45 社会人としての自覚
2セット目も一進一退のゲームが繰り広げられた。
森上は大久保の指示通り、山岸のサーブを全てドライブをかけに行った。
ミスもしたが、森上の威力が勝ることもあり、山岸のコートに入った場合は、山岸は全く返せないでいた。
小さいサーブは、森上もツッツキやショートで返し、その後はラリー展開だ。
けれどもラリーに入ると、1セット目同様、森上が圧倒していた。
中盤から山岸は、もう成す術がない状態に陥った。
そう、返すコースがないのだ。
どこへ送っても森上は素早く移動する。
山岸は、森上が高い壁に見えた。
その大きな体のどこに、軽やかに動ける能力があるんだ、と。
森上の体格なら、パワーは当然としても、普通なら動きは遅いはずなのである。
「山岸!挽回やぞ!」
コートの向こう側で日下部が叫んでいた。
先生・・挽回や言うたかて・・
どうやってすればええんですか・・
こんな怪物・・見たことない・・
カウントは既に終盤に差し掛かり、19-13で森上がリードしていた。
もう・・こうなったら・・
むしろ長いサーブを出した方がええんちゃうか・・
バックの深い所にロングサーブや・・
そして山岸は、バックから、スピードの乗ったバックのロングサーブを出した。
森上は、まさか長いのが来るとは思わず、ショートで対応した。
よし・・来た!
山岸は、バックに返ってきたボールにすぐさま回り込み、バッククロスへスマッシュを放った。
普通なら、これは完全に決まるボールである。
けれどもボールは抜けなかった。
森上は反射的に対応し、なんとショートで止めたのだ。
同じスピードで返ったボールに山岸は慌てたが、ドライブでないボールは山岸にとっても普通のラリーに過ぎない。
山岸はもう一度、バックへ連打した。
これも速いスマッシュだ。
けれども森上は、そのボールもショートで返した。
山岸は、今度はフォアクロスの深い所へ打ち込んだ。
森上にとって、対応するのに大した距離でもない。
森上はすぐさまフォアへ動き、ドライブではなく、カウンターで打ち返した。
スパーン!
激しい音を放ちながら、ボールは山岸のフォアの深い所へ入った。
ドライブではないボールを、山岸は懸命に追った。
けれどもスピードについて行けず、ボールは山岸の横を通り過ぎた。
「サーよし」
森上は特に高ぶることもなく、低い声を発した。
「よーーし!森上ちゃん~ラスト1本よ~」
「恵美ちゃん~~!ナイスボール!」
その実、森上は、自身のチグハグな攻撃に納得できないでいた。
サーブが取れなかったことや、レシーブのドライブミスのことだ。
ラリーに持ち込むと「それなり」に出来たと思っていたが、なぜ返って来ないんだ、と。
そう、ドライブの返球が、なぜないんだ、と。
森上は、納得できないというより、物足りなさを感じていたのだ。
そして最後も森上のドライブが決まり、21-13で森上が勝利した。
双方は「ありがとうございました」と一礼した。
山岸はベンチに下がって泣いていた。
日下部は山岸の肩を抱きながら、「ようやった。これで終わりやないで。次にあたったら倍返しやな」と慰めていた。
方や桐花ベンチに下がった森上は、「ありがとうございましたぁ」と大久保に頭を下げていた。
「森上ちゃん~よう頑張ったわ~ナイスゲームよ~」
大久保は森上の肩を叩いた。
「恵美ちゃん、すごかったで!」
阿部はまだ興奮していた。
「ほな、次の試合までロビーに出て休憩しよか~」
そして大久保を先頭に、三人はフロアの隅を歩いた。
その際、森上が通り過ぎるのを、どの選手も、どの観客者も、半ば唖然としながら見ていたのだった。
―――その頃、桂山の体育館では。
「よし、ほなら今日はこれくらいで終わっとこか」
遠藤が練習終了を言い渡した。
本当なら、実業団が控えているこの時期、夕方まで練習するのが常だが、大久保の「脱走」といい、浅野の「途中抜け」といい、それに日置の一大事とあっては、彼女らにも落ち着きがなくなっていたため、遠藤はそう判断したのだ。
「お疲れっした!」
「ありがとうございました」
そして彼ら彼女らは、それぞれ更衣室へ入った。
「この後、体育館へ行くか?」
杉裏がTシャツを脱ぎながら、誰ともなく訊いた。
「もう終わってるんとちゃうか」
岩水は、負けていることを言った。
「でも、森上さんやったら残ってるかもしれんで」
為所が言った。
「そやで。終わっててもええし、もし残ってたら、私は森上さん、一回見てみたいわ」
「そうそう、私も見たいわ」
外間と井ノ下が言った。
「ほなら~私も行く~」
蒲内もそう言った。
「内匠頭、どうすんの?」
岩水が訊いた。
浅野は森上どころではなかった。
そう、日置と吉岡のことで頭が破裂しそうなくらい、怒りのエネルギーが充満していた。
「私はええわ」
「え・・そうなん?」
意外な答えに、彼女らは戸惑った。
「内匠頭、どしたんよ。ずっとおかしいで」
杉裏が訊いた。
「別におかしない」
「ちょっと、なんかあったんとちゃうの」
為所が訊いた。
「いや、なんもないで」
浅野は気持ちを悟られまいと、無理に笑った。
このことを彼女らに言えば、当然、怒り爆発になるに違いない。
そうなると、収拾がつかなくなる。
