」
「トラック・・どこに停めとるんですか」
「あ・・えっと・・」
そう、相沢が停めたのは駐車禁止の場所だった。
「あはは、駐禁ですか」
「はい・・すんません」
「ええですよ。今回は見逃してあげます」
そして犯人を乗せたパトカーと、相沢のトラックは管轄の警察署へ向かった。
慶太郎を乗せたパトカーは、森上の自宅へ向かった―――
その頃、まだ警察に通報すべきかどうか迷っていた森上家では、慶三、恵子、恵美子、田中が悲壮な表情で塞ぎ込んでいた。
「やっぱり・・警察に言うた方が・・ええんとちゃうの・・」
恵子が言った。
「いや・・もし犯人にわかったら・・慶太郎は殺されるかもしれん・・」
「私かて・・そう思うで」
田中が言った。
「私のせいやぁ・・」
森上は震えた声でそう言った。
「ほんまやで!恵美子、なんであんた、目を離したんよ!」
「恵子・・もうええやないか」
「そやかて!」
「ごめん・・」
森上は小さくなって詫びた。
そこに、家の前で車が停車する音が聴こえた。
そしてすぐに「森上さん」と誰かが玄関のドアを叩いた。
恵子は慌ててドアを開けに行った。
するとそこには、泣きはらした慶太郎の姿と、二人の警官が立っていた。
「けっ・・けっ・・慶太郎~~~!」
「お母さん~~うわああああ~~」
慶太郎は恵子の胸に飛び込んだ。
恵子は慶太郎の体が壊れるほど抱きしめた。
その声を聴いた三人は、慌てて玄関へ行った。
「慶太郎~~~!」
慶三と森上は同時に叫んだ。
そして田中も「けいちゃん!」と驚きの声を挙げていた。
やがて警官から事情を聞いた慶三らは、改めて身が凍る思いがした。
そして助けてくれたトラック運転手に、死ぬほど感謝していた。
「その、相沢さんと高橋さんに、ぜひ、お礼を言いたいのですが」
慶三がそう言った。
「お二人には今、署で詳しい話を訊いています」
「そうですか・・」
その頃、『よちよち』でも、パトカーが来たと、騒ぎになっていた。
日置も外に出て、様子を見た。
すると方向から考えると、森上の自宅辺りだった。
日置は、森上がまったく来ないことを気にかけていた。
そしてパトカーが森上家の辺りに停まっている。
日置は「ちょっと行ってきます」と秋川に言い、走って森上家に向かった。
その後を『よちよち』の者も追いかけた。
すると森上家の前では、野次馬でごった返していた。
「けいちゃん、誘拐されたらしいで」
「いやあ・・怖いなあ・・」
「けいちゃん、戻って来たんか?」
「いや・・まだわからんわ」
野次馬から、このような声が挙がっていた。
日置は野次馬を掻き分け、「森上さん!」と叫んだ。
すると慶三は「ああ・・先生・・」と力のない声を発した。
そして恵子は、なぜか日置を睨んでいた。
森上は「先生ぇぇ・・」と言いながら涙を流していた。
やがて警官らは森上家を後にし、野次馬も散らばって行った。
「誘拐されたって・・ほんとですか・・」
日置は唖然としたまま、慶三に訊いた。
「ほんまです・・」
「でも・・慶太郎くん、無事に戻って来てよかった・・よかったですね・・」
「先生」
恵子は冷たく日置を呼んだ。
「はい」
「慶太郎が誘拐されたんは、恵美子のせいです」
「え・・」
「恵美子が目を離した隙に連れ去られたんです」
「そ・・そうでしたか・・」
「今後も、どんなことがあるかわかりません」
「・・・」
「もう恵美子には卓球を辞めさせます」
「え・・」
日置は、最悪な言葉を聞いた。
「今、そんな話ええやろ」
慶三が言った。
「いいえ!もう二度と、こんなことごめんです」
森上はずっと俯いていた。
「恵子・・今回のことは卓球と関係ないやろ・・」
「そうやないわ!今後かて、恵美子が練習してる間に、慶太郎から目を離すことかてあるわ!もう私は、そんなん嫌やのよ!」
「いや・・森上はん」
そこで秋川が口を開いた。
「なんですの!」
「森上さんが練習してる間は、よちよちのおばさんらで、面倒見てますのや」
「そっ・・そうでしょうけど・・」
「目なんか離しませんよってに、辞めさせるやなんて言わんといたってくださいな」
「慶太郎がお世話になってるんは、ありがたいと思てます。せやけど、誘拐なんて、もう二度とごめんです」
「せやけど・・先生かて、毎日通てくれはって・・わしらのコーチもしてくれてはって・・」
「卓球より、慶太郎の命です!」
そう言って恵子は慶太郎を連れて、家の中へ入って行った。
「秋川さん」
中島が呼んだ。
「なんや・・」
「奥さんの気持ちは、ようわかる。そら卓球どころやあらへんわよ」
「うん・・そやな」
「今は、なにを言うても無理。時間を置きましょう」
そして秋川らは『よちよち』へ戻って行った。
「先生・・」
慶三が呼んだ。
「はい・・」
「えらい、すんません」
「いえ・・」
「うちの、気が立ってますんで、落ち着いたら話しますんで」
「そう・・ですか・・」
「ほな、恵美子」
慶三はそう言って、森上に部屋に入るよう促した。
森上は俯いたまま、慶三と共に中へ入って行った。
「先生」
田中が呼んだ。
「はい・・」
「大丈夫ですって」
「え・・」
「私からも、よう話しますんで、安心してくださいな」
「ああ・・はい・・」
けれども日置は、恵子の意思は固いと察していた。
そして森上は、退部するのではないかと、不安が頭をよぎっていた。




