44 「怪物」の卵
―――体育館では。
コートに着いた森上と山岸は、互いに一礼した。
山岸は、裏ペンの前陣速攻型の選手だ。
二人の体格は、大人と子供くらいの差があった。
「山岸、出だし1本な」
監督の日下部がそう言った。
山岸は、うんと頷き、サーブの構えに入った。
山岸の得意技は、サーブから三球目だ。
したがって、山岸のサーブは複雑な回転がかかり、森上は出だしからレシーブミスを連発した。
そう、回転が見抜けないのだ。
「森上ちゃん、落ち着いてよう見るんよ~」
「やっぱり、圧倒的に練習時間が足りてないですね・・」
阿部がポツリと呟いた。
「森上ちゃんの練習時間て、どのくらいなん?」
「朝練で一時間ほど・・この一週間は昼休みに二十分ほどです」
「え・・まさか、それだけなん・・?」
大久保は、練習時間までは知らなかった。
「そうなんです」
「それは・・いくらなんでも少なすぎるわ・・」
「私は放課後、なんぼでも出来るんですけど・・」
「森上ちゃん、はよ帰らなあかんらしいな」
「弟さんの世話をせんとあきませんので」
「あら・・そうなんやあ」
次から次へと点を重ねる山岸は「サーよし!」と気合の入った声を挙げていた。
なぜなら、森上のドライブを知っているからだ。
そのうち、森上は必ずドライブを打ってくる。
なるべく打たせないようにしても、打たれれば取れないとわかっていた。
それゆえ、前半で点差を広げることに徹していた。
「よしよし、それでええぞ」
日下部が手を叩きながらそう言った。
そして森上は、1点も取れずに5-0とリードされていた。
「森上ちゃん!こっから挽回よ~~!」
「恵美ちゃん、しっかり!」
「はいぃ」
森上は振り返って頷いた。
そして森上は、緊張を解すべく両肩を大きく回した。
こっからや・・
挽回せなな・・
そして森上はサーブの構えに入った。
森上はドライブを打つべく、長い下回転を出した。
山岸はそうはさせじと、バックに入ったボールを回りこんでミート打ちで返した。
ミドルに入ったボールを、森上は大きく腕を振りおろし、思い切りドライブをかけた。
ビュッ・・
スパーン!
目にもとまらぬ速いボールが、山岸のバッククロスに突き刺さった。
山岸がラケットを出す前に、ボールは横を通り好き、後方へ転がって行った。
「サーよし」
森上の低い声が響いた。
「ナイスボールよ~~それよ、それ~~」
「恵美ちゃん、ナイス~~!」
山岸は唖然としたまま、森上を見ていた。
なんだ・・あのボールは、と。
山岸は、森上の試合を見ていたが、実際、自分が対峙してみると、その威力たるや想像以上だったのである。
「山岸、気にせんでもええ。1点取られたら取り返す」
日下部も、ドライブは取れないと諦めていた。
ドライブを止めることよりも、勝つことが大事だと言いたかった。
「はいっ」
山岸は振り向いて、力強く頷いた。
「もう1本」
森上は、また低い声でそう言いながら構えた。
そして森上は、長いフォアの横回転サーブをバックへ出した。
日置に教えられたのは、横なのか斜めなのか相手にわからないように、と言われていた。
森上も練習段階ではマスターしてたが、リードされているこの時点で、挽回しなければという焦りの気持ちが、手元を狂わせていた。
はなから横回転と見破った山岸は、絶妙のタイミングでプッシュをかけた。
フォアへ入ったボールを、森上はフットワークを駆使してすぐさま動き、フォアクロスへドライブを放った。
山岸はなんとか追いつき、ラケットにあたりはしたものの、ボールの勢いに押され、なんとボールは前に飛ばずに後ろへ飛んで行ったのだ。
そう、ボールがラケットにあたった際、角度を狂わせられるほど回転がかかっていたのだ。
「おおおおお~~!」
思わず大久保は声を挙げた。
「ひゃあ~~!恵美ちゃんのボールの威力、すごいなあ!」
阿部もいたく感心していた。
日下部も、唖然としたまま、言葉を失っていた。
―――別のコートでは。
中澤は、本多のコートについていた。
本多は小谷田の選手である。
「なんやねん・・あれ・・」
中澤も、今しがたの森上のドライブを見ていた。
「先生!」
ベンチにいる小谷田の選手、安達が、中澤を呼んだ。
「え・・?」
「どこ見てはるんですか」
「ああ・・そやった・・」
「そやったて・・」
「せやけどな、森上は、いずれはあたる。あれはもはや・・人間のレベルを超えてるで・・」
「そうやとしても、本ちゃんの試合ですやんか」
「わ・・わかってる。わかってるがな~安達ぃ」
中澤らに限らず、館内では森上の試合に注目が集まっていた。
それこそ、なんなんだ・・あの「怪物」は、と―――
「須藤くん」
皆藤は、三神チームが集まっている場所へ行き、須藤に声をかけた。
「はい」
「きみ、次はあの森上くんですね」
「はい」
「森上くんは、少しばかり手強いですが、わかっていますね」
「はい」
