393 インターバル
その後、重富の読みは悉く当たり、時雨は迷いに迷った。
裏かと思えば板、板かと思えば裏と、常に時雨の逆を突く重富の戦法は実に見事だった。
戦前、畠山が考えていた「裏と板を上手く使い分けると隙ができる。重富に勝機があるのはそこだ」とは、まさにこのことだった。
そして試合は中盤を迎え、14―8と、なんと重富は6点もリードしていた―――
「さあ、1本だよ、1本!」
ここは締まれとばかりに、日置は気合いの入った声を挙げた。
「とみちゃん、1本な!」
阿部は2セット目が始まる前、「もっと楽に」と心配したものの、時雨を突き放す重富の戦術に舌を巻いていた。
「とみちゃぁん~~!押していくよぉ~~!」
森上は間もなく出番だとばかりに、アップに余念がなかった。
「先輩~~~!1本ですけに!」
和子の声も弾んでいた。
「よーーし、重富よ!ここは気合いを入れなおして、フランク時雨を徹底的に叩きのめしてやんな!」
中川の言葉に反応したのは、時雨ではなく藤波だった。
「あいつ・・全く口が減らないやつだ」
藤波は時雨が押されていることも相まって、イライラが募っていた。
「時雨!ここ1本だよ!」
藤波の声に、時雨は情けない表情で頷いた。
「ほら!なんだその顔は!重富なんか、あんたの敵じゃないよ!」
この言葉に反応したのが中川だった。
「おいおい、フランク藤波よ!おめーうちの重富に対して言ってくれるじゃねぇか!」
「中川さん!」
即座に阿部は中川のジャージを引っ張った。
―――観客席では。
「おやおや、中川くん、始まりましたよ」
皆藤は少し笑っていた。
コート近くに座っている三神にも、中川と藤波の声が届いていた。
「藤波さんに負けた悔しさもありますからね」
野間が答えた。
「ほんまに・・中川さんて・・」
菅原は相変わらず呆れていた。
「それにしても藤波くんも、熱くなっていますね」
皆藤が言った。
「時雨さんは二番手ですからね・・」
野間の言葉に皆藤も彼女らも、その意味がわかっていた。
一方で、皆藤と一つ空けて座る畠山は思っていた。
重富さん・・すごい・・すごいで・・
そうやねん・・
私が言いたかったんは・・これやねん・・
畠山は戦術を思った。
せやけど・・
考えたら・・重富さんて・・
去年の一年生大会では・・全くの素人やったやん・・
変なポーズとったり・・
色々とやっとったけど・・
その子が・・インターハイの決勝戦で・・
増江の二番手を相手に・・
ここまでの試合を・・
「重富さん!もう1本!」
思わず畠山は感極まって、大声を挙げた。
隣に座る本多も、皆藤も三神の彼女らも、畠山を見た。
畠山の声に重富は気が付いたが、それに応える余裕がなかった。
なぜなら、中川と藤波がまだ言い合っているからだ。
「おめーよ!フランク時雨がやられる様を黙って見てろってんだ!」
「お前こそ、口を閉じな!この無神経野郎!」
藤波は言い合ううちに、次第に言葉が激しくなっていた。
―――本部席では。
「また・・あなたの娘さんですね・・」
役員は呆れたように呟いた。
「でっ・・でもっ・・今のはお互い様じゃない?」
ここに「監禁」されている亜希子は、バツが悪く思いつつもそう答えた。
「まったく・・困ったものです」
そこで役員長の竹田は席を立ち、コートへ向かった―――
無論この間、桐花ベンチでは中川を制していた。
「中川さん、やめなさい!」
日置が怒鳴った。
「中川さん!もうええって!」
阿部が止めた。
「そやでぇ~、中川さぁん。ここは大事な展開やでぇ」
森上は試合の流れが変わることを心配した。
「先輩~、抑えて、抑えて」
和子も中川のジャージを引っ張っていた。
「おめー!私に勝ったくれぇで、いい気になんなよ!」
中川は全く聞く耳を持たなかった。
方や増江ベンチでは、誰もが驚いて藤波を見ていた。
それこそ「らしくない」ぞ、と。
「負け犬らしく、大人しくしてろ!」
藤波も大声を挙げていた。
ほどなくしてコートに来た竹田は、日置と中川、トーマスと藤波を呼び寄せた。
「両監督に申します」
竹田は毅然として言った。
「選手の暴言を放置するのであれば、この決勝戦は没収試合とします」
「オーノー!」
