48 降りかかる苦悩
―――翌日。
ガラガラ・・
日置は朝練のため、小屋の扉を開けた。
森上さん・・まだ来てないんだ・・
日置は靴を履き替え、扉を閉めた。
日置は一刻も早く、試合の状況を聞きたかった。
中井田にどうやって勝ったのか、どんな選手だったのか、そして三神にどんな試合をしたのかが、気になって仕方がなかった。
それにしても森上さん・・
やっぱり僕が思った通りだ・・
殆ど練習してないにもかかわらず、中井田に勝つなんて・・すごいよ・・
日置はバッグからラケットを取り出し、ドライブの素振りをした。
どんなドライブ出したのかな・・
見たかったなあ・・
ガラガラ・・
そこで扉が開いた。
「先生ぇ・・」
「森上さん、おはよう」
日置はニッコリと笑った。
「森上さん、昨日はごめんね」
「いえぇ、先生ぇ、もう大丈夫なんですかぁ」
「うん、熱も下がったし、平気だよ」
森上は靴を履き替えて中へ入り、扉を閉めた。
「先生ぇ・・昨日は、わざわざ家まで来てくれはったんですねぇ」
「ああ、ご両親が心配されてね。きみがいなくなったって」
「すみませぇん」
「で、ご両親は、試合に出たこと、なんて仰ってたの?」
「黙って出たらあかん、言うてましたぁ」
「そりゃそうだよ」
「ほんでぇ、これからは試合に出てもええて、言うてましたぁ」
「そうなんだね。でも、バイトはどうするの?」
「それはぁ、これから店長と相談しますぅ」
「きみ、小島って子と交代したでしょ」
日置は訳知り風に訊いた。
「え・・なんで知ってはるんですかぁ」
「僕、帰りにパン屋へ寄ったんだよ」
「えぇ・・そうやったんですかぁ。私ぃ、小島先輩に口止めされてましてぇ」
「まったく・・いけない先輩だね」
「小島先輩はぁ、悪くないですぅ」
「うん、わかってるよ」
日置はニッコリと笑った。
「昨日、中井田に勝ったんだってね」
「はいぃ」
「どんな選手だったの?」
「裏の前陣タイプでしたぁ」
「そうなんだ。で、どんな試合だったの」
「サーブが取れなかったんですがぁ、向こうはドライブを返せませんでしたぁ」
「なるほど」
日置はレシーブの練習不足を痛感した。
そして、この点は今後、いくらでも改善できると思った。
「レシーブミスは、全く気にしなくていい。それより向こうはドライブが返せなかったんだね。これで十分だよ」
「はいぃ」
「それで三神は?」
「えっとぉ、裏とイボのカットマンでしたぁ」
「ああ・・イボだったんだ」
「向こうはぁ、殆どイボで返してきたんでぇ、私はミスばかりしてましたぁ」
「カウントは?」
「9点と7点で負けましたぁ」
「うん、わかった」
「すみませぇん」
「なに言ってるの。よく頑張ったよ。イボの対処はこれからだね」
「先生ぇ」
「なに?」
「私ぃ、もっと練習したいんですけどぉ、どうしたらええですかぁ」
「うん・・そこなんだよね」
こればっかりは、日置もどうすることも出来ない。
「また考えるよ」
「はいぃ」
「きみは、一個一個の技術は、教えたことはすぐに出来る。でもね、試合は応用だからね」
「はいぃ」
「まずは、基礎を全部マスターして、そこからが応用になるからね」
「はいぃ」
「焦っても仕方がない。やれることを全力でやろうね」
「わかりましたぁ」
そして練習が始まった。
日置は、森上を調整するため、フォア打ちだけを行った。
なぜなら、イボで手元が狂わされているに違いないからだ。
日置は、焦ってはいけない、と自分に強く言い聞かせた。
時間は流れている。
必ず光明が射す日が来ると信じていた。
―――そして放課後。
阿部は日置が来る前に、ボールを一つ手に取って、台の上で両手でクルクルと回していた。
これが・・右に回転する・・
ほんで・・これが左に回転する・・
そして阿部は、右手の人差し指でボールの上を手前に擦り、ピョンと転がしてみた。
するとボールは、前に転がったが手前に戻って来た。
なるほど・・これが下回転か・・
ガラガラ・・
そこで扉が開き、日置が入って来た。
阿部は、ボールを手にした。
「阿部さん、早いね」
「先生、もう大丈夫なんですか」
「うん、昨日はごめんね」
日置はそう言いながら靴を履き替え、中に入った。
「なんか昨日は、電話デーでした」
「あはは、そうだよね」
「恵美ちゃんの試合が終わった後でしたけど、先輩方も来てくださいました」
「そうなんだ。阿部さん、一回戦から三神だったんだってね」
「はい、すごく強かったです」
「カウントは?」
「3点と4点で負けました」
「そっか。タイプは?」
「ペンの裏で、前陣速攻でした」
「でも三神相手に、7点も取れたなんて大したもんだよ」
「もっと練習します」
「うん。じゃ準備体操してね」
「もう、しました」
「おお、さすがだね。じゃ、まずフォア打ちからね」
日置は阿部とフォア打ちを三十分行った。
