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サーよし!2  作者: たらふく
56/413

56 朱花の話




個室は十畳ほどの広さに、朱色でベルベット地の長いソファが端に置かれ、三台のテーブルを挟んで個人用の四角い椅子が五脚並べられてあった。

ドアの正面には、カラオケ用のマイクと歌詞本が小さなテーブルに置かれてあった。

そして天井からは、ミラーボールが吊り下がっていた。


やがてアルコールとおつまみ類が運ばれ、若くて綺麗な女性が四人入って来た。

その内、三人は、まだ二十代前半と思われる、いわゆる「ピチピチギャル」だった。

けれども高級クラブとあって、とても上品な女性らだった。

もう一人は、和服を身にまとい、いかにも「ママ」といった上品さを備えた艶やかな女性だった。


彼女らは、それぞれ一人ずつ、男性陣の前に座った。

日置の前に座ったのは、和服の女性だった。


「いらっしゃいませ。初めまして、朱花あやかと申します」


朱花は、ビール瓶をしなやかな手で優しく持ち「どうぞ」と日置に向けた。

日置は一瞬、朱花という名前を聞いて戸惑いを見せたが、「どうも」と言いながらグラスを手に持った。


「ようお越しくださいました。こちらは初めてですか」

「はい」

「そうですか。どうぞごゆっくりと楽しんくださいね」

「ありがとうございます」

「ほな、私も頂いてよろしいですか」


朱花はビールを注ぎ終えて、グラスを手にした。


「ああ・・はい」


日置はビールを注いだ。


「あまり緊張せんといてくださいね」


日置は、この手の店は初めてだった。

朱花は、優しく微笑んだ。


「僕ね、こんな店、初めてなんですよ」

「それやったら、よけいごと、楽しんで頂かんとあきませんね」

「そうですね・・」


日置は、早く帰りたいと思った。


「カラオケもおますんで、どうぞ歌ってくださいね」

「いや・・僕は歌は苦手です」

「お客さん、ご出身は関東ですか」


朱花は、日置のイントネーションのことを言った。


「ああ・・はい、東京です」

「まあ~そうですか。お上品でよろしいですわぁ」

「そうかな・・」

「さあさあ、もっと飲んでくださいね」


朱花は、次から次へとビールを注いだ。

やがて、大久保らはカラオケを歌い出し、宴は盛り上がりを見せていた。

この頃には日置もほどよく酔い、歌に合わせて手拍子していた。


けれども「熟練」の朱花は、日置にどこかしら陰のようなものを感じ取っていた。


「朱花さんって、どんな字を書くんですか」

「えぇ、朱色のしゅに、お花のはなです」

「そうですか」

「あら・・あやかという名前に、気になる方でもいらっしゃるんですね」

「いえ、そんなことありません」


朱花は、日置の心の内をすぐに読み取った。

そこで朱花は、日置の隣へ席を移動した。


「お客さん・・よかったらお名前聞かせてくれますか」

「日置です」

「まあ~日置さん。ええお名前ですね」

「そうかな・・」

「日置さんは、とても真面目な方とお見受けします」

「そんなことないですよ」

「ほら、もっとリラックスなさってください」

「楽しんでますよ」


「ちょっと~慎吾ちゃん~、なにをくすぶってんのよ~」


そこに大久保がやって来た。


「くすぶってなんか、ないよ」

「っんもう~朱花ママ、この真面目男を、どないかしたって~」

「あはは、大久保さんは、いつも元気一杯で、こちらが活力を頂くんですよ」

「そうですか」

「慎吾ちゃん~もっと飲み~」


そこで大久保は、水割りを作ろうとした。


「ああ、大久保さん、私がしますよって」

「いやいや、うーんと濃いの、作ったげるぅ~」

「虎太郎・・僕のことはいいから、歌っておいでよ」


それでも大久保は、水割りを作って日置に出した。


「ほれ、お飲み~」

「うん・・」


日置は仕方なく水割りを口にした。


「ぐへっ・・ちょっと、濃すぎるよ、これ」


日置は思わずグラスをテーブルに置いた。


「ええやないの~、慎吾ちゃんは~これくらいでちょうどええのよ~」


その実、大久保は、小島や浅野のことを話すつもりはなかった。

けれども小島と浅野の「事情」には、日置が関わっていると確信していた。

それが、悪い方向に進んでいるであろうことも。

そこで大久保は、真面目な日置に、普段と違う「世界」で気持ちを解させようとしたのだ。

いわば、苦肉の策である。


「それじゃ、日置さん。私がお歌いしますので、聴いててくださいね」

「おおお~~ママ~」


大久保は拍手していた。


「はい」


日置はそれだけ言った。

そして他の者も朱花がマイクを手にしたところで「ママ~~」とやんやの拍手を送っていた。

やがてイントロが流れ、朱花は歌い始めた。


「逢ぁえ~なくぅなってぇ~初めて知ったぁぁ・・海より深い~恋~ごぉこおろ・・」


朱花は松尾和子という歌手の『再会』という曲を、色気たっぷりに歌った。


「こんなにぃ~あなたを~・・愛してるなんてぇぇ・・ああ・・あああ・・かもめにもぉ~わかりはしないぃ・・」

「きゃ~~朱花ママ~素敵~」


女性らは拍手をしながら声援を送っていた。


「朱花ママ~」


安住もそう言った。


「わしもう・・とろけそうですけぇ~」


高岡は、大人の女性にメロメロだった。

日置は「あやか」という名前が飛び交う中、じっと朱花を見ていた。


「仲良くふたりぃ~・・泳いだ海へぇぇ・・ひぃとりで今日はぁぁ~きた~わぁたぁしい・・再び~逢える日ぃぃ・・指折り数えるぅぅ・・ああ・・あああ・・指先にぃ~・・夕日がぁ沈むぅぅ・・」


