46 練習不足
第1セットはまだ始まったばかりだ。
現在は5-5の同点となっていた。
須藤は、裏とイボのカットマンだった。
須藤は当初、森上のパワードライブを返せずにいたが、それはあくまでも「様子見」のミスだった。
そう、威力がどれほどのものか確かめていたのだ。
方や森上は、裏でのカットはミスも少なかったが、イボの対処に徐々にペースを狂わされつつあった。
そもそも森上は、日置の裏以外は対峙したことがない。
それがイボともなると、その複雑な回転など見極められるはずもないのだ。
つまり森上がパワードライブを打てば打つほど、とんでもない下回転のかかったボールが返って来る。
逆に、ツッツキなど、下回転で返すと、須藤のボールはナックルで返ってくるのだ。
いつもは選手に任せてベンチにつくことがない皆藤も、さすがに森上戦にはついていた。
「須藤くん」
皆藤は、ボールを拾いに来た須藤に声をかけた。
「はい」
「ここから一気に離しなしい」
「はい」
須藤は、なんら焦りもなかった。
そう、もう森上の弱点を見抜いていたからだ。
それは皆藤もわかっていた。
なんか・・ラケットをクルクル回してる・・
打ちにくい・・
「森上ちゃん、タイムよ~」
大久保がそう言うと、森上はタイムを取りベンチに下がった。
「森上ちゃんのドライブね、すごくいいんやけど、威力があればあるほど、恐ろしい下回転で返って来るのよ」
「そうですかぁ」
「せやから、狙うラバーは裏がええんやけど、相手はラケットを回してイボで対処してくる。ここから先は、全部イボで返って来ると思たほうがええわ」
「イボて・・なんですかぁ」
「特殊なラバーなんよ。こっちが下回転で返すとナックルで返って来るんよ。つまり回転が逆になるんよ」
「そうなんですかぁ」
「ここは、緩めのドライブ送ろか。そしたらあまり切れてないからね」
「はいぃ」
「さあ~リードするわよ~」
そして森上も須藤もコートに着いた。
サーブは森上だ。
森上は下回転の長いサーブを出した。
フォアへ入ったボールに、須藤はラケットをクルッと回し、イボで返した。
えっと・・切れてないんやな・・
そこで森上は、ドライブではなくスマッシュを打った。
これはいくらなんでも無謀だった。
なぜなら須藤の返球は、ネットスレスレで、とてもスマッシュを打てるボールではないからだ。
ところが、である。
偶然にも角度がバッチリと合ったボールは、矢のように須藤のバッククロスへ入ったのだ。
「うわああああ~~」
館内から驚きの声が挙がった。
あれを入れるか、と。
けれども須藤は、ボールに追いついた。
その際、ラケットも回していた。
大久保が言ったように、須藤は全部イボで返す算段だったのだ。
抜群の切れ味を維持したまま、ボールは森上のフォアへ入った。
森上は大きく腕を振りおろし、ブンッという音が聴こえそうなドライブを放った。
けれどもボールはネットにかかり、ミスをした。
「サーよし」
須藤は、当然だといった風に小さく声を挙げた。
振りが足らんかったんかな・・
森上は単にそう思っていた。
その後、ラリーが続くも、須藤は常に際どいコースへ送り続けた。
それでも森上は着いて行った。
そして森上は、緩めのドライブ・・と頭で繰り返し、そのパワーを封印した。
けれども、それが徒となった。
須藤は「並」のドライブと化した森上のボールを、悉くカウンターで返した。
森上も着いては行ったが、スマッシュを打つ際にも須藤はイボで打っていたため、ミスをするのは森上だった。
いくら抜群の身体能力を持つ森上とはいえ、ボールの回転、特にイボのような、回転が逆になる返球など、取れるはずもなかった。
これは、まさしく練習不足の弊害だった。
この種の対処は、体で覚える以外に方法は無いのだ。
そして森上は1セット目、21-9で負けた。
ベンチに戻った森上に、大久保もアドバイスのしようがなかった。
「ええか~森上ちゃん」
「はいぃ」
「この試合は負けてもしゃあないわ」
「はいぃ」
「せやけど、負けを無駄にせんことよ」
「え・・」
「あんたのドライブ、打ちまくったらええわ」
「どんだけ通用するか、で、返球がどれくらいの変化で返って来るのか、それを覚えることよ~」
「なるほどぉ」
「よーーし、あんたの恐ろしさ、見せつけてやるのよ~」
「はいぃ」
「恵美ちゃん、頑張って!」
阿部は森上の体をパンパンと叩いた。
「うん~わかったぁ」
そして森上は、なんとも愛くるしい笑顔を見せた。
ほどなくして2セット目が始まった。
森上は大久保の指示通り、ドライブを打ち続けた。
一球目は入るものの、イボの返球には、ミスを連発した。
重たいなぁ・・
こんなに回転がかかってるんやなぁ・・
よーし・・もっと擦る瞬間に力を入れなな・・
そしてラリーが始まった。
すると須藤は、イボで対処するも、一球だけ裏を入れた。
ラバーなど見てない森上は、大きく振りかぶりビュッと腕を振った。
当然のようにボールは大きくオーバミスをした。
え・・なんでや・・
軽かった・・
そう、須藤はナックルで返したのだ。
「サーよし」
須藤はまた小さく声を発した。
この須藤の、イボの返球の中に裏を一球入れる「作戦」に、森上は翻弄された。
また須藤は、逆の手も使った。
裏で返球し続け、一球だけイボで返す、と。
こうなると森上は、ますます混乱をきたし憐れなほどミスを連発した。
とにかくボールの回転を見極めるには、反復練習、これ以外ないのだ。
