49 続くボタンの掛け違い
―――季節は七月に入った週末の土曜日。
明日は、実業団の予選の日である。
桂山の彼ら彼女らは、たった今、練習を終え、それぞれ更衣室に入ったところだった。
「明日は府立の本館やな」
為所が言った。
「いよいよデビュー戦か。なんか高校の時と違って、別の緊張感があるな」
杉裏が言った。
「桂山の名前があるからな。何としてでも予選突破せなな」
「1ダブル6シングルなんやろか~」
「オーダーは、遠藤さんに相談する?」
「大久保さんの方がええんとちゃう」
彼女らは着替えながら、口々にそう話していた。
小島と浅野も、日置との大問題があったが、遠藤に指摘されたこともあり、自分の感情は出さずにここまで来た。
「今日は、どこも寄らんと帰ろか」
小島が言った。
「そやな。明日に備えて、道草はご法度やな」
外間が答えた。
「蒲ちゃん、遅刻したらあかんで~」
井ノ下は蒲内の頭を撫でながらそう言った。
「ああ、そう言えばな~、こないだ先生見たよ~」
蒲内がそう言うと、小島と浅野の動きが止まった。
「へぇー最寄り駅でか?」
岩水が訊いた。
「うん~、阿部さんと歩いてたわ~」
「ああ~練習の帰りか」
「先生な~、ニコニコ笑って楽しそうに話してたわ~」
浅野は内心、彩華から連絡もないくせに、ようも笑ろてられるもんやな、と呆れた。
そして、平気なんや、とも思った。
「彩華」
為所が呼んだ。
「なに?」
「明日、先生来るん?」
「いや、来ぇへんけど」
「ああ、阿部さんの練習があるもんな」
「うん」
「彩華~応援に来てほしいよな~」
蒲内が訊いた。
「まあ、そやけど、阿部さんの練習の方が大事や」
そして彼女らは着替えも済ませて、桂山を後にした。
「なあ、彩華」
小島と浅野は、二人で歩いていた。
「なに?」
「先生さ、なんとも思てへんのやな」
「まあな・・」
小島はため息交じりにそう答えた。
「内匠頭」
「ん?」
「やっぱり先生、私とは遊びやったんちゃうかな・・」
「彩華から連絡もないのに、平気ということは、まあ、そういうこっちゃな」
「はぁ・・」
「あのさ」
「ん?」
「もし別れることになっても、私はこのままでは済まさへんで」
「え・・」
「前にも言うたけどな、彩華を弄んで別れるやなんて、人として許されへんことやで」
「なんか私さ、この一週間、あれこれ考えてたら、なんか疲れてな・・」
「そらそうやわ」
「恋愛って、楽しいことばかりやないんやな」
「あんたのは恋愛とちゃうで。彩華が一方的なだけやん。いわば片思いやで」
「そうなるよな・・」
「どうやって、いわしたろかな・・あのおっさん」
―――ここは浅野の自宅。
ルルルル・・
電話が鳴った。
「もしもし、浅野でございます」
受話器を取ったのは浅野の母親だった。
「もしもし、わたくし桐花学園の日置です。どうもご無沙汰しております」
「あら~~先生。こちらこそ、在学中は娘が大変お世話になりました」
「いえ、とんでもないです」
「ああ、多久美ですか?」
「はい、もう帰宅されましたか」
「はい。お待ちくださいね」
そして母親は「多久美~~!」と叫びながら、二階にいる浅野を呼んだ。
「なに?」
浅野は自室のドアを開けて訊いた。
「日置先生から電話やで」
「えっ・・」
「なにびっくりしてんのよ。はよはよ」
そして浅野は、急いで下へおりた。
「ちょっと、向こう行っといてくれる?」
浅野が母親に言った。
「なんでよ」
「ええから」
浅野は手で、しっしっという仕草をした。
母親は、むくれながらもこの場を去った。
そして浅野は受話器を手にした。
「もしもし」
「あ、浅野さん。明日試合なのにごめんね」
「なんですか」
浅野は突き放したような話しぶりだった。
「いや、訊きたいことがあるんだけど」
「はい」
「小島なんだけど、いつかけてもいないんだけど、浅野さん、なんか知ってる?」
なんとかして・・ギャフンと言わせたいな・・
どうしたらええかな・・
うーん・・
「浅野さん?」
「なんですか」
「あの・・どうしたの?」
どうしたやと・・?
こっちのセリフじゃ!