歌い終えて朱花は、軽くお辞儀をした。

そこで拍手喝采が起こった。

日置もパチパチと拍手をしていた。


「おそまつさまでした」


朱花は日置の隣に座った。


「お上手ですね」

「恐れ入ります」


その実、日置は「再び逢える日、指折り数える」という歌詞と、小島を重ねていた。


「朱花さんは、おいくつですか」

「あら~、女性に年をお訊きになりますか」


朱花はいたずらな笑みを浮かべた。


「あ・・いや、すみません」

「あはは、ええんですよ。私は今年で三十三です」

「そうですか。とてもお若く見えますよ」

「あら~、日置さん、お上手ですね。日置さんはおいくつですの」

「今年で三十になります」

「まあ~、近かったんですね」

「水割り、お願いできますか」

「はいはい」


そして朱花は水割りを作った。


「朱花さん」

「はい」


朱花はトングで氷をグラスに入れていた。


「朱花さんが十八の頃、好きな男性はいましたか」

「えぇ~、それはもう、大好きな人がいました。どうぞ」


朱花はグラスを日置に差し出した。


「さっきの歌も、その方を想って歌いました」

「ということは、恋は成就しなかったってことですか」

「ええ・・そうです」

「お相手の方は?」

「ずいぶん年上の方でして・・」

「え・・」

「いえ、この世界にいますとね、若かった私は年上の男性、つまり大人の男性に魅力を感じましてね」

「そうですか・・」

「その方には、決まった方がいらっしゃって・・私は諦めて身を引いたんです」

「・・・」

「でも・・今考えますと・・後悔ばかりで・・」

「・・・」

「日置さんにも、想い人がいらっしゃるようにお見受けしますが」

「ああ・・まあ・・」

「でも・・あまり上手くいってらっしゃらないのでは・・?」

「はい・・」

「野暮なこととは承知していますが、その方のこと、好きでらっしゃるなら、手放さないことですよ」

「・・・」

「お付き合いしてますと、色々ございますね。一時の感情に流されたり・・複雑に糸が絡み合うように、すれ違いがあったり」

「・・・」

「とにかく、好きなら、その方を手放さないこと。諍いは時間が経てば解決しますが、手放したらもう、元には戻りません」

「そうですね・・」


日置は朱花の言葉が胸に刺さった。

そう、手放したら元には戻らないんだ、と。


「僕の好きな人ね、彩華っていうんです」

「あら~なんて偶然。そうでしたか」

いろどりに、華麗の、かと書きます」

「まあ~素敵ですね」

「その子、十八なんです」

「あらっ・・まあ~そうでしたか」

「僕と一回りも違うんです」

「日置さん」

「はい?」

「年なんて関係ないですよ」

「ええ、まあ」

「ああ・・なるほど、わかりましたわ」

「え・・」

「日置さん、彩華さんのこと、幼いって思ってらっしゃるでしょ」

「まあ・・そういう面もありますかね」

「女を見くびってはいけませんよ」

「え・・」

「女はですね、恋をして成長するんです。その成長段階で手放してしまうと、きっと後悔なさいますよ」

「・・・」

