380 藤波のサーブ
今しがたのサーブを見て、驚いたのは桐花だけではない。
無論、観客席にいる皆藤と三神の彼女ら、上田と柴田、大河と森田もそうだった。
あんな速いロングサーブ見たことないぞ、と。
藤波のサーブは、まず自分のコートのライン際にバウンドさせ、中川のバッククロスの一番深い端のところでバウンドした。
しかもそのスピードたるや、光よりも速いのではないのか、と思わせるほどだ。
このようなサーブは、出そうと思ってもなかなか出せるものではないのだ。
おいおい・・
今のサーブはなんだってんでぇ・・
ダブルフランク野郎も、ロングサーブを出してやがったが・・
こんなもんじゃなかったぜ・・
こいつぁ・・桁違いだ・・
中川はある種の戦慄を覚えていた。
「い・・今の・・なんなん・・」
阿部が呆然と呟いた。
「信じられへんスピードや・・」
重富も愕然としていた。
「あ・・あ・・あんなんやこ・・」
和子も言葉が続かなかった。
「中川さぁん!様子見は、1球だけでええよぉ~~~!」
けれども森上だけは、すぐに声を挙げた。
すると中川は振り向いた。
「かっかっか!森上よ。みなまで言うんじゃねぇぜ」
そういって中川は、コートに向きを変えた。
「よーう、フランク藤波よ」
中川は何ごともなかったかのように、そう言った。
藤波は不敵な笑みを浮かべていた。
「おめー、味な真似するじゃねぇか」
藤波は「フッ」と鼻で嗤った。
「おうよ!そうでねぇとな。倒し甲斐がねぇってもんよ!」
日置は思っていた。
今しがたのサーブを見せられたら、中川は容易に動けないぞ、と。
なぜなら、藤波のサーブのレベルからすると、きっと同じフォームから出すコースが狙えるはずだからである。
それに加え、前に落とすこともできるはずだ、と。
運良く拾えたとしても、動きが一歩出遅れての対処に過ぎない。
するとどうなる。
藤波はなんなくチャンスボールを決めるだけだ、と。
ここは・・
どうしたものか・・
なんとしてでも・・
ズボールに繋がるラリーに持っていかなければならない・・
でも・・
まだ始まったばかりだ・・
「中川!なにやってるんだ!足を動かせ!」
日置はそう叫んだ。
「誰に言ってやがんでぇ!」
中川は振り向いて答えた。
うん・・
そうだよ・・中川さん・・
絶対にメンタルで折れちゃダメだよ・・
そして藤波はサーブを出すべく、ボールを手にした。
当然、中川にはさっきのサーブがインプットされている。
こいつぁ・・バックだけじゃねぇはずだ・・
フォアへ来ることも考えとかねぇとな・・
藤波はさっきと同じ立ち位置、同じ構えからボールを上げた。
どっちだ・・
どっちだ・・
中川は藤波のラケットを凝視していた。
すると藤波は、再び同じサーブを同じコースへ出した。
バックか・・!
中川は懸命にボールを追った。
そしてやっとのことでラケットに当てたが、なんと体は横を向いたままだ。
つまり、追いかけたそのままの姿勢で返すしか術がなかったのだ。
中川はすぐにコートに目を向けつつ、懸命に戻ろうとした。
ところがである。
チャンスボールが返ってきた藤波は、中川が戻る前にフォアの端に強打していた。
無情にも、ボールは中川の手の届かない、はるか遠くで転がっていた。
「よし」
藤波は小さくガッツポーズをした。
「由美子ーーナイスボール!」
トーマスはニコニコと笑いながら手を叩いていた。
増江の彼女らも、それぞれに「よーし」と言うだけだった。
―――桐花ベンチでは。
「どんまい、どんまい!」
「こっからやで~~~~!」
「中川さん~~しっかりぃ~~~!」
「先輩、1本ですよ!」
彼女らは懸命に声を挙げた。
「中川さん」
日置が呼んだ。
「なんでぇ!」
中川は振り向いて答えた。
「タイム取って」
「まだ始まったばかりじゃねぇか!」
「ダメだ」
「なんでだよ!」
「中川さん、タイムや、タイム!」
言うことを聞かない中川に、阿部が慌ててそう言った。
「っくたよー」
中川は不満に思いつつも、タイムを取ってベンチに下がった。
そして日置の前に立った。
「なんだってんだよ!」
「藤波さんのサーブは桁違いだ」
「っんなこと、わかってらぁな!」
「おそらく同じフォームから、フルコートで出してくる」
「むっ・・」
「そこでなんだけどね」
「なんだよ」
「この3点は落としてもいい」
日置は5-0でサーブチェンジすることを言った。
「は・・はあ?」
「その代わり、藤波さんのフォームをよく見て」
「それがなんだってんでぇ」
「同じフォームからといっても、必ず送るコースにラケットが向く」
「そうだろうぜ」
「まあ、見分けるのはギリギリになるけどね」
「おうよ」
「少しでも見分けられると、その分、早く動ける」
「おうよ」
「いいね、このまま引き下がることは許さないよ」
「誰が引き下がるってんでぇ!舐めてもらっちゃあ困るってもんよ!」
「よし、その意気だ」
そして日置は肩をポンと叩いて送り出した。
日置は思っていた。
サーブが取れないと、ズボールもなにもあったもんじゃない、と。
ここは、なんとしてでも食らいつけ、と。
―――コートでは。
よし・・
先生の言う通り・・
やつのフォームを見るんだ・・
中川はそう考えながら「さあ~~~フランク野郎、来やがれってんでぇ!」と言って構えに入った。
藤波は全く意に介さず、サーブを出す構えに入った。
これもまた、立ち位置はさっきと同じだ。
さあ、来い・・
どっちだ・・
どっちだ・・
そして藤波は同じフォームから、今度はフォアストレートに出した。
これもコートの端に入り、スピードの乗った抜群のサーブである。
くそっ・・フォアか・・!
