401 型
―――日置は考えていた。
今のサーブは・・
景浦さんにインプットされた・・
だから・・
同じサーブは二度と通用しない・・
それより・・
どうやってツッツかせるかだ・・
ラリー中にフォアでツッツかせるということは・・
森上が、先にツッツくということだ・・
これはあり得ない・・
森上と景浦のラリーは、全てが上回転のボールだ。
下回転のラリーで考えられるのは、唯一サーブとそのレシーブだけだ。
しかも森上がサーブを持った時だけだ。
なぜなら、今のところだが、景浦は平凡な上回転のロングサーブしか出していない。
となると森上が下回転のサーブを出すしかないからだ。
とはいえ、景浦をツッツかせるようなサーブは、そうそう出せない。
景浦なら、必ずドライブ、或いは前で叩く、という戦法に出ることは目に見えている。
うーん・・
ここは・・
ツッツかせることに拘るよりも・・
やはり・・ラリーだ・・
今しがたの戦法で行くと・・
景浦さんの前での対応は、封じることができる・・
うん・・
これしかない・・
「森上さん!」
日置が呼んだ。
森上は無言のまま振り返った。
「このまま押して行こう!」
森上は「うん」と頷いてコートに向きを変えた。
その実、森上もどうやってツッツかせるかを考えはしたが、これは無理だと思っていた。
先生の作戦を・・
実行するのみや・・
それしかない・・
そして森上は「1本!」と声を発し、サーブを出す構えに入った。
方や景浦は、無言のまま独特の構えに入った―――
その後、森上は日置の指示通り、前で勝負することを避けていた。
となると、試合は当然のようにラリー勝負という展開になっていた。
ラリー勝負では双方とも一歩も引かなかったが、ボールが森上のバックに来た場合、回り込みもしたが、それに対する景浦の容赦ないフォアへの攻撃に、森上は成す術をなくしていた。
そう、森上といえども、そのスピードの速さの前では動ける範囲が限られている。
いや、何度も追いつきもしたのだ。
抜群のドライブを放ちもした。
けれども森上のボールを、いとも簡単に返す景浦の技は、まさに妙技というべきものだった。
あまりの酷い現実に、桐花ベンチは言葉を失っていた。
これは悪夢じゃないのか、と。
あの森上が後手に回り、動かされ続けた挙句、あざ笑うかのような景浦の決めボール。
日置の作戦で挽回の兆しがあったものの、あくまでそれは「一時しのぎ」に過ぎなかったのだ。
かといって、前での対処に変えるとさらに分が悪い。
ここはどうしたものか、と。
彼女らのみならず、日置もアドバイスのしようがなかったのだ。
そして点差は徐々に開き、現在20―12と大差をつけて、景浦はラストを迎えていた―――
「洋子ーー1本でーす!」
まさに「ご満悦」のトーマスは、ニコニコと笑いながら手を叩いていた。
「ラスト1本だよ!」
「さすが、かげちゃんだね」
「締まって行くよ!」
「さあー1本!」
彼女らにも、余裕の表情が見て取れた。
「ビューティフルガール~、かわいそうだけど、仕方がありませーん」
そう言いながらも、トーマスは笑っていた。
「だから、森上です」
藤波は、また念を押した。
「由美子―」
「なんですか」
「ビューティフルガールね、もったいないと思わない?」
「え・・なにがですか。っていうか、森上です」
「このままだと、もったいないでーす」
「型のことですか?」
「イエース」
確かに藤波もそうだと思った。
ペン型だと、どうしてもバックが不利になる。
もし森上がシェイクの攻撃型だったとしたら、今以上の実力を備えていたであろうことは言うまでもない。
景浦との勝負も、互角、あるいは森上の方が上だったかもしれない、と。
「向こうの監督、今後は考えるんじゃないですかね」
「当然でーす。このままにして置いたら、監督失格でーす」
―――コートでは。
森上は偶然にも、トーマスと同じことを考えていた。
景浦のような実力者の前では、やはりペンは不利だ、と。
そして今の自分では、景浦に勝てない、と。
せっかく・・全国まで来て・・
優勝がかかった大事な試合やというのに・・
成す術がないなんて・・
それにしても・・
この景浦さんは・・別格や・・
でも・・
私が勝たんと・・
桐花は負けてしまう・・
いや・・
いや・・いや・・
違う・・
これは団体戦や・・
私が負けても・・
千賀ちゃんが勝つ・・
ほんで・・ラストでとみちゃんが勝つ・・
森上は、もはや成す術がないとこを悟りながらも、「1本!」と気合の入った声を挙げた。
方や景浦は、余裕の表情でサーブを出す構えに入った。
相変わらず景浦は、単純なロングサーブを出した。
景浦の場合、サーブから三球目という「姑息」な技を使わずとも、いくらでもラリーで勝負ができる。
だからこれまで、ロングサーブしか出していなかったというわけだ。
フォアに入ったボールに森上は、ここへ来ても素早く動き、そして少し後ろへ下がってゆっくりとドライブを放った。
少し山なりに入ったボールに、またか、とばかりに景浦はこれまでと同じラリー展開に持って行った。
グィーンと弧を描いてバックコースでバウンドしたボールに、森上は回り込みに間に合わなかった。
仕方なく森上はショートで対処した。
そう、仕方なく、だった。
そうなんだ・・
あんたさ・・
もう勝つ気を失くしたんだ・・
それでもエースなのか・・
今しがたの森上の「消極的」なショートを見て、景浦は怒りにも似た感情が沸き上がった。
そして何でもないショートのボールを、怒りを込めてフォアクロスへ弾丸スマッシュを打ち込んだ。
スパーン!
