43 解けた誤解
日置は電話を切った後、すぐに府立の別館へかけた。
「はい、府立体育館、別館です」
出たのは今朝、日置の電話を受けた女性事務員だった。
「あの、桐花学園の日置と申しますが、桂山化学の大久保さんを呼び出して頂けませんか」
「ああ・・日置さん、その後、お加減はどうですか」
「はい、まだ熱がありますが、心配いりません」
「そうですか。えっと、桂山化学の大久保さんですね、お待ちください」
そして女性は急いで本部席へ向かった。
本部席に到着した女性は、「桂山化学の大久保さんを呼び出してください。お電話がかかっております」と三善に言った。
「はい、わかりました」
女性は、先に事務室へ戻った。
そして三善は「桂山化学の大久保さん、お電話がかかっておりますので、至急、事務室へ行ってください」と二回放送をかけた。
「あら・・私に電話て・・あっ!安住やなっ」
森上は、コートの後ろでアップしていた。
「森上ちゃん、直ぐに戻って来るから、出だし大事にね」
「はいぃ」
そして大久保は走って事務所へ向かった。
「なんか、よう電話がかかって来る日やなあ」
阿部が、しみじみとそう言った。
「ほんまやなぁ」
森上は、まさか両親が、自分が誘拐されて、大騒ぎになっているとは、ゆめゆめ思わなかった。
「恵美ちゃん、しっかりな」
「うん~わかったぁ」
そして森上は、コートに向かってゆっくりと歩いた。
事務所に入った大久保に「そこですよ」と女性が言った。
「どうも~すみません~」
そして大久保は受話器を取った。
「安住っ!何の用やというのや!」
「ああ・・虎太郎、僕だよ」
「ええっ、慎吾ちゃん!今は家か~?」
「うん。それでね、森上、そこにいるよね」
「いてるけど、どないしたん?」
「ほんと?ほんとにいるんだよね」
「なに言うてんの~、今から試合よ~。それも中井田戦よ~」
「そうなんだ・・森上は勝ち上がってるんだね。阿部は?」
「阿部ちゃんは、一回戦で三神とあたってね~負けたわ~」
「そっか・・三神だったんだ・・」
「それより慎吾ちゃん、具合はどうなんや~?」
「うん、まだ熱はあるけど、よく眠ったし、今朝よりはマシになったよ」
「そうか~それはよかったわ~。でも、ここへ来たらあかんよ~」
「うん・・」
「来たら~しばき倒すからね~」
「あはは、怖いな」
「ほな私~、森上ちゃんの試合を見んといかんから、行くわね~」
「ありがとう。ほんと恩に着ます」
「ではね~」
そして大久保は電話を切り、急いでフロアへ戻った。
やっぱり・・森上は体育館にいた・・
でも・・母親の慌てぶりは普通じゃなかった・・
一体、どうしたんだろう・・
そこで日置は放っておけないと判断し、電話より直接会って話すことを決め、森上家へ向かったのだった。
日置は、だいぶマシになったとはいえ、それでも体は辛かった。
けれども森上の母親が、なにかの勘違いにせよ、酷く心配していたことを思いやると、辛さを気力で押し切っていた。
やがて森上家に到着した日置は「こんにちは、日置です」と言いながら、ドアを叩いた。
すると恵子は直ぐに出てきた。
その後を、慶三も続いた。
「先生、わざわざ来てくれはったんですか」
「はい、それで森上なんですが、どこへも連れ去られてはいませんでした」
「えっ!娘に会うたんですか!」
「いえ、会ってませんが、僕の代わりに監督を担ってくれてる者が、森上と一緒にいます」
「え・・どういうことですか・・」
「どういうこととは・・?」
日置は不思議に思った。
母親は、体育館へ行ったんじゃないのか、と。
「監督とか・・なんですか・・」
「え・・お母さん、体育館へ行かれたんじゃないんですか」
「体育館?」
「いえ・・今日は、森上は試合に出てるんですが・・」
「し・・試合ぃぃ?」
「ちょっと、先生、それどういうことですか」
慶三が訊いた。
そこで日置は、今日は一年生大会であることと、森上はバイトを休んで出ていることを説明した。
「あの子・・私らに黙ってたんです」
恵子が言った。
「そうなんですか・・?」
「話せば、反対されると思たんやと思います」
「そうだったんですか・・」
「でも・・いじめやなくて・・ほんま・・よかった・・」
恵子は安心したのか、ポロポロと涙を流した。
「ほんまや・・誘拐されたんやなかったんやな・・」
慶三は泣きはしなかったが、その顔色は安堵に満ちていた。
「先生・・熱があったんとちゃいますの・・」
恵子は涙を拭いながら訊いた。
「いえ、もう大丈夫です」
「そうですか・・それで恵美子は、試合中なんですね・・」
「はい、勝ち抜いていますよ」
「そう・・ですか・・」