「今のうちに叩き潰しなさい」
「わかりました」
須藤は一年生のエースだった。
この須藤は昨年、全国中学生大会で優勝している強者だ。
須藤は森上の試合を見ても、なんら動じることはなかった。
皆藤も、今試合では須藤が圧倒するとわかっていた。
けれども、来年、再来年は、その限りではない、と。
しかも監督が、あの日置だ。
絶対に、今よりもっと大物に育てることがわかっていた。
まだ先の話ではあるが、森上と須藤は生涯のライバルとして互いに切磋琢磨するのである。
―――5コートでは。
森上と山岸は、一進一退のゲームを繰り広げていた。
山岸が取る点といえば、その殆どがサーブだった。
一方で森上は、ドライブで点を取っていた。
現在カウントは、15-15の同点となっていた。
サーブは山岸だ。
よし・・5点連続で取る・・
そしたら、向こうがドライブ打って来ても、1本くらいは必ずミスする・・
「山岸!ここは押せよ!」
日下部はサーブのことを言った。
「はいっ!」
一方で大久保は。
うーん・・ここのサーブチェンジはきついわね・・
「森上ちゃん!」
大久保が呼んだ。
森上は黙って振り向いた。
「タイムよ~」
「はいぃ」
森上はタイムを取ってベンチに下がった。
「いいわね、森上ちゃん」
「はいぃ」
「レシーブやけどね、それドライブかけに行こか~」
「ドライブですかぁ」
「そうよ~、あんたのドライブやったら、回転に負けへんわよ~」
「ミスしそうですぅ」
「かまへんのよ。普通にレシーブしたかてミスするやろ。それやったらドライブでミスした方がええのよ」
「そうですかぁ」
「相手は必ず、あれ?て思うわよ。ドライブのことよ~」
「はいぃ」
「そう思わせたら、出すサーブも狂うってものよ~」
「わかりましたぁ」
「ほな、徹底的に叩きのめしておいで~」
そして森上はコートに着いた。
山岸は「1本!」と言いながらサーブの構えに入った。
そして山岸は、バックからバックの斜め回転のサーブを出した。
バックに入ったボールを、森上はすぐさま回り込み、思い切りドライブをかけに行った。
まさかと思った山岸は、返球に警戒した。
けれども森上は、ネットミスをしたのだ。
「サーよし!」
山岸は、森上のミスでホッとした。
「いいのよ~森上ちゃん、それでいいのよ~」
大久保の言葉に、山岸は少し不安を覚えた。
「山岸!」
日下部が呼んだ。
山岸は黙って振り向いた。
すると日下部は、小さいのを出せ、というサインを送った。
そう、小さいサーブなら、ドライブはかけられないからだ。
山岸は「うん」と頷いて、下回転の小さなサーブを出した。
そこで大久保は「ふふふ」と笑った。
「どうしたんですか」
阿部が訊いた。
「これでええのよ~」
阿部は意味がわからなかったが、「そうですか」と答えた。
森上はネット前に入ったサーブを、ツッツキでバックへ返した。
山岸は、すぐさま回り込み、ミート打ちを放った。
森上は反射的に、それを抜群のカウンターで打ち返した。
ボールは山岸が追いつくどころか、フォアクロスへ無情に抜けて行った。
「サーよし」
森上は小さくガッツポーズをした。
「それよ~森上ちゃん~!」
「ナイスボール!」
大久保が笑った意味は、こうだ。
相手はレシーブのドライブを警戒して、必ず小さいサーブを出してくるはずだ、と。
それなら森上もミスせずに返球できる。
するとそこからラリー展開に持っていける。
そうなると、森上の方が有利だとわかっていたからである。
「タイム!」
日下部がタイムを要求した。
ベンチに下がった山岸は、日下部の前に立った。
「サーブは、小さいのでええ。三球目の打つコースや。バックの際どい所へ送ろか」
「はいっ」
「まだ同点や。お前なら大丈夫や」
「はいっ」
「よし、頑張れ」
そして森上と山岸はコートに着いた。
山岸は、小さいナックルサーブを出した。
山岸は、森上が回転を見誤るであろうと踏んだのだ。
まさに山岸の読み通り、森上のレシーブは高く返ってしまった。
待ってましたと言わんばかりに、山岸は満身の力を込めてスマッシュを打った。
フォアへスピードの乗ったボールが入った。
誰もが抜けたと思った。
ところが、である。
森上はいつ動いたんだ、というくらい直ぐにボールに追いつき、その勢いで後方から音がするほどのドライブを放った。
「おおおおお~~~!」
大久保のみならず、観戦者らの声が、大きく館内に響き渡った。
ボールは山岸のコートを叩くようにバウンドし、山岸がラケットを振った時には既にボールは後ろで転がっていた。
「サーよし」
森上の声もかき消されるような「うおおおおお~~」という歓声が、再び響き渡った。
「きゃ~~恵美ちゃん!すごい~~」
阿部も興奮していた。
「ナイスボールよ~~森上ちゃ~~ん」
大久保も大きな拍手を送っていた。
焦った山岸は、この後、1点も挽回できずに1セット目を森上が取ったのである。




