388 リード
―――観客席では。
「重富くん、板を使いませんね・・」
皆藤がポツリと呟いた。
一つ空けて座る畠山はチラリと皆藤を見た。
そうなんよ・・
なんで板を使わへんの・・
時雨の弱点はナックルなんやで・・
ああ・・重富さん、なんか勘違いしてんのとちゃうかな・・
畠山は焦りにも似た感情を抱いた。
もしかすると、自分が「ヒント」を与えたことが仇になっているのでは、と。
あの時「一番勝てる」という曖昧な表現ではなく、「ナックルが弱点やで」と、なぜ具体的に言わなかったんだ、と。
私のせい・・?
嘘やろ・・重富さん・・
「なぜ、板を使わないんでしょうか」
野間が皆藤に訊いた。
言葉に反応した畠山は野間を見た。
「うーん・・わかりませんね」
「そうですよね・・」
「でも、重富くん、とても落ち着いていますね」
皆藤は、重富が振り返ってベンチに笑顔で応えていた表情を見ていた。
野間はその言葉に頷いた。
―――コートでは。
さあ・・考えろ・・考えろ・・
今は1点リードされてる・・
ここは何としてでも・・
1点でもええから、こっちがリードする形に持っていかんと・・
重富は出すサーブを考えに考えた。
ここでいっちょ・・
板で出してみるか・・
ロングかショート・・
どっちがええやろな・・
うーんと・・
そもそもシェイクの攻撃型って・・
ミドルが弱点の選手も多い・・
よし・・
そして重富は「1本!」と張りのある声を発し、サーブを出す構えに入った。
立ち位置と構えは、さっきと同じだ。
方や時雨は至極冷静にレシーブの構えに入った。
そして重富はボールをポーンと高く上げた。
また変なサーブだね・・
舐めんじゃないわよ・・
時雨はまた打ち抜いてやる、とばかりにボールを凝視した。
重富は必殺サーブと見せかけて、ボールが当たる瞬間にラケットを反転させた。
するとカーンという板独特の音が鳴り、フルスピードのロングサーブが時雨のミドルを襲った。
えっ・・
当然、裏で出すと思っていた時雨は、一瞬焦った。
そして体を詰まらせながらも、なんとかフォアハンドで返球した。
けれども甘く返ったボールは、絶好のチャンスボールとなった。
よっしゃあ~~~!
来た来た~~~~!
重富はどのコースに打とうかと、時雨の立ち位置を見た。
すると時雨はややバック側に立っていた。
よし・・
ここはフォアへ打つと見せかけて・・
バックの端に叩きつけたる!
そして重富はフォアへ打つと見せかけて、時雨がフォアへ動こうとしたときに、素早くラケットを反転させ、瞬時にバックコースへ打ち抜いた。
パシーン!
完全に逆を突かれた時雨は、あえなくボールを見送るしかなかった。
「サーよしっ!」
重富は力強いガッツポーズをした。
「よーーし!ナイスボールだ!」
日置もガッツポーズをした。
「よっしゃあ~~~~ナイスボール!」
「とみちゃぁん~~ナイスサーブ!」
「きゃ~~~先輩~~~!ナイスボールです~~!」
彼女らも声を張り上げた。
これで2-2の同点だ。
「やるじゃん」
時雨は苦笑しながら重富にそう言った。
「そうですかね」
重富はニッコリと笑って、わざと謙虚に振舞った。
なぜなら、ここで中川のように「こんなもんやないで。フランク野郎、覚悟しぃや!」などと言おうものなら、時雨に火をつけかねないからだ。
ふーん・・
この子・・
中川と全然違うね・・
時雨は態度のことを思った。
「よし、重富さん、ここ1本だよ!」
重富は日置の声に振り返ってニッコリと笑って頷いた。
そうですよね・・先生・・
この1本は絶対にとらんとあきませんよね・・
常にこっちがリードし続ける・・
たとえ1本でもええからリードするんや・・
ほならフランク時雨は・・必ず焦るはずや・・
―――増江ベンチでは。
「ときちゃん」
景浦が時雨を呼んだ。
時雨は黙ったまま振り返った。
「タイム取ろうか」
「え・・」
時雨はなんでタイムなんだ、と納得できなかった。
今の1本はやられたけど、押してるのはこっちなんだぞ、と。
「洋子ーー」
トーマスが景浦を呼んだ。
「なんですか」
「タイムなんて必要ないでーす」
「え・・」
「そうだよ、必要ないよ」
藤波もそう言った。
なぜなら、タイムを取るということは、こちらが不利な状況に追い込まれ、作戦を立て直す場合に使われるのが殆どだからだ。
実際、藤波と中川の試合では桐花ばかりがタイムを取っていた。
そう、トーマスも藤波もプライドが許さなかったのだ。
同点になったとはいえ、押しているのはこっちだ、と。
そんな中、景浦だけは時雨を心配していた。
その実、時雨はナックルボールが不得意なわけではない。