ペン相手でもそうだが、特にカットマンの変化球に慣れるためには、絶対的な練習量が不可欠なのだ。
森上は、そんなこと知るはずもなかった。
須藤は、森上の意外なほどの対処の下手さに、肩透かしを食らっていた。
森上は、パワーだけでは通用しないことを、この試合で思い知った。
そして自分は、圧倒的に練習不足であることも。
結局、2セット目も、21-7と森上は完敗した。
「森上ちゃん~よう頑張ったわ~」
大久保は拍手をしながら森上を迎えた。
「そうそう、これからや、これから」
阿部もそう言って励ました。
「ありがとうございましたぁ」
森上は二人に頭を下げた。
その後、森上は敗者として審判もこなし、森上と阿部の一年生大会は終わった。
そして三人はロビーに出た。
するとそこには、たった今到着した安住一行とバッタリ出くわした。
「安住~ええタイミングで来たやないの~」
「あれ、もう試合は終わったんですか」
「さっき、終わったわよ~」
「どうやったんですか」
「三神ちゃんに負けたわよ~」
「ありゃ~・・三神か・・」
大久保と安住が話す横では、彼女らは初めて会う森上を見上げていた。
「ひゃあ~大きいなあ~」
杉裏と蒲内は、同時にそう言った。
「あんたが森上さんか~」
「ええ体してんなあ~」
「阿部さん、久しぶり~」
森上は、初めて会う先輩に、少し戸惑っていた。
「お久しぶりです」
阿部はニコッと笑いながら一礼した。
「森上ですぅ。初めましてぇ」
「結局二人は、何回戦まで行ったんや?」
為所が訊いた。
「私は一回戦で三神とあたって負けました。恵美ちゃんは、さっきの8入りで三神に負けました」
「へぇー森上さん、16に入ったんか。すごいやん」
「為所ちゃん~、森上ちゃんね、中井田に勝ったのよ~」
「へぇーー!中井田に!」
「ろくに練習もしてないのに、これは快挙よ~」
「ほんまですね!」
「あら?浅野ちゃんは~」
「ああ・・内匠頭、ここからすぐに桂山へ戻って来たんですけど・・」
為所は、少し言いにくそうにしていた。
「え・・確か浅野ちゃん、慎吾ちゃんとこへ行く言うてたんよ~」
「え・・そうなんですか?」
「桂山へ戻った時、そう言うてなかった~?」
「言うてません」
「あらら・・ほな、寄らんと戻ったんやね~」
「でも・・なんか内匠頭の様子がおかしかったんですよ」
「おかしいて?」
「なんか・・怒ってるいうんか・・なあ?」
為所は他の者に訊いた。
「そうなんですよ。それで練習中も、ずっと怒ってるみたいで」
岩水が答えた。
「あらら、なんかあったんかしらね~」
―――その頃、小島は。
「ほな、小島さん。そろそろあがってな」
店長の毛利がそう言った。
「はい、今日はほんとにありがとうございました」
「いや、こっちこそ、大変助かりました」
「それで、今日のバイト代は、森上さんにつけといてくださいね」
「え・・それはあかんやろ」
「いえいえ、私、桂山に勤めてまして、バイトは違反になるんです」
「ああ・・そういうことか・・」
「はい、だからそうしてくださいね」
「うん、わかった」
そして小島は着替えを済ませて他の従業員にも丁寧に挨拶をし、店を後にした。
小島は当然のように、その足で日置のマンションへ向かった。
その際、途中で食材も購入し、やがて305号室に到着した。
ピンポーン
呼び鈴を鳴らすと、しばらくしてから日置がドアを開けた。
「来ました~」
小島は嬉しそうに、スーパーの袋を見せた。
「彩ちゃん・・帰りなさいって言ったのに」
「先生、どうせ食べてないんでしょ。私が作りますからね~」
小島はそう言いながら、強引に部屋へ入った。
日置はそのままドアを閉めた。
「先生、明日、学校があるんですから、寝ててくださいよ」
小島はダイニングのテーブルに袋を置いて、中から食材を取り出していた。
「彩ちゃん、気持ちはすごく嬉しいんだけどね、きみも体を休めないと」
「あのね。先生」
小島は手を止めて日置を見た。
「なんだよ」
「私は、若いんです。先生と違うて・・」
「言ったね。もう許さないよ」
そこで日置は、小島の体をくすぐった。
「あはは、先生、止めてくださいよ~」
小島は逃げながら手で制した。
そして日置は小島を掴まえて抱きしめた。
「彩ちゃん、今日はほんとにありがとう。おかげで森上も試合に出られたよ」
「どんな結果なんでしょうね」
「なんでも、中井田には勝ったらしいよ。で、次は三神だって」
「大久保さんから報せがあったんですか?」
「うん、それもそうだけど、おばあちやんが体育館に行っててね。それで」
「そうでしたか~」
そこで小島は日置から離れ、再び食材を袋から出し始めた。
「彩ちゃん、無理しなくてもいいよ」
「無理なんてしてません~あれ?」
小島は、おかゆの入ったコンロの鍋に気が付いた。
「これ・・先生が作ったんですか?」
「いや、おばあちゃんが心配して・・」
日置は吉岡とのことを、都合が悪くて隠すつもりはなかった。
単に、小島にいらぬ心配をかけたくなかっただけなのだ。
なぜなら、ついこの間も、勘違いとはいえ、自分に彼女がいるんじゃないかと疑う「事件」があったばかりだ。
もう二度と、あんな不毛なもめ事は避けたいと思っていた。
実際、自分と吉岡は、もうなんでもないのだから、日置はあえてそう言った。
「そうやったんですね~、そら心配になりますよね。でも、こんなに残して。食べんとあきませんよ」
小島は優しく微笑んだ。