中川はフォームを見るはずが、やはりボールを見ていたのだ。
そのため、また動きが遅れた。
それでも中川は懸命にボールを追った。
くっそ~~~~!
ぜってーー返してやる!
中川は、また横を向いて拾うしか手がなかった。
そして寸でのところでボールを捉えた。
うっ・・
これじゃ、ズボールが出せねぇ・・!
中川は苦し紛れのカットで返すしかなかった。
そしてすぐにボールを目で追った。
ボールはポーンと高く上がり、ミドルでバウンドした。
「戻れ!中川、戻るんだ!」
日置が叫んだ。
「戻れ~~~~!」
「走れ~~~走れ~~~!」
「中川さぁん~~~!」
「きゃあ~~先輩~~~!」
彼女らも絶叫していた。
言われねぇでも、わかってらぁな!
そして中川は全速力でコートへ向かった。
ところがどうだ。
まるで藤波は、あざ笑うかのようにフォアへ強打し、中川は完全に裏をかかれたのだ。
なっ・・!
そしてボールは、はるか遠くを転がっていた。
「よし」
藤波はどうだと言わんばかりに、蔑んだ目で中川を見た。
さすがの中川でも唖然とするばかりで、言葉を発することができなかった。
こ・・こいつぁ・・なんなんだ・・
アンドレですら・・ここまでじゃなかったぜ・・
そう、藤波と向井の差はサーブにあった。
少なくとも向井のサーブはここまでではなく、だからこそラリーに持ち込んでズボールでかく乱させることができた。
けれども目の前の藤波はどうだ。
その威力とスピードは、ラケットに当てるのが精一杯だ、と。
今更ながら中川は、サーブが試合を左右するものだと感じていた。
でもよ・・
先生も言ってたけどよ・・
ここは5-0で構わねぇとしてだな・・
こっちがサーブを持った時がどうかだ・・
やつにパワーはねぇ・・
さっきのスマッシュも、別に大したこたぁねぇ・・
よし・・
ラリーに持ち込んでからが勝負だ・・
中川は度肝を抜かれつつも、一歩たりとも引くつもりはなかった―――
一方で重富は考えていた。
藤波さんって・・三番手やよな・・
このレベルで・・三番手・・
私の相手は二番手の時雨さんや・・
畠山さんは・・私が一番勝てるとか言うてたけど・・
何を根拠に・・
なんでや・・
なんでなんや・・
もしかして・・単なる思い付き・・?
いや・・
そんなはずない・・
考えろ・・
考えろ・・
そして重富はアップを始めた。
―――観客席では。
「しぶちゃん」
浅草西の監督、前原が渋沢を呼んだ。
「はい・・」
渋沢も試合を観て唖然としていた。
「明日のシングル、あの子も出てくるよ」
前原は藤波のことを言った。
「そうですね・・」
「あのサーブを取らないと勝てないよ」
「わかってます・・」
「このままだと、中川さんは叩きのめされて終わりだね」
「でも中川さんは、このまま引き下がるとは思えません・・」
「しぶちゃんなら、どうする?」
「私ですか・・」
渋沢は考えを巡らせたが、すぐに策など浮かぶはずもなかった。
それに増江は景浦と時雨という主力がいるのだ。
さらには三神には、野間と山科と仙崎がいるのだ。
団体戦の優勝を逃した分、何としてでも勝たなければならないと、そう思う渋沢であった。
一方でコート近くの最前列に座る亜希子は、なんとも複雑な思いで試合を観ていた。
愛子・・
なにやってんのよ・・
ボールに食らいつくのよ・・
お守り持ってんの・・?
ああ・・私が代わってあげたいくらいよ・・
「愛子!」
亜希子はまた、突然声を挙げた。
けれどもその声は中川には届いてなかった。
そう、中川はこのあとどうすれば追いつけるかと、考えている最中だからである。
そして亜希子はこう言った。
「あんたはここへ何しに来たのよ!勝つためでしょ!3点差がなによっ!大阪代表の誇りを思い出しなさいよっ!」
それでも中川は気が付かず、代わりに「亜希子ーー」と言ってトーマスは余裕の笑みを見せていた。




