52 三者三様
やがて西藤は店を閉めて、奥へ上がって来た。
「慎吾、晩ごはん、食べたんか」
「いや・・まだだけど、ほしくない」
「あんたな!ちゃんと食べな、またピーポーピーポーやで!」
「あはは、なんだよそれ」
「ちょっと待っとき」
西藤はそう言って、台所へ行った。
西藤は冷蔵庫から食材を取り出しながら「彩ちゃんはどしたんや」と訊いた。
日置は聞こえないふりをして、テレビのスイッチを入れていた。
慎吾・・なんかあったんやな・・
西藤はそう思いながら、キャベツを切っていた。
日置はお笑い番組を観て、ゲラゲラ笑っていた。
「大喜利って、頭よくないとできないよね。あはは」
ほどなくして食事が出来上がり、西藤はそれを運んだ。
「ほらほら、ちゃんと食べんといかんで」
「うん、ありがとう」
「慎吾と一緒に食べるん、久しぶりやな」
「そうだね」
「残りもんしかないけど、ほれ、食べ」
「はい、頂きます」
日置は手を合わせてそう言った。
そこで西藤はテレビを消した。
「あんた、なんかあったんとちゃうんか」
「なんかって?」
「知らんがな。こっちが訊いとんねや」
「別に何もないよ」
「彩ちゃんは、どないしたんや」
「やっぱりおばあちゃんの野菜炒め、美味しいね」
「なるほど、それが答えやな」
「なんだよ・・」
「顔に書いとるがな」
日置は、とっくに悟られていると観念し、打ち明けることにした。
「あのさ・・」
そこで日置は、今回の事の経緯を詳しく説明した。
日置は至って真面目に話していたが、西藤は時々笑い飛ばしていた。
その度に日置は、唖然としていた。
「まあまあ~かわいいもんやな。ままごとやがな」
「なんだよ・・」
「それで、あんたはどうすんねや」
「どうするって・・もう僕は、うんざりなんだよ」
「へぇー」
「だってさ、僕に何も言わずに勝手に決めちゃって。どうしてこうなるんだか」
「そらな、付き合うてたら、色々ある。ケンカなんて当たり前や」
「僕の場合はケンカじゃないんだよ」
「まあな。あんたの与り知らんこっちゃからな」
「僕、こんな不毛なこと、嫌なんだよ」
「まあ、どうするかは慎吾が決めるこっちゃ」
「うん」
「肝心なんはな、あんたが彩ちゃんのことが好きかそうでないかや」
「え・・」
「もし、まだ好きなんやったら、軽はずみなことはせんこっちゃで」
「軽はずみって?」
「あんた、別れるて言うたんやろ」
「うん」
「それで後悔せんのか?」
「・・・」
「あのな、まだ好きなんやったら、別れるやなんて、簡単に言うこととちゃうで」
「・・・」
「言うとくけどな、彩ちゃんがあんたのこと、この先も思い続ける保証はどこにもないんやで」
「・・・」
「ええ気になっとったら、痛い目に遭うで」
「どういうことだよ」
「向こうがあんたのこと、うんざりすることもあると思わんのか」
日置は思った。
確かに小島から別れるとか、嫌いだとか言われることなどない、と。
それは自分が自惚れているのか。
思えば日置の恋愛は、常に相手が日置を好き過ぎて、それがため不毛な言い争いをした。
吉岡がそうだった。
日置が大阪へ赴任した時、日置は小島らを育てるため、吉岡を蔑ろにしていた。
それに業を煮やした吉岡は、突然来阪し、言い争いになったことがきっかけとなり、別れるに至ったのだ。
つまり、日置が相手のことで思い悩むことなどなかったのだ。
「なあ、慎吾」
「なに?」
「彩ちゃんはええ子や。でも若い。その若さに免じて許したったらどうや」
「・・・」
「大人同士の恋愛でも、諍いは絶えずある。それが世の常や」
「・・・」
「ちょっとは若い子の気持ち、わかったらな。かわいそうに彩ちゃん、今頃、泣いてるで。浅野さんかて、死ぬほど後悔してるはずや。悪いんはあの子らやない。その早苗やがな」
「そうだけど・・」
「まあ、よう考え」
―――その頃、小島家では。
小島も今しがた、母親の誠子に今回のことを話していた。
「あらまあ・・そうやったんかいな」
「うん・・」
「あんた、先生から電話があっても居留守使うし、どうなったんかと心配してたんやで」
「うん・・ごめん・・」
「まあ今回のことは、あんたと浅野さんの早とちりのせいやな」
「もうな・・先生、別れる・・て」
そこで小島は泣き出した。
「そら先生の気持ちもわかるわ」
「・・・」
「とんだ濡れ衣やからな」
「・・・」
「別れるんが嫌なんやったら、誠心誠意、謝ることやわ」
「でも・・許してくれるとは思われへん・・」
「ほんなら、なんもせんつもり?」
「え・・」
「許してくれへんから、なんもせんの?」
「そんなん・・」
「あんたな、言うとくけど、傷ついてるんは先生の方やで。逆の立場やったらどうよ」
「・・・」
「先生が、あんたや浅野さんと同じ事したら、どうなんよ」
「うん・・」
「先生、その昔の恋人に帰れって言わはったんやろ?あんたを心配させたくないからて」