けれども2回戦の時雨はナックルボールのミスが目立っていた。
その後の試合はすべて後輩が出ており、時雨はいわゆる「調整」が出来ないまま、板というナックルが持ち味の重富と当たった。
だからこそ景浦は、何度も時雨に「重富も撃沈だよ」と念を押していたのだ。
そう、甘く見るなよ、ということだ。
「ま、監督がそういうなら、いいですけど」
景浦は仕方なく納得して、「ときちゃん、撃沈だよ」とまた念を押した。
時雨は少々戸惑いながらも「うん」と頷いてコートに向きを変えた。
―――コートでは。
「1本!」
重富はサーブを出す構えに入った。
よし・・
ここも必殺サーブと見せかけて・・
もう一回・・板で出そか・・
コースは・・
そやな・・
バックの端がええな・・
方や時雨は何も言わずにレシーブの構えをした。
そして重富は三度同じ立ち位置、同じ構えからボールをポーンと高く上げた。
どっちだ・・
板か・・裏か・・
この時点で重富のラケットは、裏ラバーで打つ格好だ。
そしてボールが当たる瞬間、ラケットを反転させた。
するとカーンという音を放ち、スピードが乗ったロングサーブが時雨のバックコースを襲った。
舐めるなよとばかりに、時雨は鋭いバックハンドで対応した。
けれどもボールはネットにかかり、あえなくミスをした。
「サーよしっ!」
重富は渾身のガッツポーズをした。
「よーーーし!ナイスサーブだ!」
日置はパンパンと手を叩いた。
「よっしゃあ~~~!とみちゃん、ナイスサーブ!」
「もう1本やでぇ~~~~!」
「先輩~~~~ナイスです~~~!」
彼女らもやんやの声援を送った。
「どんまい」
時雨は初めてそう口にした。
そして自分を納得させるように、うんうんと頷いた。
「真由美ーー!気にすることはないでーす」
トーマスは余裕の笑みを見せた。
「そうだよ、ときちゃん、次1本だよ!」
「挽回だよ!」
白坂と相馬も檄を飛ばした。
―――その頃、トイレでは。
中川は手洗いで顔をジャブジャブと洗っていた。
そして蛇口を捻り、水が滴り落ちる顔を鏡に映した。
情けねぇ顔だな・・
目が真っ赤になった自分を見て、中川は「フッ」と笑った。
でももういい・・
あれだけ泣いたんでぇ・・
フランク藤波は来年返り討ちにあわせるとして・・
重富の応援しねぇとな・・
よーーし!
そして中川は、ゴシゴシとタオルで顔を拭いた。
「おのれ~~~!フランク野郎ども!ぜってー桐花が優勝するって決まってんだ!」
中川が突然叫ぶと、個室から「うわあ~~~!」と怯えた声がした。
すると中川は「あっはっは!すまねぇ!」と笑いながらトイレを後にしたのだった。
―――桐花ベンチでは。
日置も彼女らも、中川がベンチに向かって歩いているのを確認した。
「よかった・・先輩・・やっと戻ってきたけに・・」
和子は安堵したようにそう言った。
それは日置も阿部も森上も同じ気持ちだった。
「よーう、おめーら待たせたな」
中川はベンチに着いたとたんそう言った。
そしてタオルを首にかけ、「おおおーーー!重富、リードしてんじゃねぇかよ!」と声を挙げた。
けれども日置も彼女らも、中川の目が真っ赤になっていることに気が付き、なにを言えばいいのか戸惑っていた。
「重富ーーー!フランク時雨なんざ、蹴とばしてやんな!」
そこで中川は彼女らの方を見た。
そう、なぜ黙っているんだ、と。
「おめーら、なんだよ」
「なにて・・」
阿部は戸惑いながら答えた。
「おめー、まさかこの私が泣いたとでも思ってんじゃねぇだろうな」
「せやかて・・」
「見くびってもらっちゃあ、困るってもんよ」
「・・・」
「いいか、チビ助」
「なによ・・」
「朝日が昇ると1日が始るんでぇ・・」
「・・・」
「そしてっ!夕陽が沈むとその日が終わる・・」
「なに言うてんのよ・・」
「つまり・・そういうことさね・・」
「まったくわからんのやけど」
そして中川は「あはは」と笑った。
そう、大河に励まされたことが、今更ながら嬉しくてたまらなくなっていたのだ。
「おら、おめーもおめーも、声出しやがれってんでぇ!」
中川は森上と和子にそう言った。
「で、おめーもな」
そして日置にも言った。
「おめー・・」
日置は半ば呆れていた。
けれども日置にも彼女らにもわかっていた。
中川は泣くためにフロアを出て行ったのだ、と。
気持ちを切り替えるためにそうしたのだ、と。
「さあー重富さん!レシーブしっかり!」
日置が手を叩きながら声を挙げた。
「とみちゃん!リード1本な!」
「しまっていくよぉ~~!」
「先輩!もう1本ですけに!」
彼女らも大きな声を挙げた。
そして試合は3-2と重富が1点リードしたところから、また動き出すのである―――




