384 復活
館内では「今のはなんだ」とまだ騒然としていた。
皆藤も三神の彼女らも、「犯人」が中川の母親だということはとっくにわかっていた。
けれどもなぜ、わざわざ放送をかけたのかは理解できなかった―――
「あれ・・中川さんのお母さんだよね・・」
日置も唖然としていた。
「中川さんが、曲を聴かんかったから、放送で喋ってたんですかね・・」
阿部が言った。
「それにしては、ザーッていう雑音みないなのとか、なんか他の人の話し声も聴こえてたで」
重富が答えた。
「なんなんやろうなぁ」
森上にも意味不明だった。
「なんじゃろうか・・」
そして和子にもわけがわからなかった。
「でもさ、中川さんを励ますには、内容が少し変だったよね」
日置が言った。
「ああ・・確かに。なんか独り言のような」
「先生・・厳しいとか言われてましたね」
重富は少し笑った。
「いや・・ああ・・」
そして日置と彼女らは、中川に目を向けた。
その中川といえば、下を向いて肩を震わせていた。
「え・・中川さん・・」
阿部は泣いているのではないかと心配した。
「嘘やろ・・」
重富は、落ち込んでいるところに、いわば「自分勝手」な独り言を聞かされ、中川はますます気が動転しているのでは、と思った。
そして森上も和子も、どうしたものかと気持ちは焦るばかりだった―――
かあちゃん・・
ったくよ・・なにやってんでぇ・・
中川には亜希子の気持ちが痛いほどわかっていた。
自分を励ますためにコートまで来て、曲を聴けといった。
それがダメなら、今度はこれか、と。
ほんと・・どうしようもねぇな・・
プププ・・
ダメだ・・笑いが止まらねぇぜ・・
そう、中川は泣いているのではなく、笑っていたのだ。
確かに・・かあちゃんの言う通りだぜ・・
なんのために・・練習してきたんだっての・・
三神をぶっ倒して・・近畿で優勝して・・
それにあの日・・インターハイで優勝すると・・私は啖呵を切ったじゃねぇか・・
中川は予選リーグで優勝した際、参加選手らに向けて「大阪代表の誇りにかけて優勝する」と啖呵を切ったことを思い出していた。
そして中川は、涙を拭いながら正面の観客席を見上げた。
すると三神の彼女らが「中川さん!頑張りますよ!」と叫んでいるではないか。
おめーら・・
そうだぜ・・
っんなところで・・
やられてたまるかってんだ・・
私は・・おめーらの分まで・・背負ってんだ・・
よーーし!
「中川さん・・」
阿部らは涙を拭った中川を見て、完全に泣いていると勘違いした。
「先輩・・うっ・・」
和子はもらい泣きしていた。
「よーう、フランク藤波よ」
突然、中川はそう言った。
藤波は、戸惑った表情を見せた。
泣いてるやつが、なにを言ってるんだ、と。
「ここからぜってー追いついてやっから、覚悟しな」
「泣いてたくせに、よく言うよ」
「あははは!バカ言っちゃいけねぇってもんよ。誰が泣くかよ!」
さらに阿部らは驚いた。
中川が笑ってるぞ、と。
中川節が復活してるぞ、と。
なにがどうなってるんだ、と。
「主審」
藤波が呼んだ。
「はい」
「今のカウント、どうなるの」
「ああ・・今のはいきなり放送がかかったので、ノーカウントにします。なので9-1から始めてください。そしてサーブは藤波さんです」
「わかった」
「あ、ちょっとタイム」
中川がタイムを要求した。
藤波は、またか、とばかりにうんざりしつつもベンチに下がって行った。
けれども中川は、コートに立ったまま考えを巡らせていた。
そう、ここから挽回するにはどうすればいいか、と。
おまけにサーブは藤波だ。
「中川さん!」
日置が呼んだ。
「なんだよ!」
中川は気を削ぐなとばかりに返事をした。
「こっちへ来なさい!」
「先生よ!ちょっと黙っててくんな!」
「先生」
慌てて阿部が呼んだ。
「なに」
日置は前を向いたままだ。
「あのっ・・中川さん、なんやわかりませんけど、復活してます。せやからここは中川さんに任せましょう」
その実、日置も中川の「復活」に安堵していた。
どう気持ちを切り替えることができたのか、そこは理解不能だったが、亜希子の放送がそうさせたに違いないことは確信していた。
「うん、そうだね」
日置はニッコリと笑った。
―――コートでは。
さあ・・考えろ・・考えろ・・
やつのサーブを普通に受けても・・今の私じゃあ、返球は無理だ・・
となると・・
なんだ・・
なんだ・・
どう取ればいいんでぇ・・
え・・
ちょっと待てよ・・
カットじゃなくてよ・・
前についてだな・・
フォア打ちか、バックハンドで返せばいいんじゃねぇのか・・
中川は、まさしく皆藤が話していたことを思いついていた。
でもよ・・
たとえ返せたとしても・・それは十分じゃねぇ・・
でもだぜ・・
私の返球をやつは打ってくる・・
つまり・・ラリーだ・・
ラリーになると・・少なくともこっちは返せる・・
それによ・・
ここはやっぱり・・ズボールだぜ・・
ズボールを打たれたとしても・・
それは仕方がねぇ・・
ズボールで勝負してこそ・・私じゃねぇかよ!
