5 陰湿ないじめ
―――「次は、ひおきんやわあ~!」
三時間目が終わった休み時間、一年三組の教室では、みんな体操服に着替えていた。
「でも私~、跳び箱苦手やからなあ」
「え、それ、わざと言うてるやろ」
「ほんまや。ひおきんに、触ってほしいからやろ」
「あはは、わかったー?」
と、このように、あちこちから日置の授業を楽しみにしている生徒から声が挙がっていた。
そんな中、森上は、たった一人で着替えていた。
「森上」
中尾が声をかけた。
中尾の横には、木元と石川も立っていた。
「なにぃ」
森上は、迷惑そうに中尾を見た。
なぜなら、またパンを買いに行かされると思ったからだ。
「なによ、その顔」
「別にぃ・・」
「授業が終わったら、わかってるんやろな」
「・・・」
「ちょっと、こいつ返事もせぇへんで」
中尾は、木元と石川に向けて言った。
「返事しぃさ」
木元が森上を突いた。
「や・・やめてぇやぁ・・」
「ふんっ、でかい図体して、気持ち悪いねん」
石川も、森上を突いた。
「あんたさ、友達もいてへんくせに、私らに相手してもらえるだけでも感謝せなあかんやろ」
中尾が言った。
「わ・・わかったぁ」
「最初から、そう言えよ」
中尾は森上を睨んでいた。
そして三人は、パンの代金を森上に渡した。
「りっちゃん、それより次は、ひおきんやで」
「そうそう、憧れのひおきん~」
木元と石川も、日置に熱を上げている。
「そやな。ほな行こか」
そして中尾は、わざと森上にぶつかり、三人は体育館へ向かった。
なんで・・私ばっかり・・
森上は肩を落として教室を後にした。
―――ここは体育館。
「はい、今日は、跳び箱です。あまり自信がない人は三段からでいいからね」
フロアには、三段、四段、五段、六段と、それぞれレベルに合わせて箱が置かれてあった。
「はぁ~~い!」
「飛べる人は六段からでいいよ」
「はぁ~~い!」
みんなが元気よく返事をする中、森上は大きな体を小さくして、下を向いて座っていた。
「じゃ、それぞれに分かれて順番に飛んでください」
そして生徒たちは、飛び始めた。
三段に並ぶ者は、恐る恐る走っていた。
「いいかい、ここに手をついてね」
日置は、跳び箱の端の部分を指した。
「手を置いたら、その勢いでグッと体を前に出す。怖くないからね」
日置は、三段の箱の横で、走って来る者たちの補助をした。
すると、次第に三段の場所に、長蛇の列が出来た。
「あれ、きみたち、さっきは五段も六段も飛べてたよね」
「やっぱり怖いんです~」
「そうなんで~す」
「私もひおきんに補助してもらいたいです~」
生徒たちは、おのおの、そんなことを言っていた。
「ダメダメ。そんなんじゃ、合格点あげないよ」
「ええええ~~!」
「ほら、飛べる人は、向こうへ行って」
「はぁ~い」
そして飛べる者は、また散らばった。
そんな中、森上は、もくもくと六段をいとも簡単に飛んでいた。
日置は森上を見て、「すごい身体能力だ・・」と思っていた。
森上には、六段など、まだまだ余裕があった。
こうしてしばらくの間、練習が続けられた。
チャリーン
そこで硬貨が床に落ちる音がした。
「あ・・」
森上は急いで小銭を拾っていた。
そう、これは中尾らから渡されたお金だった。
「森上さん」
日置が森上の元へ駆け寄った。
「授業に、お金持って来たらダメだよ」
「す・・すみませぇん」
「それ、何のお金なの?」
「ああ・・パンですぅ」
「なるほど。授業が終わってすぐに買いに行くつもりなんだね」
「はいぃ・・」
「それは一旦、教室に戻ってからじゃないとダメだよ」
「・・・」
「それ、僕が預かっておくから」
「え・・」
「邪魔でしょ」
日置はニッコリと微笑んだ。
そこで森上は、中尾を見た。
中尾は、すぐに目を逸らした。
そして森上は、拾った小銭と、まだポケットの中に入っている小銭を日置に渡そうとした。
すると、その際、一万円札も出てきたのだ。
「あっ・・」
森上は慌てて一万円札をポケットに戻した。
「森上さん」
「・・・」
「そのお金、なんなの?」
これは中尾の札であった。
「なんでもありませぇん・・」
「ちょっと大金過ぎるよね」
