6 「素人」の加賀見
―――「失礼します」
そう言って日置は、保健室のドアを開けた。
「ああ、日置先生」
岸田が椅子をクルリと回して、日置を確認した。
「森上、どうですか」
「熱もないし、大丈夫やと思いますよ」
「そうですか」
「あそこで寝てます」
岸田はベッドを指した。
そして日置は「森上さん」と言いながら、カーテンを開けた。
森上は、布団をかぶって日置とは逆を向いていた。
「ああ・・先生ぇ」
日置に気が付いた森上は、向きを変えた。
「具合はどう?」
「はいぃ・・」
「僕が買ってきてあげようか」
日置はパンのことを言った。
「いえぇ・・私が行きますぅ」
そこで森上は、のそっと起き上がった。
「無理しなくていいんだよ」
「もう平気ですぅ」
「そっか」
そして日置は、お金を森上に渡した。
「もうこんな大金、学校に持ってきちゃダメだよ」
「すみませぇん」
森上はベッドから下りて「ほな、失礼しますぅ」と、保健室から出て行った。
「日置先生」
岸田が呼んだ。
「はい」
「森上さん、なんか悩みでもあるんとちゃうかな」
「え・・そうなんですか」
「さっき、寝てたと思ってたんやけどね、泣いてた気がするんよ」
「え・・」
「いや、泣き声と、はっきりわかったわけやないけど、ちょっと鼻をすすっててね。それも何回も」
「・・・」
「でもあの子、熱があるわけでもないし、風邪もひいてないし」
「そうですか・・」
「ああ、それと、あの子、バレー部入ったでしょ」
「はい」
「でも、休んでるらしいんよ」
「え・・」
「堤先生が言うてはったんやけど、ちょっと、精神的にしんどいらしくてね。それで休ませてるらしいんよ」
「そうだったんですか・・」
「ま、私からも担任に報告しとくわ」
「はい、わかりました」
そして日置は保健室を後にし、そのまま食堂の売店に向かった。
食堂に入ると、日置は直ぐに森上を見つけた。
しかも体操服のままだ。
え・・教室に戻らなかったんだ・・
日置はしばらく、森上の様子を見ることにした。
すると森上は「すみませぇん」と言いながら、混みあっている中を必死に店員に声をかけていた。
「えっとぉ・・サンドイッチ三つとぉ・・メロンパン一つとぉ・・焼きそばパン一つとぉ・・チョココルネ一つとぉ・・牛乳一つとぉ・・コーヒー牛乳二つ下さいぃ」
森上がそう言った。
「え?なんて?もっかい言うて」
「あのぉ・・」
森上はそう言って、同じことを繰り返した。
「あんた、いつもようさん買うてるけど、こないだ、戻って来てうどん食べとったな」
「はいぃ・・」
「食べ過ぎやで」
店員の中年女性は笑っていた。
日置は、さすがにおかしいと思った。
いくら食べ盛りとはいえ、大量のパンを食べた後、うどんを食べるなんて、考えられない、と。
そして森上は、パンと飲み物を両腕に抱え、急いで食堂を後にした。
日置は、森上の後をつけた。
やがて森上は三組の教室へ入った。
日置は、生徒たちに見つからないよう、少しだけ顔をのぞかせた。
するとどうだ。
森上は、中尾らにパンを渡しているではないか。
そしてお釣りをジャラジャラと言わせながら、渡しているではないか。
そうか・・こう言うことだったのか・・
日置は直ぐに察した。
そして日置は、職員室へ戻った。
「加賀見先生」
日置は加賀見の席へ行った。
加賀見は、三組の担任だった。
今年、赴任した来たばかりの、まだ新米教師だ。
「はい」
加賀見は弁当を食べていた。
「ちょっと話があるんですけど、いいですか」
「はい、どうぞ」
「森上のことなんですが、あの子、いじめを受けてますよ」
「えっ・・」
加賀見が持つ箸が、床に落ちた。
それを日置は拾って、机に置いた。
「どういうことですか・・」
そこで日置は、事の経緯を説明した。
すると次第に加賀見の表情は、青ざめていった。
「そうなんですか・・中尾さんたちが・・」
「おそらく、森上は標的にされてます」
「わ・・わかりました・・」
新人の加賀見には、何をどうしていいか、頭は混乱するばかりだった。
「僕も解決に向けて尽力しますので、いつでも相談してください」
「は・・はい・・」
日置は思った。
ここは、自分が動いて、中尾らの話を聞くべきだ、と。