よーーーし!やってやろうじゃねぇか!
―――コートでは。
「さあ~~~~!かかって来やがれってんでぇ!」
声を挙げた中川に、藤波は唖然としていた。
そう、まるで攻撃型のように前について構えているからである。
それは桐花ベンチも増江ベンチも同じだった。
あの子・・なにをしようとしているんだ・・
当然、日置も驚いていたが、下を向いて沈んでいるよりは遥かにマシだ。
ここはやりたいようにやれ、と。
「よし、1本だよ!」
日置はパンパンと手を叩いた。
「中川さん!しっかり!」
「挽回、挽回!」
「ここからやでぇ~~!」
「先輩、いけますよ!」
彼女らも懸命に励ました。
一方、増江ベンチでは「クスクス」と笑い声さえ挙がっていた。
とうとう頭がふれたか、と。
「苦肉の策とは、まさにこのことだよ」
「ほんとだよね」
「なみちゃんも舐められたもんだよ」
「それより、ときちゃん」
景浦が時雨を呼んだ。
「なに?」
「重富もぶっ潰すよ」
景浦は念を押すように言った。
「うん」
時雨は、何を今さらわかりきったことを言ってるんだと思った―――
そして藤波は、また同じ構えからフォアストレートへロングサーブを出した。
そう、藤波はずっとバックサーブばかり出していたのだ。
中川如きに他のサーブなど必要ない、とばかりに。
来たっ!
中川は相変わらず出遅れて動いたが、やはり後ろで構えるのとでは動く範囲が違い、頼りなくも打ち返した。
そうすることは・・わかってるんだよ・・
予測していた藤波は、ミドルに入ったボールを抜群のミート打ちで、バッグの深いところへ送った。
ぜってーー拾ってやる!
中川は全速力で追いかけ、バックカットで返した。
このカットも、これまでよりは遥かに安定したものだ。
さあーーー打って来やがれ!
中川は後ろに下がって構えた。
すると藤波は、ネット前にチョコンと落とした。
っんなもん・・屁でもねぇっての!
中川はまた全速力で前に走った。
そしてフォアへボールを送った。
すると藤波はフォアの深いところへドライブを打った。
それも先刻ご承知ってもんよ!
そして中川はボールに追いついたと同時に、ラケットを複雑に動かした。
増江ベンチは、これが変化球カットか、と見入っていた。
ボールはバックコースに高く返った。
中川のことだ・・
また右へ曲げるに違いない・・
こう思った藤波は、先に右へ動いた。
え・・
フランク野郎・・
おめー・・回転が見えてんじゃねぇのかよ・・
そう、中川は左に曲げたのだ。
そしてボールがバウンドしたかと思うと、ククッと左に曲がった。
くそっ・・左か・・!
慌てた藤波は、懸命に体を戻してラケットを出した。
そしてやっとのことでツッツキで返した。
けれどもこのツッツキは十分ではない。
単に入れただけのボールは、中川のフォアコースに高く返った。
おいでなすったぜ~~~~~!
中川は思い切り前に踏み込んで、バックストレートに叩き込んだ。
パシーン!
矢のようなスマッシュは、藤波がラケットを出す前に後ろへ転がっていた。
「サーよしっ!」
中川はどうだといわんばかりに、増江ベンチに向かってガッツポーズをしていた。
「よーーーし!」
日置はパーンと一拍手した。
「ナイスボール!」
「よっしゃあ~~~~!」
「もう1本やでぇ~~~~!」
「きゃあ~~~先輩~~~~!」
ここで桐花ベンチは息を吹き返した。
それと同時に、藤波は回転など見えてなかったんだと確信した。
そして日置はズボールを封印させたことを、酷く後悔した。
しまった・・
藤波さんの・・あの一球は・・
フェイクだったんだ・・
「先生!」
阿部が呼んだ。
「なに?」
「ズボール、行けますよ!」
「うん、そうだね」
「よーーし、中川さん!こっからやで~~~!」
阿部は嬉しそうに手を叩いた。
―――観客席では。
「中川くん、立ち直りましたね」
皆藤は、やれやれとばかりに安堵していた。
「前について構える策、先生の仰ってた通りですね」
野間が答えた。
「いえ、私は中川くんでは無理だと思っていました」
「私も同じです」
「でもこれで、わからなくなりましたよ」
「挽回できるってことですか?」
「少なくとも、これまでよりは可能性があります。それにズボールも通用するとわかりましたからね」
「ということは、藤波さんのあれは、一か八かの勘が当たったってことですね」
「そうですね」
皆藤はニッコリと笑った。
―――本部席では。
「私・・トイレに行きたいんだけど・・」
亜希子は本部役員の隣に座っていた。
「さっき行ったじゃないですか」
「あっ・・あのっ・・私・・お腹が痛いの・・」
「嘘はダメですよ」
「そんな・・嘘だなんて・・」
「いいから、黙っててください」
「もうなにもしないってば・・」
「いえ、試合が終わるまで、ここにいてください」
「娘の一大事なの・・」
「いいえ!ダメです」
役員は、机をバンッと叩いた。
すると亜希子はシュンとなった。
そう、亜希子はここに「監禁」されていたのだった―――




