41 吉岡の嘘
やがて吉岡は、近所のスーパーに入って行った。
浅野も、少し遅れて店の中に入った。
そうか・・先生に何か作って食べさせるんやな・・
まるで、恋人の所業やん・・
吉岡はカゴを持って、次から次へと食材を入れていた。
浅野も買い物をする振りをして、吉岡から少し離れて歩いた。
「風邪にはやっぱり、温かい物がいいわね・・」
吉岡は嬉しそうに独り言を呟いていた。
「おかゆを作って・・そしたら梅干しよね」
なにがおかゆじゃ・・
まったくもう~~・・
「そうそう・・ヨーグルトは食べやすいわね。あと、リンゴも買わなくちゃ」
まあ~嬉しそうに・・
腹立つなあ・・
やがて吉岡は、レジで精算を済ませて店を出た。
浅野は、別の出口から店を出た。
そして浅野は小走りで、吉岡に駆け寄った。
「あの・・」
浅野が声をかけた。
「はい?」
立ち止まって振り向いた吉岡は、浅野を見て、誰なんだ、という風な表情を見せた。
「あの・・私、日置先生の教え子で、元卓球部員の浅野と申します」
「ああ・・慎ちゃんの教え子さん・・」
吉岡は少し戸惑っていた。
「あの、不躾なことをお伺いしますが、先生とは今でもお付き合いがあるんですか」
「え・・」
吉岡は、いきなりなにを訊くんだ、と少し気分を害した。
「というか、浅野さん。あなた、私がここにいること、なぜ知ってるの?」
「先生とあなたが、部屋に入って行くのを偶然見たんです」
「あら・・そうだったの。それで私の後をつけて来たのね」
「すみません。失礼かと思いましたが、仰る通りです」
吉岡は、いくら教え子とはいえ、教師のプライベートに首を突っ込むなどあり得ないと、更に気分を害した。
「私と慎ちゃんが今でも付き合ってるかと、訊いたわね」
「はい」
「実はそうなのよ」
なんと吉岡は、平然と嘘をついた。
なぜなら吉岡は、自分の後をつけてまで、この浅野という子は、日置に関心があるから訊いたのだと理解した。
さらに、そう訊くということは、否定的な答えを待っているはずだ。
そう、「違う」という答えを。
吉岡は、それに逆らいたかったのだ。
「え・・」
浅野は唖然とした。
「慎ちゃんね、何かあれば私を頼って来るの」
「・・・」
「私、叔母の見舞いで昨日から大阪へ来てたの。で、宿泊先を教えてたからそこに電話があってね。迎えに来てほしいって」
「・・・」
「もう、驚いちゃったわ。すごい熱なんだもの」
「・・・」
「偶然、私が大阪にいたからよかったものの、慎ちゃん一人じゃ、ご飯も作れないんだものね」
「その話・・本当ですか・・」
「本当よ。でも、付き合うっていったって、所詮は東京と大阪よ。私は付き合っているとは思ってないの」
「わ・・別れたんやなかったんですか・・」
ヤダわ・・この子・・
別れたことも知ってるのね・・
「そうなの。私、フラれたんだけど、その後も、よく連絡があったのよ」
「・・・」
「それで、なんとなく、ズルズルって感じかな」
「そ・・そうですか・・」
「よくあることよ。焼け木杭に・・なんとやら、ってね」
「・・・」
「いくら教え子さんだからって、教師のプライベートに首を突っ込むのはどうかしら」
「え・・」
「じゃ、私はこれで」
吉岡はそう言って、浅野の前から去った。
浅野は、頭が混乱していた。
そして小島のことを思った。
どうすんねん・・
これ・・完全な二股やんか・・
もう・・確定やんか・・
するとなにか・・
先生は・・貴理子さんと付き合ってた時も・・あの人と・・
貴理子さんと別れて・・彩華に乗り換え・・
これに・・何の意味があんねん・・
許されへん・・
先生・・これは絶対に許されへんことやで・・
―――その頃、日置のマンションでは。
「ただいま~」
吉岡は明るい声で部屋に入った。
日置はベッドで寝ていた。
慎ちゃん・・寝てるのね・・
吉岡は日置の寝顔を確かめた後、台所に立った。
そして、買ってきた食材で料理を作り始めた。
ちょっと・・言い過ぎたかな・・
吉岡は、浅野に嘘をついたことを少し後悔していたが、別に大したことでもないと思っていた。