激しく台に叩きつけられたボールを、森上は懸命に追った。
あかん・・
間に合わへん・・
そう思った森上は気持ちが引いた分だけ、ボールはラケットから数センチ横を通り過ぎて床に落ちていた。
1セットを取った景浦は表情一つ変えることなく、ペコリと頭を下げてベンチに下がって行った。
―――桐花ベンチでは。
誰しもが無言のままだった。
そう、あの中川ですら唖然としたままだ。
「森上さん!」
まだコートに立ったままの森上を、日置が呼び寄せた。
森上は静かに一礼してベンチへ下がった。
そして日置の前に立った。
「すみませぇん・・」
森上は小さくなって詫びた。
「森上さん」
日置は優しく呼んだ。
「はいぃ・・」
「はっきり言うよ」
「え・・」
「今のきみでは景浦さんに勝てない」
日置の言葉に、彼女らは驚いた。
なにを言ってるんだ、と。
まだ1セットが終わっただけだぞ、と。
ここは監督である先生が、的確なアドバイスをすべきだろう、と。
「おい、先生よ」
中川が口を開いた。
「なに」
「勝てねぇとかよ、それはねぇんじゃねぇか」
「いや、今の森上さんでは無理だよ」
「っんなよ、無理なことは私だってわかってらぁな。だけどよ、おめー監督だろうが」
「うん」
「ならよ、アドバイスってもんがあんだろうがよ」
「いや、もう策はない」
「ないって・・」
中川は唖然とした。
「中川さぁん」
森上が呼んだ。
「なんだよ」
「先生のいわはる通りやと思うよぉ」
「おめーまでなに言ってんだ」
「でもなぁ、勝てへんとしてもぉ、諦めることはせぇへんよぉ」
「なあ、恵美ちゃん・・」
阿部が遠慮気味に呼んだ。
「なにぃ」
「ほんまに勝たれへんのやろか・・」
「わからんけどぉ・・多分・・無理やと思うぅ」
森上の言葉は、途中で投げ出しての「それ」ではなかった。
いつものように、本人は冷静だった。
冷静だからこそ、今の自分が持っているもの、今の自分ができることを客観的に判断ができる。
そのように分析した上での「答え」だったのだ。
そう、日置が言うように「今」の自分では勝てない、と。
あくまで、今は、なんだと。
「先生よ」
中川が呼んだ。
「なに」
「もう、どう足掻いても無理なんだな」
「うん」
「そうか・・」
そして中川は「森上よ」と言って見上げた。
「なにぃ」
「考えようによっちゃよ、おめー、マジのライバルが現れたってことだぜ」
「え・・」
「おめーは全国王者の三神の野郎どもをぶっ倒した。クチビルゲに至っては、4点と5点だ」
「うん・・」
「ってことはだぜ、三神はおめーの敵じゃねぇってことだ。近畿の野郎どもも大したことなかった。全国もよ、決勝までおめーの敵はいなった」
「・・・」
「これでフランク景浦がいなかったとしたらだせ、おめーのライバルなんていねぇってことだ」
「・・・」
「それってよ、つまんねぇじゃねぇか」
「・・・」
「おめーがここで負けたらどうなる?」
「・・・」
「つまり!それはやり甲斐を見出せたってことさね。わかるか、森上よ。来年、あの野郎に勝つにはどうすればいいか、ぜってー考えるよな。1年かけて死に物狂いで練習すんに決まってるよな」
中川は、自分と森上が重なっていた。
そう、藤波に負けた悔しさが、思わずそう言わせていた。
それは日置も彼女らも、十分にわかっていた。
「森上さん」
日置が呼んだ。
「はいぃ」
「でも試合はまだ終わってない。きみは桐花のエースだ。最後までエースとしての誇りを胸に、堂々と戦うこと」
「はいぃ」
「よし。徹底的に叩きのめしておいで」
日置は森上の肩をポンと叩いて、いつも通りの言葉を発した。
「うん、そうや。恵美ちゃん、しっかりな!」
「森上さん、もうここはあんたのやりたいようにやればええで!」
「先輩、ファイトですけに!」
阿部らも無理だとわかりつつも、必死に励ました。
「うん、わかったぁ」
「よーーし、森上よ!桐花の意地を見せてやんな!」
中川はそう言って、森上の背中をバーンと叩いた。
そして森上はゆっくりとコートへ向かった。
―――増江ベンチでは。
「洋子―、ナイスゲームでーす」
