385 諦めない
その後、復活した中川は懸命にボールを追い続けた。
藤波のサーブも何とかミスをせずに返し、ラリー展開に持ち込んでいた。
ラリーとなると藤波にパワーはなく、「屁」でもないドライブやミート打ちなど、中川にとってある意味楽だった。
けれども藤波の送るコースが抜群で、すべてライン際、ネット前と、中川は動かされ続けた―――
ぜっ・・ぜってーー・・
ハアハア・・
挽回してやる・・
ハアハア・・
まっ・・負けてたまるかってんだ・・!
ハアハア・・ハアハア・・
中川の息の上り具合は次第に激しくなっていた。
「中川さん・・大丈夫なんですかね・・」
阿部がポツリと呟いた。
当然、日置も心配していた。
「あの子は止めてもやるよ」
それでも日置はそう言った。
阿部は思った。
ズボールを封印していなければ、こんなに苦しまずに済んだのに、と。
今は追い上げているとはいえ、16-10とまだ6点差もあるのだ。
あの疲れようで、逆転できるのだろうか、と。
運よく2セット目をとれたとしても、3セット目はどうなるんだ、と。
よーーし・・
来た来た~~~~!
フォアコースへ打たれたボールを、中川は全速力で追いかけた。
ハアハアッ・・
走れ・・
走るんだ・・
くっそぉ~~~~!
中川はボールが床に落ちる寸前で、追いついた。
そしてラケットを複雑に動かした。
何度でも食らええええ~~~!
その勢いで中川は転んでしまった。
「ああっ、中川さん!」
阿部が叫んだ。
「中川さん!返ってくるで!」
重富が言った。
「中川さぁん~~!立って、立ってぇ~~!」
森上もそう言った。
「先輩・・先輩・・」
和子は祈るように、両手を顔の前で組んでいた。
「立て!中川、立つんだ!」
それでも中川は立たなかった。
いや、立てなかったのだ。
そして中川はその場でボールを目で追っていた。
立てよ・・
立てよ・・
なにやってんでぇ・・
ハアハア・・くそっ・・
返ってくるじゃねぇか・・
そして中川はやっとのことで立ち上がったが、左に曲げたボールは、藤波が簡単にツッツキで返したあと床に落ちていた。
「よし」
藤波は小さい声を挙げた。
そして中川のことなど気にかけることなく、サーブを出す構えに入っていた。
そう、誰が休ませてやるか、といわんばかりに。
「中川さん!」
日置が呼んだ。
中川には呼ばれた意味がわかっていた。
自分を休ませるために、タイムを取れと言うはずだ、と。
「タイムなんざ、不要さね!」
中川は息を荒くしながら答えた。
日置は思った。
そう、中川が言うことを聞くはずがない、と。
体力はもう残ってないだろうが、集中力は衰えていないのだ。
けれども最後までやらせて倒れたらどうする。
ここは止めるべきだろうが、止めれば中川には後悔しか残らない。
浅野さんの時もそうだった・・
あの子は「素人の意地を通させてくれ」と懇願した・・
浅野はインターハイの4入りをかけた浅草西戦で、体力の限界に追い込まれつつも、最後までやらせてくれと日置に縋ったことがあった。
それは・・中川も同じだ・・
そうなんだよ・・
「よし、中川!ここから挽回だ!何度でも立ち上がるんだぞ!」
「誰に言ってやがんでぇ!あたぼうよ!」
中川はフラフラになりながら、左手を挙げて応えた。
阿部らも、もう何も言わなかった。
そして倒れないでくれ、と願っていた。
「あのさ、ごちゃごちゃ言ってないで構えたらどうなんだよ」
藤波はイラついていた。
「まあ、そう焦るんじゃねぇ・・ハアハア・・」
中川が構えた瞬間、藤波は畳みかけるようにサーブを出した。
藤波のサーブの勢いは、何ら衰えることなく、中川のフォアを襲った。
フォアか・・!
これがバックコースだと、十分とはいえないまでも、中川はバックハンドで返せる。
けれどもフォアだと、フットワークのように動かなければならないのだ。
なぜなら前について構えているとはいえ、体はミドルラインより左側に立っているからである。
そう、藤波は容赦なく中川を徹底的に疲れさせるために、フォアへ出したのだ。
中川はやっとのことで追いついて返球した。
すると藤波は当然のように、バッククロスの端へ打ってきた。
おっ・・おのれぇ~~~!
