386 悔し涙
コートを去る前、中川は藤波に言われていた。
――口ばっかりで手応えのないやつ
この言葉で中川は誓った。
来年、絶対に同じセリフをお前に返してやる、と。
けれどもその言葉は口にしなかった。
いや、できなかった。
あまりの力の差の前では、単なる負け惜しみでしかないからだ。
身がよじれそうな悔しさに襲われたが、中川は思っていた。
これは団体戦だ、と。
重富、森上、阿部が勝って優勝するんだ、と―――
「先生、おめーら、すまなかった!」
ベンチに下がった中川は、悔しさを封印して頭を下げた。
「中川さん、大丈夫か?」
「座ったほうがええで」
「これ、飲んだほうがええよぉ」
森上は水筒を差し出した。
「せ・・先輩・・」
和子は涙を浮かべていた。
中川は「ありがとな」と言って森上から水筒を受け取った。
そして「ゴクゴクゴク」と流し込んだあと、「おめー泣いてんじゃねぇよ」と和子を見て笑った。
「ほ・・ほなけんど・・」
「中川さん」
日置が呼んだ。
「なんでぇ」
「悪かった。僕の作戦ミスだ」
日置はズボールを封印させたことを言った。
「はあ?」
「はあって・・」
「先生よ」
「なに」
「勘違いすんじゃねぇぜ」
「え・・」
「あん時、先生に言われなくても私はそうしてたぜ」
「・・・」
「負けたのは私の体力が続かなかったのが原因だ」
中川は本当にそう思っていた。
たとえズボールを封印してなかったとしても、藤波の上手さからすると、易々とズボールを出させなかったに違いない、と。
そう、延々とラリーを続け、自分を疲れさせていたであろう、と。
実際、そうだったじゃないか、と。
「それより重富だ」
中川は日置に言った。
日置も、もうそれ以上何も言わなかった。
「さて、重富さん」
「はい」
重富は日置の前に立った。
「時雨さんもシェイクで裏裏だ」
「はい」
「なにを仕掛けてくるかわからない。だから出だしは様子を見ること」
「はい」
「送るコースは厳しいところ。これは絶対に怠らないようにね」
「はい」
「それとサーブ。これも警戒すること」
「はい」
「よし、徹底的に叩きのめしておいで」
そして日置は重富の肩をポンと叩いた。
「とみちゃん、しっかりな!」
「出だし、1本やでぇ」
「先輩!頑張りますよ!」
「よーし、重富よ」
中川は足をふらつかせていた。
「あんた、ほんまええから、座っとき」
「けっ、バカ言っちゃいけねぇぜ」
「なに言うてんのよ」
「あれはいつだったか・・」
中川は腕組をして、またあさっての方を向いた。
その様子に、日置も彼女らも唖然とした。
ここでそれをやるか、と。
「私は椅子取りゲームをしたのさね・・」
「え・・」
「タララリラリラン・・と曲が流れた・・」
中川は『オクラホマミキサー』のメロディを口にした。
「そしたらよ・・なんと!しばらくして曲が止まったのさね・・」
「そら、そうやろ」
阿部らは、椅子取りゲームなんやから、そら曲は止まるやろ、と呆れた。
「そしたらよ・・みんなは慌てて椅子に座りやがったのさね・・」
「そら、座るやろ」
「私は思ったのさね・・」
「なにをよ・・」
「世の中にゃあ・・こんな斬新なゲームがあったのか・・と」
「えっ」
「あんた、知らんかったんかいな」
そこで彼女らは「あははは」と笑った。
「おうよ。言っとくが、これ幼稚園の時の話しな」
「っていうか、なんの話ししてんのよ」
「細けぇことはいいんでぇ!さあーー重富よ!フランク時雨をぶっ倒してやんな!」
中川はそう言って重富の背中をバーンと叩いた。
日置にはわかっていた。
中川は自分が負けたことで、ベンチの空気が悪くならないよう、あえて冗談を言ったのだ、と。
体力の限界に達しており、本当は今すぐにでも座りたいはずだろうに、足を踏ん張らせて立っている。
それはなんのためだ。
絶対に負けないという気持ちの表れなんだ、と。
そして重富は、ゆっくりとコートへ向かった。
―――増江ベンチでは。
「真由美ー、遠慮はいらないでーす」
トーマスは椅子に座ったまま、ニコニコと笑っていた。
「わかってます」
時雨は冷静にそう言った。
「ときちゃん、板はナックルだけだからね」
「裏も使うけど、なんでもないよ」
白坂と相馬がそう言った。
「時雨」
藤波が真剣な表情で呼んだ。
「なに?」
「あいつら、この期に及んで笑ってたよな」
「ああ、うん」
「ここは、中川と同じ目にあわせてやるんだよ」
プライドの高い藤波は、桐花ベンチから笑い声が挙がったことが許せなかったのだ。
「わかってる」
「うん、しっかりな」
藤波は時雨の肩をポンと叩いた。
そして時雨は景浦を見た。
「撃沈だよ」
