407 点を取りに行く
―――「和子ーーー!」
トミは叫んだ。
そこでサーブを出そうとしていた白坂も、レシーブの構えに入った和子も一旦背を伸ばした。
そして和子は観客席を見上げた。
「ば・・ばあちゃん・・」
和子は唖然とした。
なにを言うつもりなんだ、と。
「わーは、なにしに大阪まで行ったんなら!そこにおる日置先生に教えてもらうためじゃないんか!こんな年寄りのバアを放ってまで大阪を選んだんは、和子!自分自身じゃろうに!それがなんじゃ!念願のインターハイに出とるんじゃろ!バアはの、和子の情けない姿を観に、ここへ来たんじゃないんぞ!」
トミの言葉に館内の全員が驚いていた。
なんだ、このばあさんは、と。
すごいじゃないか、と。
「ばあちゃん・・」
和子は呆然としていた。
「ええか!たかが試合じゃ!取って食われりゃせんのじゃけに、しっかり向かって行かんか!」
トミはそう言って、平然と着席した。
すると近くの者らから、パチパチと拍手が挙がっていた。
「お孫さんですか」
一人の女性が声をかけた。
「そうですけに」
トミはニッコリと笑った。
「頑張ってほしいですね」
「そうじゃ。そのために大阪へ行ったんじゃけにの」
「私も応援しますね」
「ありがとうございます」
トミは丁寧に頭を下げてコートに目を向けた。
―――コートでは。
「あんたのおばあさんなんだ」
白坂が言った。
「え・・」
「おばあさんなんでしょ」
「はい・・」
「すごいね」
白坂は少し笑った。
「大阪へ行ったって言ってたけど、あんた、元々はどこなの?」
「か・・香川です・・」
「へぇー地元なんだ」
「はい・・」
「でも、大阪へ行くってすごいじゃん。それって頑張るため?」
「はい・・」
「別に後押しする気はないけど、ここは、おばあさんの気持ちを考えないとね」
「え・・」
「わざわざ孫の試合を観に来てくれたんでしょ」
「あ・・はい・・」
「でも私は遠慮しないよ」
「え・・」
「コートに立ってる限り、甘えは許されないってこと」
和子は思った。
白坂のいう通りじゃないか、と。
なんのために自分はここに立ってるんだ、と。
森上先輩に心配させてはいけないと思った。
でもそれは違うんじゃないか、と。
私は・・今まで・・
先輩の背中ばかり見よった・・
それでええと思いよった・・
ほなけんど・・
いつまでそうするつもりなんじゃ・・
ばあちゃん・・
そうじゃな・・
なんのために大阪へ行ったんなら・・
一人前の選手として・・
全国で優勝するためじゃないんか・・
それは・・先輩もそうじゃし・・
私もそうじゃなかろか・・
うん・・
そうじゃ・・
私も桐花の選手なんじゃけに・・
頑張らんといかんけに・・
「あの・・」
和子は主審に声をかけた。
「はい」
「時間を取らせてしもうて、すみませんでした」
「あ・・いえ・・」
そして和子は白坂を見た。
「すみませんでした」
和子は丁寧に頭を下げた。
「いいよ」
白坂は優しく微笑んだ。
「では、1―0から再開です。サーブは白坂さん」
主審がそう言った。
そして白坂はサーブの構えに入った。
方や和子もレシーブの構えに入った。
そして「1本!」と張りのある声を挙げたのだ。
「よーーし、郡司!ガンガン行けーーーー!」
中川は和子の心境を思いやり、大きな声を挙げた。
「さあーー1本やで!」
「まずは、1本取るよ!」
「郡司さぁん、強気やでぇ!」
彼女らも精一杯励ました。
そして白坂はバックコースに立ち、フォアの下回転サーブをバックに出した。
和子は緊張しつつもラケットを出し、ツッツキで返した。
バックに返ったボールを白坂は、全力でバックハンドドライブをかけた。
うっ・・
は・・速い・・
それでもなんとか頑張る気持ちを取り戻しつつあった和子は、バッククロスへ入ったボールをショートで返した。
そう、本来の和子なら、白坂レベルのドライブはなんなく返せるのだ。
なぜなら日置や森上のドライブを、嫌というほど受けてきたからである。
へぇー・・
意外だと思った白坂は、今度はバックハンドでミート打ちを放った。
ひゃあ・・
これも・・速い・・
取れないと思った和子だったが、バックコースのギリギリに入ったボールに一か八かでラケットを出した。
すると偶然にも抜群のタイミングで当たり、スピードの乗ったボールはバッククロスへ入った。
やるじゃんか・・
そう思った白坂はすぐさま回り込み、全力でスマッシュを打ちに行った。
パシーン!
