54 浅野と森上の朝練
そして次の日も浅野は小屋へ行った。
昨日と同じ、午前七時だ。
小屋の前に到着すると、ボールの音が聴こえた。
来てる・・
よーし・・思い切り戸を開けるぞ・・
ガラガラ・・
「おはようございます!」
すると振り向いた森上が「浅野先輩ぃ~」と、ニッコリと笑った。
「あれ・・森上さん一人なん?」
「はいぃ、サーブ練習してましたぁ」
「先生は?」
「もうすぐ来ると思いますぅ」
「そっか・・」
そして浅野は靴を履き替えて中へ入った。
「私と打つ?」
「えぇ~~いいんですかぁ」
「あはは、ええに決まってるやん。そのために来たんやで」
「わあ~ありがとうございますぅ」
そして浅野はラケットを持って台に着いた。
「お願いしますぅ」
「ほな、フォア打ちからな」
「はいぃ」
そして浅野はサーブを出した。
スパーン!
男のようなボールが浅野のコートに入った。
うひぇ~すごいパワーや・・
そらそやな・・
練習相手といえば・・先生だけなんやから・・
こんなボールを毎日打ってるんやな・・
それでも浅野はなんなく返球し続けた。
浅野とて、日置や大久保や安住という男性のボールを相手にして来たのだ。
今では、桂山の男性陣とも打っている。
したがってフォア打ちは、造作もないことだった。
小屋の外では、日置が今しがた到着していた。
え・・ラリーの音だ・・
まさか・・また浅野さんが・・?
日置は少しだけ扉を開けた。
すると浅野と森上が打っているではないか。
やっぱり・・
そこで日置は扉を静かに閉めた。
そしてその場で座った。
浅野さん・・毎日来るつもりだな・・
まったく・・どうしようもないな・・
それから十分ほどが過ぎた頃、「カット、受けてみる?」と浅野が言った。
「はいぃ、お願いしますぅ」
「私のバックはイボやけど、フォアとバックどっちがええ?」
浅野は送るコースを言った。
「ああ・・じゃあ、フォアのコースでぇ・・」
「よし、わかった」
そしてラリーが始まった。
森上のドライブを初めて受ける浅野は、驚愕していた。
なんや・・このパワーとスピード・・
めっちゃ押されるやん・・
けれども森上は、イボの変化に対応できずにミスを繰り返した。
「もうちょっと、ゆっくり打とか」
「はいぃ」
そして森上は半分の力で打った。
浅野はイボでカットした。
「当たった瞬間、擦り上げる」
浅野は返球しながらそう言った。
ビュッ!
森上は変化に負けないパワーで返球した。
「そうそう、それやで」
「はいぃ」
何球かラリーが続いたあと、森上がミスをした。
「すみませぇん」
「いや、ええんやけど、今はパワーより、ミスせんと続けることが大事やで」
「はいぃ」
「あんた自身の威力が、ボールにどんな変化をきたすんかを覚えるために、まずは続けて、それを体で覚えることや」
「はいぃ」
「ほな、続けるで」
こうしてドライブとカットのラリーが続けられた。
森上はミスを連発したが、「かめへん。続ける」と浅野は励ました。
「えっとな・・回数を決めよか」
「はいぃ」
「あんたやったら・・そやな、50回で行こか」
「はいぃ」
浅野がそう言ったものの、既に時間は八時を過ぎていた。
「いやっ・・もう時間ないやん」
「ああ・・ほんまですねぇ」
浅野は時間の足りなさを痛感した。
これは難儀やな・・
ドライブだけでも、直ぐに時間が経つ・・
やることは山ほどあるのに・・
そう、単にイボのカットだけを返せばいいというものではない。
裏とイボを混ぜて、その変化にも対応しなければならないのだ。
しかも、ツッツキからのドライブ、ドライブからのスマッシュ、といった具合に、それらをフルコートでやることも不可欠だ。
そしてカットマン相手のフットワークだ。
浅野は日置の苦労を思いやった。
これは大変だ、と。
「ほなら、残りの時間はまたフォア打ちな」
「そうですかぁ」
「調整や」
「はいぃ」
日置はこの間、ずっと二人のやり取りを聞いていた。
そして浅野の的確なアドバイスに、さすがだな・・と思う日置であった。
日置はそのまま、職員室へ向かった。
やがて練習を終え、森上が「先生ぇ、どうしたんでしょうねぇ」と言った。
「さあな・・」
浅野はわかっていた。
おそらく日置は、ラリーの音を聴いて、入って来なかったのだ、と。
「まあ、ええわ。明日も来るからな」
「え・・そうなんですかぁ」
「うん」
「せやけど先輩ぃ・・仕事とちゃうんですかぁ」
「桂山は近いし、仕事は九時からや」
「ああ・・そうなんですねぇ」
「三神に勝たなな」
「なんかぁ、私のために、すみませぇん」
「あんたと阿部さんに、頑張ってもらわなあかんからな」
―――そして浅野の朝練は、毎日続いた。
金曜日の朝、日置はまたラリーの音を小屋の外で聴いていた。
「そうそう、だいぶ、ようなってきてるで」
浅野はカットしながらそう言った。
「はいぃ」
「もっと力込めよか」
「はいぃ」
すると森上はフルパワーでドライブを放った。
ビューン!