そこで浅野は、あることを思いついた。
「彩華のことですか」
「うん」
「先生、申し訳ないんですけどね」
「なに・・?」
「いや・・私から言うことちゃうな」
どうやって・・じらしたろかな・・
「なんだよ」
「彩華ね」
「うん」
「ああ~どうしょうかな・・」
「浅野さん・・」
「まあ、先生は聞いてもなんとも思わんでしょうけどね」
「だから、なんなの」
日置は、少々イラついていた。
「彩華ね」
「うん」
「実は、好きな人ができたんです」
どや!彩華の気持ちを思い知れ!
「え・・」
「なんか・・こんなん言うたら失礼ですけど、先生て・・やっぱり、その、どういうんか・・」
「はっきり言えば」
「おっさんですやん」
「・・・」
「彩華、十八でしょ。やっぱりね・・年の差っていうか・・」
「小島に好きな人がいるって、ほんとなの」
好きな人がいててもええやろ!
どの口が言うとんねん!
「口止めされてたんですけどね、こればっかりは、しゃあないですって」
「・・・」
「だから彩華は連絡もせんかったし、電話にも出ぇへんかったんですよ」
「小島が居留守を使ったってこと?」
「仕方がないですよ」
「そうなんだ。わかった」
「まあ、先生には気の毒ですけど、そういうことですわ」
「遅い時間に悪かった。明日、頑張ってね」
「言われんでも頑張りますし。ガチャン」
そして浅野は電話を切った。
それにしてもムカツク・・
浅野はまだ日置を許せなかった。
それどころか、小島に好きな人がいると聞かされても、平然と答えることが気に入らなかった。
やはり、ショックではないのだ、と。
小島がダメなら、次があるとでも思っているのか、と。
いや、吉岡と「元サヤ」の関係に収まるつもりか、と。
―――一方で日置は。
浅野の様子は変だった・・
たとえ彩ちゃんに好きな人ができたとしても、浅野ならあんな言い方はしない・・
むしろ、僕に報せまいとするはずだ・・
でも・・彩ちゃんが居留守を使ったというのは、事実かもしれない・・
彩ちゃんなら、外からでもかけてくるはずだ・・
けれども・・それもない・・
日置は小島と浅野の間で何かあったと確信した。
それが、自分に関係しているであろうことも。
なぜなら、自分に対する浅野の態度が、全くこれまでと違うからだ。
そしてその「問題」は、自分が一番嫌なことではないのか、と。
そう、日置はなんらかの誤解が生じていると悟った。
そして小島に好きな人がいる、ということも嘘だとわかっていた。
日置はどうしたものかと、頭を抱えた。
けれども一度、小島と話さないことには、解決に至らない。
日置は、そのことさえ、もはや面倒に思えてきた。
そして話し合った結果、また誤解だとすれば、もう無理だと思っていた。
―――その頃、浅野は。
日置との電話を切った後、直ぐに小島にかけていた。
「もしもし、小島です」
出たのは誠子だった。
「おばさん、こんばんは。浅野です」
「ああ~浅野さん、こんばんは」
「彩華、いてます?」
「うん、ちょっと待ってな」
そして誠子は小島を呼びに行った。
ほどなくして下りてきた小島は受話器を手にした。
「もしもし、私やけど」
「ああ、彩華」
「どしたん?」
「今な、先生から電話があってな」
「えっ・・」
「ほんでな――」
浅野は日置とのやり取りを説明した。
「ええ~~私に好きな人て・・」
「ええやん。ちょっとは彩華の気持ちを思い知ったらええねん」
「ほんで・・先生はなんて?」
「そうか、わかった、だけ」
「そうなんや・・」
「取り乱すこともなく、平然としてたで」
「そうか・・」
「だから、そういうことにしとくんやで」
「え・・」
「先生が、ほんまに彩華のこと好きやったら、絶対に何か言うてくるはずや。来んかったら、そのまま別れるべきやで」
「・・・」
「もう、私さ、早苗さんのこと言うたろかと思たけど、私がそこまで言うこととちゃうやん?自分で気が付いてるはずやのにさ」
「まあ・・な・・」
「彩華に報せとこと思てな。ほんで電話したんよ」
「うん、ありがとう」
「気分悪いやろけど、避けて通れんことやからな」
「うん」
「ほな、明日、頑張ろな」
「わかった。おやすみ」
そして二人は電話を切った。
けれども明日、日置は試合場に現れるのであった。