「その彩華さん・・日置さんが驚くほどのいい女になりますよ。その時に、戻って来てと懇願しても後の祭り。よろしいですね?」

「あはは、はい。重々承知しました」


日置は、参ったとばかりに笑った。

その後、日置は自分は教師だということ、卓球部の監督であること、今もインターハイを目指していることなど話した。


「なるほど、それでジャージなんですね」

「すみません。店と不釣り合いですね」

「なにを仰いますか。服装など関係ないですよ。こうしてみなさん楽しく飲んで下さって、こちらとしましては、大変ありがたいお客さまです」

「そうですか」

「いくら高いスーツを身に纏ってらしても、下品な方は山ほどいます」

「そうですか」

「ええ」

「僕、一曲歌おうかな」

「まあまあ~、ぜひ、お聴かせください」


そして日置が歌うと知った大久保らは、やんやの声援を送った。


「朱花さん」

「はい?」

「僕と歌ってください」

「ええっ・・私ですか」

「はい」


そして日置がリクエストしたのは『東京ナイトクラブ』というデュエット曲だった。

やがてイントロが流れ始めると、日置は照れながらマイクを手にした。


「なーぜ泣くのーまつげが濡れてるー」


日置の歌は、まるで棒読みだ。

朱花は優しく微笑んで「好きになったの~もっと抱いてぇ」と色気たっぷりに歌った。


「泣かずに踊ろよ、もう夜も遅い」

「わ~たしがぁ・・す~きだと~好きだと言ってぇ」

「フロアは青くほの暗いー」

「と~てぇもぉ~す~てきなぁ~」

「東京~ナイトクラブ~」


「きゃ~~朱花ママ~」

「いいぞ~~日置さん!」

「ひゃあ~~わしもう・・びっくりじゃけぇ~」

「お待ち~~!」


そこで大久保は、二人の元へ行き、急いで朱花のマイクを引き取った。


「ママ~交代よ~」

「あはは、どうぞ」


そう言って朱花は大久保に譲った。

そして二番が始まった。


「もう~私ぃ~ほしくはないのねぇ~」


大久保は、日置を見つめながら歌った。


「と・・とてもかわいい・・会いたかった・・」


日置も大久保を見ていたが、日置は、もはや歌ってなかった。


「慎吾は気まぐれその時だけね~」

「う・・うるさい・・男と・・言われたくない・・」

「どなたの好み~このジャージぃ~」

「妬くのは・・およしよ・・」

「東京~ナイトクラブ~」


そして二人はラストまで歌い終えた。

いや・・日置は語り終えた。

この場は爆笑に包まれ、やがて日置らは店を後にした。


「虎太郎」


歩きながら日置が呼んだ。


「なに~」

「とても楽しかったよ。誘ってくれてありがとう」

「っんもう~そんなんええのよ~。また行こね~」

「わ・・わしも、連れてってくだせぇ」


高岡が言った。


「あはは、くだせぇって、あんたは渡世人か!」


大久保は高岡の頭をパーンと叩いた。


「いやあ~楽しかったですけぇ」

「そやな~また四人で行こか~」


そして彼らは三々五々、自宅へと向かったのであった。

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