けれどもクラスの問題は、まず担任が動かなければならない。
新人であろうとベテランであろうと、担任の仕事だ。
そして自分は、サポート役に回ろう、と。
そして最悪なことに、次の日、森上は学校を休んだ。
森上の両親は共働きで、加賀見は連絡を取れずにいた。
森上に事情を聞いても「しんどいだけですぅ」と言うだけだった。
この日の放課後、加賀見は中尾ら三人を、職員室へ呼び出した。
何事かと、三人は窺うように加賀見の元へ訪れた。
「あのね、訊きたいことがあるんやけど」
「なんですか」
中尾が答えた。
「あんたらね、森上さんのこといじめてない?」
「はあ?」
中尾は平然と、嘯いた。
そもそも中尾ら三人は、加賀見のことを舐めきっていた。
新人の加賀見は、まるで機嫌を取るかのように、生徒たちに向き合っていたからだ。
「パンを買いに行かせてない?」
「あのさ、先生」
「なに?」
「ようわけも知らんと、言いがかりも甚だしいですよ」
「どういうこと?」
「森上さんは、友達がいてませんねん。知ってるでしょ?」
「あ・・うん」
「私らは、そんな森上さんを気にして話しかけたら、私に買いに行かせて、言うたんです」
「え・・」
「私らね、仕方なくそうしたってるんですけど」
「そ・・そうやったの・・?」
「そうですよ!」
「あんたらも・・そうなの?」
加賀見は、木元と石川にも訊いた。
「もちろんですよ」
二人は同時に答えた。
「そうなんやね、悪かったわ」
「もう、ええですか」
「ああ、これからも森上さんと仲良くしてあげてね」
「はーい」
そして三人は職員室を後にした。
「あほやな、加賀見」
中尾は勝ち誇ったように笑っていた。
「ほんまやで」
「それにしても、森上が言うたんやな」
石川が断定した。
「それや。あいつ・・ようも言いやがったな・・」
中尾は、どうしてくれようか、という表情を見せた。
「でもま、学校休んでるし、明日も来ぇへんのとちゃうか」
木元が言った。
「このまま終わらせへんで」
中尾は、森上を、とことん追い詰めてやろうと考えた。
加賀見に告げ口したことが許せなかったからである。
そして森上は、次の日も、また次の日も学校を休んだ。
加賀見は、さすがに放置しておけないと思った。
そこで加賀見は、この日の夕方、森上家へ出向いた。
森上家は、市内の下町にある商店街の外れに居を構えていた。
森上家は、父親、母親、森上、弟の四人暮らしで、けして裕福な家庭ではなかった。
父親は、東大阪市の工場で働き、母親は商店街のスーパーで働いていた。
「こんばんは」
加賀見は、文化住宅の101号室のドアを叩いた。
「はぁい」
中から森上の声が聴こえた。
「先生よ」
加賀見が来たことを報せた。
ドアが開くと、森上は「先生ぇ・・」と、唖然としながら出てきた。
「お姉ちゃん~誰なん~」
まだ小さい弟が、森上にまとわりついていた。
「お姉ちゃんの先生やでぇ」
「そうなんや~、こんばんは」
弟の慶太郎は、今年、小学校に上がったばかりの一年生だった。
「こんばんは。名前はなんていうの?」
「慶太郎~」
「そう、慶太郎くんっていうんやね。かわいいね」
「先生ぇ・・なんか用事ですかぁ」
「ああ、そのことなんやけどね、お父さんかお母さんはいてはる?」
「仕事ですぅ」
「ああ・・そうなんやね。あのね、中尾さんらのことなんやけどね」
加賀見がそう言うと、森上の顔が曇った。
「森上さん、中尾さんらとは、友達なの?」
「・・・」
「中尾さんらに訊いたら、友達や・・て」
「・・・」
「パンを買いに行かせてるのも、森上さんが望んだことやと・・」
「先生ぇ・・そのこと誰から聞いたんですかぁ」
「ああ・・日置先生から・・」
「そうですかぁ」
「いじめ・・とかじゃないんよね?」
「違いますぅ・・」
「そうなんやね。ああ~よかった」
加賀見は安心したように、笑顔を見せた。
「ほな、明日から学校に来れるよね?」
「はいぃ・・」
「それを聞いて安心したわ」
「・・・」
「これからは、何でも相談してね」
「はいぃ」
「じゃ、私はこれで帰るわね」
そして加賀見は、森上家を後にした。
森上は、加賀見の後姿を、何ともいえない気持ちで、ずっと見ていた。