トーマスは両手を広げて首を横に振った。
「申し訳ありません、きつく言い聞かせます」
日置は丁寧に頭を下げた。
中川と藤波は互いを睨みつけていた。
くそっ・・
おめーのせいだぞ・・
お前が悪いんだよ・・
「もし、この後も続くようでしたら、その時は警告なしで没収試合とします」
竹田の言葉を聞いて、トーマスと日置は焦った。
「由美子ー、ここは落ち着いて。わかったね?」
トーマスは藤波を見た。
藤波は黙って頷いた。
「中川さん、いいね」
日置も念を押した。
くそっ・・
ったくよー・・
命のやり取りだろうが・・
こんくれぇやんねぇと・・
ナイフが刺さって・・倒れるってもんさね・・
でもま・・仕方ねぇやな・・
没収試合なんざ・・目も当てられねぇからな・・
よし・・ここは・・いっちょ・・
中川はあることを思いついた。
「竹田さま・・」
突然、中川はそのように呼んだ。
呼ばれた竹田は唖然としつつも中川を見た。
「大変申し訳ございませんでした」
中川は深く頭を下げた。
「え・・」
あまりの意外性に、竹田はそれしか言えなかった。
「わたくし・・大変熱くなっておりましてね、ついあのような言葉が口を突いて出たわけでございます」
「あ・・いや・・うん」
「それと・・」
「それと?」
「今後、藤波さんには、お下品な言葉は慎むよう、お願いしたいところでございますわよ」
中川はニッコリと笑って答えた。
そう、中川は早乙女愛で対応したのだ。
その様に、トーマスも藤波も審判も唖然としていた。
なんなんだよ・・
こいつ・・
変なものでも食ったのか・・
藤波は中川の変貌ぶりに、驚くばかりだった。
―――桐花ベンチでは。
「先生、なんやったんですか」
阿部が話の内容を心配した。
「これ以上、暴言を続けるようだと没収試合だって」
「ええええええーーーー!」
阿部ら三人は驚いて叫んだ。
そして三人は、すぐに中川を見た。
「あんた、絶対にアカンで!」
阿部が釘を刺した。
「あら、チビ助ちゃん、わたくしがそんなバカなことをすると思ってらして?」
「は・・はあ?」
「中川さんね、早乙女愛で謝罪したの」
日置は半ば呆れつつも、事が収まってホッとしていた。
「あんた、ここから早乙女愛で応援し!」
「けっ、バカ言ってんじゃねぇよ」
「もう~~~ほんまにあんたは!」
「まあまあ、千賀ちゃぁん。中川さんかてわかってると思うよぉ」
「さすが森上さね。おめーはほんと、冷静だな」
「中川さん」
日置が呼んだ。
「なんだよ」
「没収試合なんて、絶対にダメだからね」
日置は語気を強めて言った。
「この中川さまが、重富の試合をお釈迦にするわけねぇだろ!」
「ほんとだね」
「たりめーって話さね!さあさあ、重富!とっとと続きをおっ始めようぜ!」―――
一方、コートで事が収まるのを待っていた時雨は、藤波に驚きつつも、このインターバルで気持ちが落ち着きつつあった。
6点なら・・挽回できる点差だ・・
ここは・・もう一度考えよう・・
1セット目の出だしはどうだった・・?
下回転も・・上回転も・・
抜群のタイミングで入ってた・・
返されたボールもあったけど・・
とにかく入ってたんだよ・・
そして時雨は確認するように素振りをした。
よし・・この感覚だ・・
そして・・狙うは裏のみだ・・
時雨はある程度、覚悟を決めた。
そう、負けるかもしれないが、自分のやるべきことをやろう、と。
方や重富は、この流れのまま押して行くつもりだった。
インターバルもあったが、大した影響はない、と。
時雨は素振りをしていたが、そう易々とラケットコントロールを調整できるはずがない、と。
「では、試合を再開します」
主審がそう言って、ボールを時雨に渡した。
さあ・・1本ずつ・・1本ずつだ・・
そう思いながら、時雨はサーブを出す構えに入った。
方や重富もレシーブの構えに入った。
「1本!」
重富が張りのある声を発した。
そして時雨はサーブを出した。
これは1セット目の前半に出した、ブチ切れの下回転サーブだ。
重富のラケットは裏で打つ格好だ。
反転させるのか・・
時雨は重富のラケットを凝視した。
すると重富は反転することなく、裏で対処した。
来たっ・・!
