42 とんでもない誤解
―――府立の別館では。
森上は二回戦も順当に勝ち抜き、次は中井田の山岸との対戦が待っていた。
ロビーで休憩をとっている大久保ら三人は、次の作戦を練っていた。
「さっき、見たけどね~山岸ちゃんって、とても動きが速い子やったわ~」
大久保が二人に言った。
「そうなんですねぇ」
「小さくてね~チョロチョロと動く子やけど、森上ちゃんのドライブは、とられへんと思うよ~」
「そうですかぁ」
「とにかく森上ちゃんは~ドライブを打ちまくることよ~」
「わかりましたぁ」
「森上ちゃんのサーブて、下と横だけなん?」
「えっとぉ、ロングと下と横と斜めだけですぅ」
「そうなんやねぇ、それだけあればええし~長いので勝負したらええわね~」
「はいぃ」
するとそこに、山戸辺の監督である、平山武史が通りかかった。
平山の姿を見た大久保は、驚愕していた。
「武史ちゃん・・」
思わず大久保は呟いた。
「あっ!」
大久保に気が付いた平山も、驚愕していた。
この二人は、母校である滝本東高校の卓球部で共に汗を流した仲間だった。
なにを隠そう平山は、大久保の初恋の相手でもあった。
「コタやないか!」
平山は大久保のことを「コタ」と呼んでいた。
「武史ちゃん・・なんでここにいてるの?」
「なんでて、僕な、山戸辺の監督になったんや」
「ええええ~~!なんで武史ちゃんが!」
平山は滝本東を卒業後、東京の大学へ進学し、卒業後、東京の高校で教師を務め、この春、山戸辺へ赴任したばかりであった。
「いや、知り合いから山戸辺の監督になれへんか、言われて、僕もそろそろこっちへ戻ろと思てたから、ええ機会やと思てな」
「そやけど・・山戸辺て・・」
「なんや、悪いんか」
「いや、そういうわけやないけど」
「コタは、どっかの監督やってるんか?」
「いや、私は今でも桂山よ」
「おお、頑張ってるんや」
「それにしても、武史ちゃん、変わらんね~」
「あはは、お前もな」
平山は細身でスラリと背が高く、けしてハンサムではないが、大久保の「事情」を知っても、偏見を持たずに大久保に接した。
当時、大久保は「事情」が理由で、変態扱いをされたこともしばしばあった。
そんな大久保は、徐々に「事情」を隠すようになっていた。
すると平山は「堂々としてたらええねや」と大久保を励ましたが、思春期の大久保にとって、それはとても勇気が要ることだった。
そんな二人はライバルでもあったが、親友でもあった。
優しい平山に惹かれた大久保だったが、自分の気持ちを伝えることはなかった。
そして二人は卒業後、自然と離れていった。
というより、大久保は連絡を取らずにいた。
そう、平山を忘れるためだ。
ちなみに大久保は、平山がきっかけで、のちにカミングアウトするようになっていった。
「でも、コタ」
「なに?」
「お前、なんでここにいてんねん」
「ああ~私はね~桐花学園のコーチなんよ~」
「へぇー、桐花」
平山は桐花の名前を知らないようだ。
「いやっ、武史ちゃん、桐花を知らんのか~」
「ああ・・僕、こっち来たばっかりやし」
それもそのはず、インターハイ予選には、桐花は出ていなかったからである。
「いやっ、桐花てね~去年、インターハイでベスト8よ~」
「えっ!そうなん?でも、今年、予選出てなかったで」
「せやけど、この子ら二人は、桐花の子よ~」
そこで平山は、森上と阿部を見た。
「ああっ!この子、どこの選手かと思てたんや」
平山は、森上をまじまじと見ていた。
「ふっふ~、うちの子よ~」
「きみ、どえらいドライブ持ってるな」
平山は森上に言った。
「そうですかぁ」
そこで平山は、カクッとこける仕草をした。
森上の、なんとも言えないのんびりした口調に、思わず反応したのだ。
「武史ちゃん、予選はどうやったんや~」
大久保は、インターハイ予選のことを訊いた。
「ああ、4入りで負けたんや」
「あら・・そうやったんやね」
「というか、一年生も、二人しかいてないねん」
平山は、今年赴任したばかりだ。
よって、引き抜きも間に合わず、その二人も中学からの経験者ではあったが、レベルは低かった。
山戸辺は、上田が辞めて以降、後を引き継いだ富坂もすぐに辞め、平山が赴任するまでは、学校の女性教師が名ばかりの監督を務めていた。
現在の二年三年生は、いわば上田の「置き土産」の選手であり、予選で8に入ったのもやっとだった。
「コタ、ほな僕行くわ。あの子らまだ勝ち抜いとるからな」
平山はニッコリと笑って、この場を去って行った。
「あの人、誰なんですか」
阿部が訊いた。
「高校の同級生よ~」
「へぇ~そうなんですね」
「さあさあ、森上ちゃん~そろそろコートへ行くわよ~」
「はいぃ」
そして三人はフロアの中へ入って行った。
―――その頃、商店街のパン屋では。
小島の働きぶりは、もう何年も勤めているかのような、大変しっかりとしたものだった。
小島は客の対応も、なんら臆することなく「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」とはきはきと言っていた。
店長の毛利も、他の従業員も小島を気にかけることなく、仕事に集中できていた。
そしてまた一人、客が入って来た。
「いらっしゃいませ」
小島は出来上がったパンを、トレーに並べてながら客を迎えた。
小島に微笑まれた若い男性は、通りすがりの客だった。
「ああ・・どうも」