次はショートだ。
阿部のショートは、まだ定着していない。
日置は、ひたすらボールを打ち続けた。
「ボールは、僕が立ってるところに必ず返すこと」
日置は打ちながらそう言った。
「はいっ」
阿部は小さな体でチョコチョコと動きながら、懸命に返していた。
「それっそれっ」
日置は声を出しながら打っていた。
やがてショートも終わり、五分休憩することにした。
「ずいぶん、よくなったね」
日置と阿部は、向かい合って座っていた。
「そうですか!」
「フォア打ちもそうだけど、ショートもツッツキも、必ずラリーを続けることが大事だよ」
「はいっ」
「それでね、阿部さん」
「はい」
「基本をマスターしたら、きみを卓球センターへ連れて行くつもりなんだけど、それはいいかな」
「ああ、先輩方もよく行ってはったところですね」
「よく知ってるね」
「はい、日誌を読みましたから」
「きみは、勉強家だね」
日置はそう言いながら、阿部の頭を撫でた。
すると阿部は嬉しそうに笑った。
「センターへ行くとね、いろんなタイプの人がいるから、練習になるよ」
「そうなんですね」
「試合になると、それこそ多種多様な選手だらけ。勝つためには、必ずそれらを克服しないとね」
「わかりました!」
「ああ、それと、きみに頼みがあるの」
「なんですか」
「毎日の練習の記録を書いてほしいんだよ」
「ああ、日誌ですね」
「うん。それときみがキャプテンね」
「ええ~恵美ちゃんの方が強いですよ」
「いや、キャプテンはきみ。いい?」
「はいっ!わかりました」
日置は森上だけでなく、阿部も必ず強い選手に育てると決意していた。
阿部も素人だが、なによりやる気がある。
そしてマンツーマンだけに、練習時間もたっぷりと取れる。
けれども、タイプの異なる者と打たなければ、試合では勝てない。
それで日置は、まだ先になるが阿部をセンターへ連れて行くと決めていた。
日置は、こうも思っていた。
イボのカットマンだ。
それなら浅野に来てもらい、森上のドライブを受けてほしいと考えたが、それは、はなから無理というもの。
そもそも森上は、放課後の練習はできない。
まさか浅野に、出勤前に来てもらうなど、頼めるはずもない。
自分がイボでカットしたところで、森上の練習にはならない。
どうしたものか、と。
―――そしてこの日の夜。
日置は帰宅してから、小島に電話をかけようと思った。
昨日のお礼を言うためと、浅野との話が何だったのかを聞くためだ。
そして日置は受話器を取り、ボタンを押した。
「はい、小島です」
出たのは母親の誠子だった。
「どうも、ご無沙汰しております、日置です」
「ああ、先生。こちらこそ、ご無沙汰しております」
「彩華さんは、ご在宅でしょうか」
「ああ・・それがですね、まだ帰っておりませんで・・」
「そうなんですか。練習ですよね」
「ああ・・はい、そうです・・」
その実、小島は自宅にいた。
小島は、日置から電話がかかって来ても「いない」と言ってくれと誠子に頼んでいた。
誠子はソファに座る小島をチラチラと気にしながら、日置に対応していた。
「そうですか。では、また日を改めて連絡しますので、彩華さんによろしくお伝えください」
「はい・・どうも、すみません」
「では、失礼します」
「失礼します・・」
そして誠子は受話器を置いた。
「ちょっと、彩華」
誠子はそう言いながら、小島の正面に座った。
「あんた、先生とケンカでもしたんか?」
「いや、してへんよ」
小島はテレビ画面を見ていた。
「ほなら、なんで、いてないなんて嘘を言うんよ」
「まあ、色々とありまして」
「やっぱりケンカやないの」
「そやな。そんなもんかな」
「あんた、先生にわがまま言うてんのとちゃうの」
「そうそう。私のわがままです」
小島は少々、辟易としながら「寝るわ」と言って二階へ上がった。
その実、小島は日置と話をするのが怖かった。
おそらく日置は、いつものように「彩ちゃん」と言いながら、優しく話すに違いない。
けれども今の小島にとって、その「優しさ」は、自分を騙すための「芝居」としか思えない。
そうなると、自分は感情を抑えられなくなる。
きっと、日置を責めるであろう、と。
日置は当然、気分を害するだろう。
吉岡とのことを隠すためにも、きっとそうするであろう、と。
その先に待っているのは何だ。
「別れ」しかないではないか、と。
小島は、日置と別れたくなかった。
なんなら、二股のままでもいいから、日置の傍にいたかった。
とはいえ、小島にもプライドがある。
実際、二股など、耐えられるはずがないのだ。
色々と考えを巡らせた結果、浅野の進言通り、電話に出ない、こっちからも連絡しない、という「策」を取ったのだ。
そしてこの「策」は、何日も続いた。
さすがにおかしいと思った日置は、浅野に訊いてみることにしたのだ。