日置は、おかしいと思った。
なぜなら、パンを買うなら一万円札だけでいいからだ。
「っていうか、きみ、学校にこんな大金、必要ないでしょ」
「・・・」
「それ、親御さんから貰ったの?」
「・・・」
「とにかく、そのお金も、僕が預かっておくから」
森上は、仕方なく日置に全額を渡した。
全部で、一万五百五十円もあった。
そして再び、跳び箱は続けられた。
六段のところに並んでいるのは、森上と、中尾らだけだ。
「あんた、いらんこと言うたら、ただで置かへんで」
中尾が小声で言った。
「う・・うん・・」
「さっさと飛びぃや」
木元が森上を押した。
「ほら、ひおきんが見てる。はよ行け」
石川も押した。
そして森上が走り出した時だった。
中尾が森上の足を引っかけ、森上はその場に倒れた。
「いやあ~森上さん、大丈夫?」
中尾はわざと心配するふりをした。
「ほんまや~、慌てたら危ないよ」
「痛かったんちゃう?」
木元も石川も、日置から見えないように、森上の体を突いたり、つねったりしていた。
「森上さん」
日置が走ってきた。
「大丈夫?」
森上は立ち上がって「大丈夫ですぅ・・」と小声で言った。
「慌てないようにね」
「はいぃ・・」
そして日置は、再び三段の補助へ向かった。
「あんた、ひおきんに優しくされて、ええ気になったらあかんで」
中尾が言った。
「そんなん・・」
「なんか、腹立つわ」
「ほんまや」
「関取のくせして」
そこで森上はたまらず、日置の元へ行った。
「ちょ・・あいつ、ひおきんに言うんとちゃうやろな」
中尾が心配した。
「言うたら、タダじゃ置かんで」
「もっと酷いことしたるで」
森上に気が付いた日置は「どうしたの?」と訊いた。
「あのぅ・・ちょっとしんどいんでぇ・・」
「え、大丈夫なの?」
「熱が・・あるかもしれませぇん」
「えっ」
そこで日置は、森上のおでこに手を当てようとした。
すると森上は、咄嗟に避けた。
「森上さん・・」
「あのぅ・・休んでてもええですかぁ」
「熱があるなら、保健室へ行かなくちゃね」
「いえぇ・・座ってたら大丈夫ですぅ」
「ダメダメ。えっと、保健委員」
日置が呼んだ。
すると保健委員の、阿部が「はい」と返事をした。
「きみ、森上さんを保健室へ連れて行って」
「はい」
そして阿部は、森上を伴って保健室へ向かった。
この阿部は、特に日置に熱を上げてるわけでもなく、森上に対しても、話こそすることはなかった、いわゆる、普通の女子だった。
「森上さん、大丈夫?」
「う・・うん・・」
そんな阿部でも、森上が中尾らに嫌がらせを受けていることは知っていた。
けれども、森上を助けたりすると、標的が自分に向くのではないかとの懸念があった。
というより、そもそも、はなから助ける気もなかったのである。
いわゆる「傍観者」というやつだ。
それでも、気の毒には思っていた。
「先生」
二人は保健室へ入り、阿部が岸田を呼んだ。
「どしたん?」
岸田は五十代の、ベテラン女性教師であった。
「森上さん、しんどいみたいで」
「そうなんや。森上さん」
岸田が椅子に座るよう、促した。
そして森上は椅子に座った。
「ほな、先生、お願いします」
阿部はそう言って、保健室を出て行った。
「どんな風にしんどいんや?」
「はいぃ・・」
森上は小さくなっていた。
「あはは、遠慮せんでもええよ」
「ちょっと・・体育がしんどくてぇ」
「なんやったん?」
「跳び箱ですぅ」
「そうなんや」
岸田も森上の運動神経の良さは知っていた。
他教科ならともかく、森上の得意とする体育で疲れを見せるのが、少し不思議に思った。
「ああ、もしかして生理?」
「違いますぅ・・」
「そうなんや。ちょっと待ってな」
岸田はスチール棚の引き出しから、体温計を出した。
そして森上に熱を計らせたが、平熱だった。
「うーん、熱はないみたいやな」
「・・・」
「なんか悩みでもあるんとちゃうの?」
「ないですぅ・・」
「そうか・・」
「・・・」
「ま、昼休みになるまで、ここで寝とき」
岸田はベッドで横になるよう、促した。
そして森上は、仕方なくベッドへ入った。
もう・・学校・・やめよかな・・
こんな風に思う、森上であった。