矢のようなボールがフォアストレートに入った。
うわあ・・
唖然としながらも和子は懸命に足を動かし、なんとボールに追いついたのだ。
これは単に当てただけだったが、また返球したのだ。
そしてボールはフォアの端でバウンドした。
なんでもないボールを白坂は、また全力でスマッシュを打ちに出た。
そしてスピードの乗ったボールはバックストレートに入った。
無理だと思いつつも、和子は懸命に追いかけたがボールは後ろへ飛んで行ったあとだった。
「よし」
白坂は軽くガッツポーズをした。
「どんまい」
和子は下を向かなかった。
そう、今のラリーで幾ばくか緊張が解れていたのだ。
やってやれないことはない、と。
頼りなくも、ラリーができた、と。
「郡司さん、それでいいよ!」
日置はパンパンと手を叩いた。
「よーーし、よう動いた!」
「さあ、ここから、ここからやで!」
「挽回1本やでぇ!」
「郡司よーーー!おめー、まだこんなもんじゃねぇはずだ!死に物狂いで食らいつけよ!」
彼女らの言葉に和子は振り向いてニッコリと笑った。
うん・・
それでいいよ・・
郡司さん・・
頑張れ・・
頑張れ・・
日置は心の中で願った―――
その後、和子は必死で食らいついたが、現実はそう甘くない。
あまりの実力差の前では、成す術がないのは当然のことだった。
試合は着々と進み、なんと和子はまだ1点も取れずに10―0と大差がついていた。
一旦は奮起した和子だったが、0点という不甲斐なさに、次第に気持ちは沈んで行った。
「おらあーーー郡司!下を向くんじゃねぇ!」
「郡司さん!まだまだここからやで!」
「点数なんか関係ないで!マイペースやで!」
「まず1点取るよぉ!」
彼女らの言葉に和子は頼りなく頷いた。
0点・・
どうすりゃ・・
1点取れるんなら・・
どうすりゃええんなら・・
「郡司さん!」
日置が呼んだ。
和子は無言のまま振り返った。
「タイム取って」
「はい・・」
そして和子はタイムを取りベンチに下がった。
「郡司さん」
和子は日置の前で小さくなっていた。
「ほら、こっち見て」
すると和子は情けない表情で顔を上げた。
「下を向いちゃダメだ」
「・・・」
「今のきみが持ってるものはなに?」
「え・・」
「今日まで必死で練習してきたよね」
「はい・・」
「それはなんのため?」
「なんのため・・」
「うん、なんのため?」
「試合に勝つためです・・」
「そうだよね」
日置はニッコリと笑った。
「勝つなら下を向いちゃいけない」
「・・・」
「なあ、郡司さん」
そこで重富が口を開いた。
「はい・・」
「あんた、0点がかっこ悪いと思てんねやろ」
和子は小さく頷いた。
「あのな、私さ、去年の12月にはまだ演劇部やったんやけど、試合に出たことがあってな」
「え・・?」
重富がかつて演劇部員だったことは知っていたが、試合に出たことを和子は知らなかった。
「ほんでな私、まったくの素人やんか。そやから大観衆の前で、私0点やったんやで」
「え・・」
「もう、どんだけかっこ悪かったか。途中で帰りたいと思たしな」
「そうですか・・」
「観衆も相手も笑とったけど、最後まで諦めることはせぇへんかった」
「・・・」
「これだけは言うとく。たとえ0点でも諦めんかったら後悔せぇへん。でも諦めたらあんたは一生悔やむで」
「・・・」
「おばあちゃんも言うてはったやん。取って食われるわけじゃないて」
重富先輩・・
0点の試合をしたことがあったんか・・
そうか・・
そんなことが・・
「郡司よ」
中川が呼んだ。
「はい・・」
「重富が試合に出たのは色々と理由があってよ、細けぇことは後で説明してやっから」
「はい・・」
「おめー、考えてみろって。ラケットも持ったことがねぇ、ボールを打ったこともねぇど素人の重富がよ、大勢の前でどんな気持ちで試合をしたかをよ」
「・・・」
「今のおめーとは比較にならねぇほど、ド緊張してたはずだぜ。わかるか?」
「・・・」
「それに比べりゃおめーは素人じゃねぇ。練習だって必死こいてやって来たよな」
「・・・」
「つまりだ!おめーには持ってるもんがあるっつってんだよ。それを使えっつってんだよ」
「・・・」
「点数なんかくそ食らえってもんよ。0点、上等じゃねぇか!」
「ほ・・ほんまに・・」
「あ?どうした」
「ほんまに・・0点でもええんですか・・」
「あはは、決まってんだろ!いいってことよ!」
中川は和子の肩をバーンと叩いた。
そこで日置は思った。
諦めずに一所懸命戦う・・
それなら・・たとえ0点でも構わない・・のか・・?