なぜなら吉岡は、日置には小島という恋人がいるなんて知らないからだ。
嘘がバレても、問題にもならないと軽く考えていたのだ。
「早苗ちゃん・・」
日置はベッドから下り、ダイニングへ行った。
「あら、慎ちゃん、起きちゃダメよ」
吉岡は振り向いてそう言った。
「迷惑かけて悪かった・・もういいから帰って・・」
「なに言ってるのよ。放っておけるはずがないわ」
「僕はもう平気だ・・」
「ダメだってば。せめて料理くらい作らせてよ」
「いや・・いい・・」
「今ね、おかゆを作ってるの」
「ちょっと・・水をくれないかな・・」
「え・・ああ、わかった」
吉岡は、慌ててコップに水を注いだ。
「はい」
それを日置に渡した。
「ありがとう・・」
日置は一気に飲み干した。
「まだいる?」
「いや・・もういい・・」
日置はコップをテーブルに置いた。
「慎ちゃん、ほんとに辛そう・・寝てた方がいいわよ」
そして吉岡は日置に肩を貸し、ベッドまで連れて行った。
日置はベッドに入り、横になった。
「病院では、どんな処置をしてもらったの」
「注射と点滴・・」
「そうなんだ。じゃ、辛いのも今日と明日くらいね」
「そうだね・・」
「じゃ、料理の続き、するわね」
「早苗ちゃん・・」
吉岡が立ち上がろうとすると、日置が引き止めた。
「なに?」
「すごく・・助かった・・」
「なに言ってるのよ。全然いいのよ」
「だから・・もう・・帰って・・」
「慎ちゃん・・」
「感謝してる・・ほんとに・・」
「そんなに私がここにいちゃいけないのね・・」
「うん・・」
うん・・って・・
慎ちゃん・・酷いこと言うのね・・
病気の時にも、私は必要ないのね・・
吉岡は、日置のことを忘れたつもりでいた。
そして前へ向こうと、新しい出会いにも積極的だった。
けれども実際、あんなに好きだった日置と偶然会い、吉岡の気持ちは昔に引き戻されていた。
「早苗ちゃん・・」
「なに・・」
「僕ね・・付き合ってる人がいるの・・」
「・・・」
「だから・・その子に心配させるようなこと・・したくないんだよ・・」
「そ・・そうだったの・・付き合ってる人・・いたんだね・・」
そこで吉岡は、浅野に言ったことが頭をよぎった。
日置に言うべきかどうか迷ったが、吉岡は口にしなかった。
なぜなら、自分がこうまでして尽くしたにもかかわらず、日置は「帰れ」と言った。
そのことに少し腹を立て、「彼女」に嫉妬していたからだ。
とかく女心の中には「悪魔」が棲んでいるものだ。
頭ではわかっていても、「悪魔」が顔をのぞかせる瞬間がある。
「悪魔」に支配された吉岡が起こした問題は、この後、とんでもない事態を引き起こすのである。
―――ここは桂山の体育館。
浅野はあの後、すぐに桂山へ戻っていた。
浅野の尋常ではない、強張った表情を見た彼女らは、日置に何があったんだと訊いた。
「先生は、家で寝てるから大丈夫や」
浅野はなぜか、ケンカ腰で喋っていた。
「内匠頭、どないしたんや」
杉裏が訊いた。
「どうもせん」
「先生~倒れはったん~?」
蒲内が訊いた。
「救急車で運ばれたけど、単なる風邪や。大久保さんが運んでくれはったんや」
「風邪で~救急車って~よっぽどなんやな~」
「普通は、ないわな」
「熱があったんと違うの~」
「そらもう、すごい熱やったんちゃうか」
浅野は「あのボケ、罰が当たったんや」と喉まで出かかったが、なんとか堪えた。
「みんな、ごめん。さ、練習しよか」
浅野がそう言うと、他の者も台に着いた。
「浅野さん」
遠藤が呼んだ。
「はい」
浅野は遠藤の元へ行った。
「大久保は、どないしとんねや」
「ああ、大久保さんは、後輩らの試合を見てくれてます」
浅野は戻った時、直ぐに遠藤に報告すべきを、日置のことで失念していた。
「で、日置監督は?」
「今日は、無理やと思います」
そして浅野は、事の経緯を説明した。
「そうやったんか。そら大変やったな」
「はい、勝手してすみませんでした」
「いや、ええねや。ほな練習や」
浅野は、小島に何と言えばいいのか、考えすら浮かばないでいた。