トーマスは手を叩きながら景浦を迎えた。
「景浦、次も今の調子でな」
藤波は景浦の肩をポンと叩いた。
「かげちゃん、さーすが!」
相馬も手を叩いて迎えた。
「森上、成す術なしって感じだね」
白坂は嬉しそうに言った。
「ほんとだよ、かげちゃんの作戦に見事に嵌ってたね」
時雨も嬉しそうだった。
けれどもそんな景浦は、不満げな表情を浮かべたまま無言だった。
「景浦、どうした?」
不思議に思った藤波が訊いた。
「いや、なんでもない」
「かげちゃん、どうしたの」
時雨も訊いた。
そして白坂も相馬も、どうしたのかと景浦を見上げていた。
「別にいいんだけどさ」
景浦は静かに答えた。
「なにが?」
相馬が訊いた。
「いや、途中まではさ、森上に一目置きもしたけど」
「ああ・・そうだね」
「まあいい。とっとと終わらせるよ」
景浦はそう言って、早々とコートに向かった。
「監督、どう思いますか?」
藤波が訊いた。
「なにがですかー」
「いや、今の景浦ですけど」
「日本に敵はいないと思ったのでーす」
「え・・」
「だから、楽しくないのでーす」
「ああ・・なるほど」
藤波も彼女らも、景浦の意を察した。
「そうだよね・・かげちゃんなら、そうだよ・・」
時雨は、もしかすると景浦はスウェーデンに戻ることが視野にあるのでは、と心配した―――
ほどなくして第2セットが始まったものの、戦況が変わることはなかった。
どこまでも諦める気持ちを忘れてなかった森上は、とことんボールに食らいつき応戦したが、やはり最後は打ち負けていた。
途中、苦肉の策であるツッツキも考えたが、もはやそれは愚策でしかない。
そのことを頭から消した森上は、正面突破であるラリー勝負に出るしかなかった。
試合はどんどん進み、大きくリードを許したまま森上は懸命にコート狭しと動き回っていた。
「おい、重富よ」
前を見たまま中川が呼んだ。
「なに」
重富も前を見たまま答えた。
「森上が負けると、その時点で2―2だ」
「うん」
「チビ助の相手はフランク相馬だから、チビ助がぜってー勝つ」
「うん、そやな」
「郡司は気の毒だが、話にならねぇ」
「うん」
「するってぇと、3―3でラストのおめーが、あの野郎と対戦だ」
「うん・・」
重富は少し消極的な返事をした。
そう、景浦に勝てるはずがない、と。
「おい、おめー」
そこで中川は重富を見た。
「なによ・・」
重富も中川を見た。
「おめーよく聞け」
「なにをよ」
「今日のおめーは神がかってんだ」
「え・・」
「おめー、フランク時雨にあれだけの試合ができたんでぇ」
「ああ・・うん」
「だから、フランク景浦にも、おめーなら勝てる」
「・・・」
「これ、マジで言ってんだぜ」
重富は唖然として、答えに窮した。
無茶を言うな、と。
そして少し時間を置いて口を開いた。
「そうやろか・・」
「なにがだよ」
「私・・勝てるんやろか・・」
「勝てる。おめー板だしよ、景浦であろうと戸惑うに違げぇねぇんだ」
「うーん・・」
「いいか、勝負はラストのおめー、重富だ」
そう言われ、重富は考えた。
ほんまやったら・・
勝てへん相手に私は勝った・・
もう一回勝て、言われても・・
多分、勝たれへん・・
けど・・
それは・・
景浦に対しても同じとちゃうんか・・
森上さんはパワー勝負やけど・・
私は・・ある意味真逆や・・
勝機があるとしたら・・そことちゃうか・・
あっ・・
そういえば・・
景浦は・・ツッツキが変やった・・
これは・・使えるんとちゃうか・・
全く勝ち目などないと思っていた重富は、ラストまで回って来るとなれば、そうも言ってられない。
優勝という栄誉を手にするには、全てが自分の肩に伸し掛かってくる、と。
これは大変だが、やり甲斐もある。
そう、もう一度奮起しよう、と。
やってやろうじゃないか、と。
「わかった。私、考えてみる」
重富は真剣な表情で答えた。
「おうよ、そうでねぇとな」
中川はニッコリと笑った。
そして試合は21―13と森上は景浦に敗北し、これでゲームカウントは2―2のイーブンとなり、五番の阿部対相馬の試合を迎えようとしていた―――