景浦は左手の親指を下に向けてそう言った。
「うん」
時雨は力強く頷いてコートに向かった。
―――コートでは。
「3本練習」
主審がボールを時雨に渡した。
そして時雨はサーブを出した。
それを重富は板で打ち返した。
するとどうだ。
時雨の振りは様子を見るような慎重な打ち方をしており、ネットに引っ掛けたのだ。
あれ・・
重富は思った。
そういや・・
畠山さんが言うとった・・
私が一番勝てる・・と・・
もしかして・・
時雨は・・
板が苦手とか・・
重富は考えた。
もし時雨が板を苦手としているなら、なるべく慣れさせたくない。
なにせ相手は増江の二番手なのだ。
今しがたの藤波よりも上なのだ、と。
したがってボールに慣れるにも、さほど時間を要さないであろう、と。
そして重富は裏面で打つことにした。
二人のラリーが続いたが、時雨はなんなく打ち返していた。
うーん・・
まだようわからんけど・・
あまり板を多用せん方がええんちゃうかな・・
その実、時雨の武器は抜群のミート打ちだった。
特に切れたボールでのミート打ちは、チームの誰よりも抜きん出ていた。
どんなにボールが低くても、瞬時に手首を返すその技は、まさに一級品だったのだ。
畠山がなぜ、重富が勝てる可能性が一番高いと思ったかというと、それこそ時雨は切れたボールには抜群の威力を発揮していたが、ナックルボールに対してはミスが目立っていたのだ。
そして重富はなにを隠そう板の選手だ。
板といえばナックルだ。
それに重富はラケットを反転させて裏でも対処できる。
板と裏を上手く使いわけることができたら、時雨は慎重にならざるを得ず、必ず「隙」が生まれる。
重富に勝ち目があるのはそこだ、と。
そして3本練習も終わり、ジャンケンに勝った重富はサーブを選択した。
「ラブオール」
主審が試合開始を告げた。
「お願いします!」
双方は一礼して、それぞれ構えに入った―――
一方で中川は「トイレで顔を洗ってくる」と言い、タオルを首にかけてロビーに向かっていた。
その際、本部席の横を通り過ぎると、なんと亜希子が座っているではないか。
「愛子ぉ~~」
亜希子は頼りない声で呼んだ。
「おめー、こんなとこでなにやってんでぇ」
中川は本部役員の厳しい表情を確認した。
「ああ・・そうか」
中川はすぐに察した。
「きみのお母さんらしいね」
役員の一人がそう言った。
「母が迷惑かけて済まなかった」
中川はペコリと頭を下げた。
本部役員らは、親が親なら子も子だ、と呆れていた。
なぜなら、十二支を使って試合をしていたのが中川だからである。
「役員さんよ」
「なんですか」
「試合が終わるまで、母を頼んだぜ」
「え・・」
亜希子は唖然とした。
「ちょっと愛子、助けてよ~」
「おめー、大人しく座ってな」
中川はそう言ってロビーに出て行った。
すると中川はトイレに行かず、靴を履き替えて外に出た。
そして大粒の涙を流した。
そう、中川はやはり堪えきれなかったのだ。
くっ・・くそっ・・くそっぉぉぉ・・・
うううう・・うううっ・・ううう・・
まさかベンチで泣けるはずもなく、ここへ来たというわけだ。
「あれ・・」
そこへトイレから出た上田が通りかかった。
中川やないか・・
上田は、肩を震わせて下を向いている中川の後姿を見て、泣いているのだと察した。
そらそうやな・・
あんなコテンパにやられたら・・
そうなるわな・・
「くっ・・くそっ・・くっそぉぉぉぉぉ~~~~!」
中川は大声で叫んだ。
中川・・
頑張れよ・・
そして上田は観客席に向かって行った。
そこへ上田と入れ替わるように、大河がやって来た。
そう、大河は中川がロビーに向かったのを確認したあと、せめて一言でも声をかけて励ましてやりたかったのだ。
「中川さん・・」
大河も中川が泣いているのだと、すぐにわかった。
「ううう・・ううっ・・」
そこで大河は靴を履き替え、外に出て中川の隣に立った。
「めっちゃきれいな夕陽やな」
夕陽を見たままそう言うと、中川は驚いて顔を上げた。
「た・・大河くん・・」
そして慌ててタオルで涙を拭った。
「な、見てみ。きれいやろ」
すると中川も夕陽を見た。
「明日になったら朝日が昇るやん」
「・・・」
「ほんでまた夕陽が沈む」
「・・・」
「中川さん」
大河は中川を見た。
そして中川も大河を見た。
「来年があるやん」
大河はニッコリと笑った。
「大河くん・・」
中川は大河の思いやりが嬉しいと同時に、なんとも切なくて、また大粒の涙を流した。
「うううっ・・ううっ・・」
中川はタオルで顔を覆った。
「はよ戻らな、チームメイトが心配するで」
大河はそう言って、先に体育館の中へ戻った―――