「うん・・」
「もうお母さんさ、先生のその気持ちだけで胸が苦しくなるわ」
「・・・」
「どんだけあんたのこと、想ってくれてはるかわかるか?」
「・・・」
「普通な、男いうたら、魔が差すもんなんや。ましてや昔の恋人やろ。部屋で二人という状況下では、そうなることなんて、むしろ当たり前なんやで。ほんで、黙ってたらわかれへんってなもんや」
「そ・・そうなん・・?」
「そうや。あんた、どんだけ先生に想われたら気が済むんよ。自分の気持ちばっかり先走らせて。ちゃんと謝る。これしかないで」
―――同じ頃、浅野家では。
浅野は三宅に電話をしていた。
この三宅は、松吉高校出身で、ある偶然がきっかけで浅野と出会った。
浅野に一目惚れした三宅は、何度もアプローチし続けたが、悉く失敗に終わっていた。
けれども浅野は、試合で三宅に何度もピンチを救われ、三宅の人間性を知って行くうちに、浅野も三宅に惹かれつつあった。
「と・・いうことやねん・・」
浅野はたった今、事の経緯を説明し終わった。
「ありゃあ・・浅野さん、えらい先走ったな・・」
三宅も返答のしようがなかった。
「私・・どうしたらええと思う?」
「どうしたらてなぁ・・日置監督、傷ついてると思うで・・」
「うん・・」
「謝るしかないんちゃうかな」
「そやな・・」
「俺、思うんやけどな、日置監督て、そもそも二股かけるような人やないし、なんか疑いがあっても、絶対、理由があると思うねん」
「うん・・」
「せやから今後は、まず日置監督に話をする、話を聞く、これを頭に置いとったらええんちゃうかな」
「うん・・」
「日置監督は優しい人やし、ずっと怒ってるってことないと思うで」
「そうなんやろか・・」
「そうやって。っていうか、いくら優しい人でも、今回のことは怒るって。俺かてそうなるわ」
「でもさぁ・・このまま先生と彩華が別れることになったら・・私、もうどうしたらええんか・・」
「いや、それはないやろ」
「なんでよ」
「あの二人、好きで付き合ったんやろ?」
「うん」
「で、今回のことは誤解やった。別れる理由がないやん」
「いや・・前にもあったんよ。同じようなことが」
「え・・」
「んで、先生は、また同じようなことがあれば、無理だからって、言うてはったんよ」
「そうなんか・・」
「だから私・・心配してんねん・・」
「あっ!」
そこで三宅は突然叫んだ。
「なによ」
「いや・・桐花の子、なんていう子やったかな」
「え・・後輩のことか?」
「うん」
「森上さんと阿部さん」
「あああ、それそれ、森上さんや」
「どしたんよ」
「森上さんて、練習時間足りんのやろ?」
「そやねん。家の手伝いせんといかんし、土日はバイトあるし。練習いうたかて、朝だけやねん」
「それやん!」
「なによ」
「浅野さん、朝練、行ったったらどうや」
「え・・私がか?」
「桐花と桂山て、近いやん。出勤前に行ったったら?」
そうか・・
森上さんの練習相手か・・
あ・・そう言えば・・
大久保さん、三神のイボにしてやられたて・・言うてはったな・・
そもそも阿部さんも森上さんも、練習相手いうたら、先生だけや・・
違うラバーとは、できひんのや・・
そうか・・そうやん!
先生て、なにを喜ぶかていうたら、これ以外ないやん!
「三宅くん!」
「なに?」
「あんた、ほんまにいつも、私のピンチを救ってくれるな」
「ええ~~そんなことないで」
「いや、今回もそうや。うん、練習の相手するわ」
「それがええと思うで」
「ありがとう~~数馬くん」
「えっ・・ええ・・えええええ~~!」
三宅は下の名前で呼ばれて、気絶しそうだった。
「あはは、なに叫んでんのよ」
「かっ・・か・・かっ・・」
「あはは、カラスか」
「これからもそう呼んで!」
「うん、わかった」
「ほ・・ほなら・・俺も、たくちゃん・・いや、男みたいやな。えっと・・みーちゃん、うん、みーちゃんて呼ぶ!」
「みーちゃん、はーちゃんみたいやな」
「そ・・そうか・・ほなら・・なにがええかな・・」
「なんでもええで」
「いやっ・・なんでもええことない・・そやな・・多久美の・・くみちゃん。くみちゃん!これどう?」
「うん、ええよ」
「やった~~~!くみちゃん、くみちゃぁ~~ん」
「気持ち悪いねん」
「ごっ・・ごめん・・」
「嘘や、嘘」
「くみちゃ~ん。うわあ~なんか、すごく親しみ感じる!」
「そうか」
「くみちゃ~ん、俺と付き合うて」
「調子に乗んな!」
「ひえぇぇ~~今の、聞かんかったことにして・・」
「数馬くん、ほな、そろそろ切るわな」
「うん、またな~くみちゃ~ん」
「あはは、ほなな」
そして浅野は電話を切った。
三宅くん・・いや・・数馬くん・・
ありがとう・・
あんたに救われるん・・何度目やろ・・
数馬くんて・・やっぱり相性がええんかな・・
そして浅野は、翌日から朝練に向かうことを決めた。