「恵美子・・わしらに隠してまで、試合に出たかったんか・・」
慶三が、しみじみとそう言った。
「なあ、あんた」
「なんや」
「試合くらいはええんとちゃうの・・」
「まあなあ・・」
「もう、こんな心配すんの・・命がなんぼあっても足りひんよ・・」
「そやな・・」
「森上には、もういじめはありません」
日置が言った。
「そうですか・・」
「クラスでも、友達とよく話していますし、よく笑っています」
「そうですか・・」
「卓球部にもう一人、阿部という子がいまして、その子も同じクラスです。二人はとても仲がいいですよ」
日置がそう言うと、二人は心底安心していた。
「先生、体がえらい時に、わざわざ来てくれはって、ほんまにすみません」
恵子は深々と頭を下げた。
「ほんまですわ。ありがとうございました」
慶三も深々と頭を下げた。
「いえ、とんでもないです。誤解が解けて安心しました」
「これからも恵美子のこと、よろしくお願いします」
「こちらこそ、至らぬことが多いですが、よろしくお願いします。それと何かあればいつでもご連絡ください」
そして日置は、森上家を後にした―――
日置はその足で、性懲りもなく菓子パンを買おうと、小島のいるパン屋へ向かった。
わあ~今日もたくさんのお客さんだ・・
パン屋に到着した日置は、中を覗いた。
その際、小島は日置に背を向けてパンを陳列していた。
そして日置は中へ入り、トレーとトングを手にした。
どれがいいかな・・
日置は店内を見て回った。
「あの、すみません」
日置は小島に声をかけた。
「はい、いらっしゃいませ」
小島は振り向いた。
「え・・」
日置は驚愕した。
「うわっ・・」
そして小島は、なぜここにいるんだ、と慌てた。
「彩ちゃん・・きみ、なにしてるの?」
「先生こそ・・試合やないんですか」
「僕が訊いてるの」
「そ・・それは・・」
「ちょっと話があるから、僕は外で待ってる」
日置はトレーとトングを置いて、外に出て行った。
嘘やん・・先生・・試合はどうしたんや・・
それと・・なんでここでパンを買おうとしたんや・・
「あの、今井さん」
小島が今井を呼んだ。
「なに?」
「ちょっと・・五分だけ外に出てもいいですか」
「どしたん?」
「ちょっと知り合いが用があるみたいで・・」
「うん、かまへんよ」
今井は優しく微笑んで、許可した。
そして小島は外で待つ日置の元へ行った。
「先生・・」
「きみ、ここで何やってるの」
「なにて・・」
「もしかして、森上の代わりにここで働いてるの?」
「はい・・そうです・・」
「それでか・・どうも変だと思ったんだよ」
「え・・」
「森上のご両親、森上がバイト休んでること知らなかったんだよ」
「そう・・ですか・・」
「きみが買って出たんだね」
「だって、試合に出られへんのは、本末転倒です。練習の意味がありません」
「彩ちゃん」
「はい・・」
「そういうこと、僕に相談してくれないかな」
「せやけど・・先生、反対すると思て・・」
「だからと言って、僕に黙ってっていうのは、納得できないよ」
「すみません・・」
「きみは桂山でも働き、その後、練習もしてるんだよね。今日だって練習があるでしょ」
「はい・・」
小島は小さくなって頷いた。
「でも、森上のことを思ってくれたんだよね。それは感謝するよ。ありがとう」
「それはええんですけど、先生こそなんでここにいてはるんですか」
「ああ・・実は僕・・」
日置は今朝からの事の経緯を説明した。
「ええええ~~!救急車!それ、ほんまですか!」
「うん、すごく熱があってね」
「で、今はどうなんですか」
「だいぶ楽になったよ」
「あかんあかん、はよ帰って寝てください」
「そう急かさなくても」
「あきませんて。ああ、私、ここが終わったら行きます」
「いいよ。彩ちゃんこそ、帰って体を休めないと」
「私は若いんです!平気です」
「それより・・パンを買って帰ろうかな・・」
「あ・・ああ、はい、どうぞ」
そして小島は、日置を店へ招き入れた。
日置は再びトレーとトングを持ち、パンを見て回った。
「小島さん」
今井が呼んだ。
「はい」
「知り合いて、あの人のことなん?」
「そうですけど」
「あの人ね、こないだもここでパン買うてくれはったんよ。男前やから憶えてるんよ、私」
今井は嬉しそうに笑った。
「あの人ね、菓子パン命なんです」
「あはは、そうなんやね~」
そして日置はトレーをレジへ持って行き、小島が対応した。
その際、日置は小声で「彩ちゃん、とても似合ってるよ」と制服のことを言った。
小島は思わず頬を赤くしたが「じゃね」と日置はニッコリと笑って店から出て行った。
っんもう・・先生・・好きっ!
こんな風に思う小島であった。