いや・・違うぞ・・
それは違う・・
勝てないとわかってても・・
勝つ、という向かって行く気持ちを持たないとダメだ・・
重富さんの場合は・・全くの素人だったから・・
0点でも全然よかった・・
でも・・
郡司さんは・・桐花の選手なんだ・・
人数合わせで居るわけじゃないんだ・・
それに・・
今の郡司さんには・・決定的に足りないものがある・・
「違うよ」
日置がポツリと呟いた。
「なんだよ」
彼女らは、なにが違うんだ、と日置を見た。
「いいかい、郡司さん」
「はい・・」
「結果的に0点だったとしても、それはいい」
「はい・・」
「だけど、ここは点を取りに行くんだ」
「えっ・・」
和子のみならず、彼女ら全員が驚いた。
今の郡司に、どうやって点を取れというんだ、と。
「今のきみは、下を向かずに頑張れるだけ頑張ろうって気持ちだよね」
「は・・い・・」
「それじゃ、点は取れない」
「・・・」
「運よく、向こうがサーブミスしたりの点もあるよね」
「はい・・」
「でもそれは、きみが取った点じゃない」
「・・・」
「ここは、取りに行くんだ」
「取りに行く・・いうても・・どげにして・・」
「そこだよ。いいかい、よく聞いて」
「はい・・」
「まず、レシーブは絶対に厳しいところ。ミスしてもいいから、これは意識して」
「はい・・」
「それと白坂さんより先に打ちに行くこと。これはレシーブも含めてね」
「えっ」
「常に先手を取ること」
「そ・・そがな・・」
あまりの要求に和子の顔は引きつっていた。
同時に彼女らも驚いていた。
なぜなら、白坂と和子が互角だといわんばかりのアドバイスだからである。
「先生・・」
阿部が呼んだ。
「なに?」
「郡司さんには・・無理やと・・」
「なに言ってるの」
「え・・」
「僕は無理なことは言わない」
「そ・・そやかて・・」
「できるよね、郡司さん」
日置は和子を見た。
「え・・」
「できるよね」
和子は到底頷くことなどできなかった。
「おい、郡司よ」
中川が呼んだ。
「はい・・」
「先生のいう通りにしな」
「えっ」
「私もさ、0点上等なんて言ったけどよ、先生の話を聞いてちげーとわかったぜ」
「・・・」
「おめー、勝つために試合すんだよな」
「・・・」
「だったらよ、点を取りに行け」
「・・・」
「このまま舐められて引き下がるつもりかよ」
「そっ・・そがな・・」
「いいな、点を取りに行くんでぇ」
和子は思った。
今の自分はどう足掻いても点など取れない、と。
けれども、それでいいのか、と。
いや、まだまだ恐怖心はある。
本音を言えばここで止めたい、と。
ほなけんど・・
ほなけんど・・
もう・・負けることは決まっとるんじゃ・・
決まっとるんじゃけど・・
点を取りに行く・・
できるだけ頑張る・・
二つの選択じゃけど・・
同じ負けるんなら・・
点を取りに行く方がええに決まっとる・・
私に・・
できるんじゃろうか・・
できるんじゃろうか・・
ばあちゃんが言いよったけに・・
取って食われりゃせんのじゃけに・・
頑張るしかないんじゃないんか・・
勇気を出せ・・自分・・
勇気を出すんじゃ・・
「先生・・」
和子が頼りなく呼んだ。
「なに?」
日置は優しく微笑んだ。
「わっ・・私・・」
「うん」
「て・・点を取りに行きますけに・・」
「うん。きみならできる」
「よーーし、郡司よ。おめーー死に物狂いでフランク白坂から点をもぎ取れ!」
「そやな、郡司さん。点を取りに行こ!」
「まず1点や。1点な」
「郡司さぁん、1本大事になあ。焦ったらあかんよぉ」
「はっ・・はいっ」
和子は精一杯声を張った―――