浅野はまず、小島に話すべきだと考えていた。
その頃、安住は大久保の荷物を抱えて、彼女らが出てくるのを待っていた。
「まだか~」
安住は外から彼女らを呼んだ。
「ああ、安住さんや。私らも行くと思て、待ってくれてはるんや」
「もうすぐ出ます~!」
「すみませーん!」
「安住、行きまーす!」
蒲内がそう言うと「あんたはアムロか!」と、外間が蒲内の頭をポーンと叩いた。
「殴ったね。親父にも打たれたことがないのに!」
「もうええっちゅうねん」
外間は呆れていた。
ほどなくして彼女らは安住と共に体育館へ向かった。
浅野は遅れて一人で体育館を出た。
「浅野さん」
遠藤が呼び止めた。
「はい」
浅野は振り返って立ち止まった。
「あのな、ちょっとええか」
「はい・・」
遠藤の真剣な表情に、浅野は戸惑った。
「きみらは、よう頑張ってると思うんやけどな、まだ学生気分が抜けてない、いうんかな」
「・・・」
「そらな、八人でずっと頑張って来て、きみらの絆が堅いこともわかってる」
「はい・・」
「せやけど、それが反って徒になってると僕は思てんねや」
「・・・」
「きみらはまだ入ったばかりや。だからわかるんやけど、もうちょっと社会人としての自覚と責任を持ってもらわんとな」
「はい・・」
「海老沢社長も、遊びできみらを入社させたわけやないで」
「すみません・・」
「僕が言いたいのはそれだけや。気ぃ悪くしたやろけど、僕は浅野さんならわかってくれると思たんや。ほな、お疲れ」
遠藤はそう言って、先を歩いて行った。
浅野は遠藤の後姿を見ながら思った。
確かに遠藤の言う通りだ、と。
今日の件は仕方がないとしても、小島は練習を放り出して抜けたことがあった。
そして休んだこともあった。
しかも、今日も休んでいるのだ。
遠藤は許可したものの、学校のことは学校内、或いは日置が解決すべきことだろう、と。
遠藤とて、小島の気持ちがわからないはずがなかった。
けれども、どこを向いて卓球やってるんだ、と。
きみは、桂山の選手なんだ、と。
一方で遠藤は、大久保という「問題児」を抱えている。
けれども大久保の場合、彼女らとは違って桂山のエースとしてのキャリアと実績が違った。
つまり、やるべきことはきちんと果たしているのだ。
だからこそ遠藤は、大久保と安住に桐花のコーチを引き受けることも許可していたのだ。
浅野はその足でパン屋へ向かい、小島に吉岡のことを話そうと思ったが、今しがたの遠藤の言葉でためらった。
なぜなら、吉岡と付き合っている事実を知れば、また小島は取り乱しかねないからだ。
浅野は頭を抱えた。
どうやって、いつ、どのように小島に伝えるべきかと。
それでも浅野の足は、自然とパン屋へ向かったのである―――
パン屋に到着した浅野は、中をそっと覗いてみた。
すると小島は活き活きとして客の対応をしているではないか。
あかん・・やっぱり言われへん・・
話したら・・それこそ練習を休むレベルでは済まん・・
そうなったら・・彩華の将来にも影響を及ぼしかねん・・
浅野は結局、小島に声をかけることができずに、そのまま自宅へ向かった。
―――一方その頃、日置は。
菓子パンはダイニングのテーブルに置いたまま、ベッドで横になっていた。
吉岡が作ったおかゆも、少しだけ食べたが、殆どが鍋に残ったままだった。
冷蔵庫を開けると、ヨーグルトやリンゴなどが入っていたが、それにも手をつけていなかった。
ルルルル・・
そこで電話が鳴った。
日置は急いで起き上がり、電話台まで移動した。
「もしもし」
日置は受話器を取った。
「あ、慎吾、いてたんかいな!」
相手は西藤だった。
「おばあちゃん、どうしたの?」
「どうしたのやあらへんがな。あんた、なんで体育館に来てないんや」
「ああ・・僕、今朝からすごく熱があってね、それで救急車で運ばれたの」
「ええっ!ほんまかいな」
「おばあちゃん、もしてして体育館にいるの?」
「そやがな!今、来たところや」
「そうなんだ」
「あんた、森上さんっちゅう、とんでもない選手、どこから引っ張ったんや」
「引っ張ったんじゃなくて、偶然、桐花に入学して来たんだよ」
「そうか、まあええ。それにしてもすごいで!」
「今、どうなってるの?」
「三神とやっとるで」
「そっか・・森上、中井田に勝ったんだ」
「なんで知ってんねや」
「うん、虎太郎が報せてくれてね」
「ああ~大久保さんな。今も大声張り上げとるで」
「行きたいなあ・・」
「ああ、それで具合はどうなんや」
「だいぶ熱も下がったし、平気なんだけど、来るなって言われててね」
「そらそや。大久保さんがついてるんやし、大丈夫や」
「おばあちやゃんもコートについてやって」
「アホか。私は常に中立の立場や。どこも応援せんし、隠れてこっそり見るで。ほなな!」
そう言って電話は切れた。
おばあちゃん・・去年の予選の山戸辺戦では・・コートにまで来て、うちを応援してたじゃないか・・
日置はふとそう思ったが、確かに西藤は表立っては、どこも応援することはなかった。
無論、心中では孫である日置のチーム、桐花を全力で応援していたのは言うまでもない。
そしてコートでは、ベスト8入りをかけた森上と須藤の熱戦が繰り広げられていた―――