中川は懸命に走った。
「頑張れ~~~!頑張れ~~~!」
「あと少しやで!」
「中川さぁん!」
「あああ・・・先輩・・」
彼女らが叫ぶ中、中川はバックカットで返した。
次は・・ハアハア・・どっちだ・・
フォアか・・ストップか・・
ハアハア・・
中川は懸命にコートへ向かった。
けれどもそれは走っているというより、足を床に付けたまま、引きずっているという有様だった。
藤波は余裕でフォアコースへスマッシュを打ち抜いた。
「よし」
これでカウントは18-10になった。
ハアハア・・
ハアハア・・
くっ・・くそっ・・
中川は目を瞑ったまま、天を見上げて息を整えていた。
「構えろよ」
ボールを手にした藤波は、すでにサーブを出す構えに入っていた。
「わっ・・ハアハア・・わかってらぁな!」
そして中川が構えると、また藤波はフォアへサーブを出した。
くそっ・・またフォアかよ・・
ハアハア・・
フランク藤波・・
上等じゃねぇか・・!
中川はフラフラになりながらボールを追ったが、空振りに終わってしまった。
「よし」
そしてボールを受け取った藤波は、すぐにサーブの構えに入った。
「早くしろよ。何度も言わせるなよ」
「わっ・・わかってらぁな・・」
中川の顔色はすでに青ざめていた。
「中川さん・・顔色、悪ないか・・」
阿部が呟いた。
「ほんまや・・」
そこで重富は日置を見た。
けれども日置は中川を見たまま、口を開こうとしない。
「先生・・」
阿部が呼んだ。
「ん?」
日置は前を見たままだ。
「もう・・限界なんとちゃいますかね・・」
「・・・」
「タ・・タイム・・取るべきやと・・」
「最後までやらせるよ」
「え・・」
「あの子は絶対にタイムを取らないよ」
このやり取りの間、中川は藤波のサーブが取れずに、とうとう20-10となっていた。
「中川さん!時間を使って!」
阿部が叫んだ。
「そやで!サーブ、よう考えて!」
重富が言った。
「中川さぁん!しっかり~~!」
森上が言った。
「せ・・先輩ぃ・・」
和子は半泣きになっていた。
「中川!いいか、諦めるな!」
日置は無理だとわかりつつも、そう言った。
先生よ・・
誰が諦めるっかってんだ・・
ハアハア・・
見くびってもらっちゃあ・・困るってもんよ・・
ハアハア・・
ここで諦めたとなると・・
縁起が悪いってもんさね・・
ハアハア・・
そう、中川にも挽回は無理だとわかっていた。
けれども重富にバトンを渡さねばならないのだ。
自分が諦めてしまうと、ベンチの空気が悪くなる。
それだけはできない、と。
そして中川は「フーッ」と大きく息を吐いた。
「試合はまだ終わっちゃいねえ!ナイフが刺さっても倒れなけりゃ、命は続くんでぇ!」
中川は声を振り絞ってそう言った。
そしてサーブを出す構えに入った。
中川は、1点でも多く取ることを考えた。
それが諦めていないという証だ、と。
「行くぜ!フランク野郎!」
そして中川は由紀サーブを出した。
そう、倒れる前に三球目攻撃をしてやる、と。
サーブは藤波のバックコースへ入った。
一瞬戸惑った藤波だったが、バックハンドに打って出た。
するとボールはネットにかかり、ミスをした。
「サーよしっ!」
中川は渾身のガッツポーズをした。
「よーーーし!ナイスサーブだ!」
日置もガッツポーズをした。
「よっしゃーーーー!ナイスサーブ!」
「ええぞ~~~~~!」
「もう1本やでぇ~~~!」
「先輩ーーーーー!」
彼女らも声を振り絞っていた。
一方、藤波は「ふんっ」と言って、全く意に介さなかった。
たかが1本くらい、なんでもない、と。
そして中川は、次も由紀サーブを出した。
ぜってー・・
打ってやる・・ハアハア・・
同じくバックコースに入ったボールを、藤波は回り込んで抜群のミート打ちをバッククロスへ放った。
すると中川は下がるのではなく、バックハンドで対応した。
なっ・・
当然、カットするものだと思い込んでいた藤波は、フォアストレートに入ったボールを追いかけた。
ボールに追いついた藤波は、その場からドライブを打った。
それでも中川は下がらずに、なんとカウンターでバックストレートに叩き込んだのだ。
そう、カットのラリーだと、もう体力が続かなかったのだ。
そして見事に決まったボールは、床でコロコロと転がっていた。
「サーよしっ!」
こうして最後の粘りを見せた中川だったが、後ろへ下がらないとわかった藤波は、すぐにその対処に切り替え、あえなく中川は敗退したのである―――