「そこのトレーとトングで、どうぞお好きなパンをお選びください」
「あ・・そうなんですね」
男性は、トレーとトングを手にした。
「当店の商品は、全てオリジナルです。とても美味しいですよ」
「お薦めはどれですか」
「そうですねー、このフルーツサンドも、ミックスサンドも大変おいしいですし、こちらは中にチーズが入っておりまして、歯ごたえも十分ですが、中からトロリとチーズが出てきます。もう絶品ですよ」
「へぇー」
男性は珍しそうに、チーズパンをトレーに乗せた。
そして次から次へと客が入って来た。
「いらっしゃいませ」
小島はパンを並べた後、また出来上がったパンを持って、トレーに並べ始めた。
「とうぞ、お好きなパンをお選びください」
小島はパンを並べながらそう言った。
「こちらは、ただいま出来たてでございます」
小島がそう言うと、客らはそこへ集中した。
「あんた、新人さん?」
そこで一人の中年女性が声をかけた。
「はい、そうです」
「森上さんは、いてないの?」
女性は店内を見回していた。
「ああ・・私は彼女のピンチヒッターなんです」
「え・・」
この女性は、森上の隣人である田中だった。
「森上さん、どうしたん?」
「えぇ・・ちょっと用事がありまして」
「用事・・」
田中は怪訝な表情を浮かべた。
「というか・・あんた、森上さんの知り合いなん?」
「えぇ・・まあ・・」
なんや・・このおばちゃん・・
地元のうるさ型って感じやな・・
「そうなんや・・」
田中は小島から離れ、パンを選び始めた。
ほどなくして田中はパンを買って、店を後にした―――
「森上さん」
田中は森上家のドアをドンドンと叩いた。
「はあーい」
森上の母親、恵子がドアを開けた。
「ああ、田中さん、どうも」
「恵美ちゃんさ、今日はバイトやんな」
「そうやけど、どないしたん?」
「パン屋にいてへんかったで」
「え・・?」
「恵美ちゃんの代わりに知らん子がおってな、なんやピンチヒッターとか言うとったで」
「代わりって・・どういうことなん」
「若い女の子やったけどな、その子、恵美ちゃんの知り合いらしいで」
「いや、待ってよ。恵美子、パン屋にいてないってこと?」
「そうやねん」
田中は、いかにも心配そうに言った。
「で、その子、恵美子がどこへ行ったとか言うてた?」
「いや、それが言わへんねや。用事があるとだけしか」
「用事て・・なんなんよ・・」
「やっぱり、あんた聞いてへんかったんやな」
「聞いてへんわよ」
「ちょっと、これ、あかんのとちゃう?」
恵子は、まさか森上が試合へ行っているなどと、想像も及ばなかった。
それより、またいじめられているのでは、と心配した。
ピンチヒッターというその子も、いじめ集団に無理やり働かされ、当の娘はどこかへ連れ去られたのでは、と。
「ちょっと私、行って来るわ」
「うんうん、それがええで」
そして恵子はそのまま、急いでパン屋に向かった。
パン屋に到着した恵子は、外から中を覗いた。
いや・・ほんまにあの子、いてへんわ・・
どこへ行ったんよ・・
次第に恵子の体は震え出した。
恵美子・・
今頃・・なんかされてるんと違うやろか・・
あ・・あの若い子が・・脅迫されて働いてるんやわ・・
まあ・・健気にも笑ろてるやんか・・
恵子は小島に声をかけずに、家へ戻った。
そして学校の教師名簿を取り出した。
ええっと・・日置・・日置・・
あっ、あった!
「おい、恵子、どないしたんや」
夫の慶三が心配して声をかけた。
「ちゃうんよ・・恵美子、またいじめられてるみたいなんよ・・」
「ええっ!それほんまか!」
「田中さんが言うてはったんよ・・」
田中はいじめのことなど言ってないにもかかわらず、恵子はそう思い込むほど気が動転していた。
「日置先生に、報せなあかんと思て・・」
「そ・・そうか」
慶三も、半ば気が動転していた。
そして恵子は日置に電話をかけた。
ルルルル・・
何度コールしても日置は出ない。
それもそのはず、日置は眠っているのだ。
「あかんわ・・出ぇへんわ・・」
「もっかい、かけたらどないや」
「うん、そうやね」
そして恵子はもう一度かけた。
ルルルル・・
恵子は十回コールしたところで切ろうと思った時だった。
「はい・・」
「あっ!日置先生ですか!」
「はい・・そうですが・・」
「私、森上です!」
「ああ・・森上さん・・」
「先生・・どうされたんですか・・」
元気のない声に、恵子は思わずそう訊いた。
「すみません・・ちょっと熱がありまして・・」
「ええっ・・」
「森上さん・・ご用件は・・」
「いえ・・その、恵美子がまたいじめられてるんです」
「えっ!」
「どこにもいてないんです・・きっと連れ去られたんです・・」
連れ去られた・・?
いや・・森上は試合に出ているはずだ・・
「あの・・お母さん・・」
「は・・はい」
「娘さんは・・いつ、いなくなったんですか・・」
「わ・・わかりません・・」
「お母さん・・現地へ向かわれたんですか・・」
「はい・・確かめました。でも、恵美子の姿は見当たりませんでした・・」
「そうですか・・お母さん、応援に・・」
日置はこの時点で、両親が後押ししてくれていると思った。
「応援・・まあ、応援と言えばそうでしょうか・・」
「わかりました。僕が連絡を取ってみます」
「よ・・よろしくお願いします・・」
電話を切った恵子は「どうしょう・・」とその場に泣き崩れた。