バックコース深くに返ったボールに、時雨は抜群のタイミングでミート打ちを放った。
パシーン!
まるで1セット目の前半を彷彿とさせるようなボールは、重富のフォアストレートを襲った。
フォアかっ・・!
重富は素早く足を動かしつつ、ラケットを反転させた。
そして守る形でブロックした。
カーン
板の音が鳴り、ボールは時雨のバックストレートに入った。
ナックルかっ・・くそっ・・!
そう思いつつも時雨は、渾身の力を込めてミート打ちを放った。
するとどうだ。
眼の覚めるようなスピードの乗ったボールは、バッククロスを抜けて行った。
懸命に追いかけた重富だったが、一歩出遅れてボールは床に落ちていた。
「よしっ!」
時雨が気合いの入った声を挙げた。
これは、必ずしも点を取ったからではない。
ナックルに対し、初めて思い通りのボールが決まったからである。
「よーーし!ナイスボール!」
トーマスは嬉しそうに手を叩いた。
「よーーし!時雨!ナイスボールだ!」
藤波も手を叩いていた。
「ときちゃん、もう1本だよ!」
「挽回だよ!」
白坂と相馬も大きな声を挙げた。
「ときちゃん、さあーーここからだよ!」
景浦は、今の1本で時雨は蘇ると確信した。
「どんまい」
重富は冷静にそう言った。
「どんまいだよ!」
日置は口に手を当てて叫んだ。
「とみちゃん、リード、リード!」
「次1本やでぇ~~~!」
「先輩~~~!どんまいですけに!」
「重富ーーーー!今のは気にすんな!次の1本取って、また引き離してやんな!」
彼女らの声援を受けつつも、重富は思っていた。
フランク時雨・・
板のボールを・・
抜群のミート打ちで返しよったな・・
ということは・・
ちょっとは感覚を取り戻しつつあるってことか・・
いや・・
そうはさせへんで・・
この時点で、カウントは14―9と5点差になった。
よし・・
あと2点取って・・14―11でサーブチェンジだ・・
時雨はそう思っていた。
ここは・・
2点取って・・16―9でサーブチャンジや・・
重富も同じように思っていた。
そして重富は、レシーブの構えに入った。
時雨にしたら・・
もう1本ナックルを打って・・
完全に感覚を取り戻したいはずや・・
ってことはやで・・
私に・・板を使わせたいはずや・・
そうはさせるか・・
「1本!」
重富は張りのある声を挙げた。
方や時雨もサーブを出すべく、構えに入った。
ここは・・そうだな・・
もう1本・・今ので行くか・・
そう、時雨は切れたボールを打って決めようと思っていた。
なぜなら、最低でも2本連続で点を取らなければ、3点差にならない。
なにがなんでも追いつくためには、切れたボールで確実に点を取るべきだと考えたのだ。
その意味で時雨は、裏でレシーブすることを願った。
そして時雨は同じサーブを同じコースへ出した。
重富はラケットを反転させず、裏で切って返した。
よしっ・・!
思い通りのボールが返ってきたことで、時雨はバックハンドではなく、回り込んでミート打ちを放った。
すると矢のようなスピードの乗ったボールは、重富のバックコースを襲った。
くそっ・・
絶対に抜かせへんっ・・!
重富は懸命にラケットを出した。
けれども一歩出遅れて、ボールはすでに後ろへ飛んで行った。
「よしっ!」
時雨はまた気合いの入った声を挙げた。
「真由美ーーーそれでーす!」
トーマスは、左手の人差し指を時雨に向けた。
「ナイスボール!」
「もう1本だよ!」
「挽回だよ!」
「さあーーここ1本!」
そして増江ベンチも、大いに盛り上がっていた。
「どんまい」
重富は静かにそう言った。
「重富さん、どんまい、どんまい!」
日置は気にするな、とばかりに手を叩いていた。
「この1本取って、サーブチェンジやで!」
「ここ1本取るよぉ~~~!」
「先輩!行けますけに!」
「重富ーーーー!さあーー勝負の時だぜ!ぶっかましてやんな!」
彼女らも、次の1本が試合の行方を左右すると感じていた―――