うわっ・・きつい・・
でも私がミスしたら、森上さんの練習にならへん・・
くそっ・・
浅野は懸命にカットした。
そして森上のコートにボールが入った。
「それ、ミスしたらあかんで!」
「はいぃ」
とんでもない切れ味のボールだ。
森上は全力で振った。
するとボールは浅野のコートを叩きつけるように入った。
「ぎゃあ~~!」
ボールは浅野のラケットを弾き飛ばすように、後方へ飛んだ。
「ごめん、ミスしてしもた~」
「なんかぁ、すみませぇん」
「なに言うてんねん。ナイスボールや!」
「はいぃ」
「今の、忘れたらあかんで」
「あの・・先輩ぃ」
「なに?」
「私ぃ、先生に訊いたんですぅ」
「なにを?」
「なんでぇ、朝練来ないんですかぁて」
「そ・・そうなんや・・」
「ほならぁ、先生ぇ、なにも言わへんのですぅ」
「そうか・・」
「私ぃ、なんか悪いことでもしたんかと思てぇ」
「それはちゃう。なんか用事でもあるんとちゃうかな」
この会話を外で聞いていた日置は、これ以上、森上を心配させてはいけないと思った。
ガラガラ・・
そこで扉が開いた。
「ああ~先生ぇ」
まるで図ったようなタイミングで現れた日置に、森上は驚いた。
「森上さん、ごめんね」
日置はそう言いながら靴を履き替えて中へ入った。
浅野は黙ったまま、日置を見ていた。
「先生ぇ・・なんか、すみませぇん」
「きみには言ってなかったけど、ここんとこね、ちょっと忙しかったの」
「そうなんですかぁ」
「僕も今日から参加するから、頑張ろうね」
「はいぃ」
「じゃ、私はこれで帰ります」
浅野はそう言いながら、バッグが置いてあるところへ行こうとした。
「浅野さん」
日置が呼んだ。
「はい」
「次は、バックカットで返してやって」
「え・・」
「森上さん、バックに立って」
「はいぃ」
先生・・
私のこと・・
もう・・許してくれたんやろか・・
「浅野さん、頼むよ」
「ああ・・はい」
そして浅野と森上のラリーが再び開始された。
「よし。ストップ」
十分ほど過ぎたところで日置が止めた。
「森上さん、僕のドライブの返球を、きみが返すんだよ」
「え・・」
「浅野さん、フォアでカットしてね。イボだよ」
「はい」
「まず僕が、ここで打つから、その後、きみは僕の立ってる位置へ移動してね」
そして日置は、森上をバックに立たせ、自身はフォアの位置で立った。
「行くよ」
日置がサーブを送り、浅野はカットで返した。
それを日置は、全力でドライブをかけた。
ひいぃ~~・・先生・・殺生な・・
こんなボール・・きつ過ぎる・・
浅野は勢いに押されて後逸した。
「ミスしたら練習にならないんだけど」
「はいっ」
そして同じことが繰り返された。
浅野は懸命になってカットした。
そしてボールはフォアへ入った。
そこに森上が日置と交代する形で、スッと入った。
森上は、全力で振り抜いたが、ネットミスをした。
「すみませぇん」
「ボールが重いでしょ」
「はいぃ」
「でもきみなら、必ず返せる。回転に負けちゃダメだよ」
「わかりましたぁ」
日置の考えはこうだ。
いくら森上にパワーがあるとはいえ、自分ほどではない、と。
そこで自分のドライブの返球であれば、回転の掛かり具合は森上以上だ。
そのボールを返せるようになると、森上自身が放つドライブの返球は、今より楽になるというわけだ。
この練習は、約十分続いた。
たったの十分だ。
あまりにも少なすぎたが、とにかくやれることをやる、と日置は思っていた。
やがて練習を終え、森上は着替えのため部室へ入った。
「先生」
小屋を出て行こうとする日置を、浅野が呼んだ。
「なに?」
日置は立ち止まって振り返った。
「お話があります」
「そう」
そして二人は小屋を出て、校庭に立った。




