表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サーよし!2  作者: たらふく
38/413

38 前向きな阿部




病院に到着した日置は、検査の結果、特に大した病状ではなかった。

栄養が偏っていることが影響し、抵抗力が低下していた。

そこに、風邪の菌にやられたというわけだ。

日置は注射も打ってもらい、今は処置室で点滴を受けていた。


「慎吾ちゃん・・」


日置に付き添って救急車に同乗した大久保は、日置の傍らで座っていた。


「菓子パンばかり食べてるからよ・・」


大久保は、小島に報せるべきかどうか迷ったが、特に大したことはないし、報せたところで心配をかけるだけだと判断した。


「う・・」


そこで日置が目を覚ました。


「慎吾ちゃん、まだ寝てた方がええわよ」

「あ・・虎太郎・・」

「もう~心配させてからに」

「ここ・・病院なの?」


日置は、処置室を見回していた。


「そうよ~、っんもう~救急車で運ばれたんやんかいさ~」

「そう・・」

「阿部ちゃんがね~試合場から電話して来たんよ~」

「あっ・・そうだ、僕、行かないと」


日置は、無謀にも起き上がろうとした。


「あほっ。こんな状態で行けるわけないやろ~」


大久保は手で、それを制した。


「でも、あの子たちの試合を」

「心配せんでも、私が行ったげる」

「え・・」

「だから、慎吾ちゃんは点滴が終わったら、タクシー呼んで家に帰って寝ることよ~」

「でも・・あの子たちの試合を見ないと・・」

「あのさ~慎吾ちゃん」

「なに?」

「阿部ちゃんも、森上ちゃんも、まだ始まったばかりやないの」

「だから・・」

「せやから、慌てんでもええのよ~。私が行ったげる言うてんねやから、大人しくしときなさい~」

「そっか・・迷惑かけるね・・」

「なにが迷惑なもんかいな~、今度、奢ってくれたらそれでええのよ~」


そして日置は疲れたのか、また目を閉じて眠った。

大久保は、日置の寝顔を見ながら、なんとも切ない気持ちになっていた。

ダメだと思いつつも、大久保は日置の唇にキスをした。


これは私へのご褒美・・

そう思ってもいいわよね・・慎吾ちゃん・・

小島ちゃん・・許してね・・


そして大久保は、そのまま体育館へ向かったのである―――



体育館に到着した大久保は、電話をかけて安住を呼び出した。


「大久保さん、電話に行ったきり、帰って来んと、どこをうろついてるんですか!」

「あんたっ、私な、今体育館に来てるんや。だから、練習が終わったら、私の荷物、持って来ぃや!」

「え?体育館て・・なにしてるんですか」

「お嬢ちゃんたちの試合やないの~」

「なんで大久保さんが」

「ごちゃごちゃうるさい!ええな、わかったか!」

「わかりましたよ。ほな今日の練習は、せんってことですね」

「そうや!」


そう言って大久保は電話を切った。


さあさあ~お嬢ちゃんたちが待ってるわ~・・


大久保は、フロアの中へ入って行った。



―――12コートでは。



今、まさに阿部の試合が始まろうとしていた。

阿部は森上に、日置の緊急事態を告げると、森上も酷く心配していた。

けれども、大久保が引き受けてくれたことで、自分たちは試合に集中することを決めた。


阿部の対戦相手は、なんと一回戦から三神の菅原すがわらという選手だった。

阿部は『卓球日誌』を読んでいるので、三神の強さは知っていたが、何がどう強いのかは実感としてわからなかった。

ちなみに今大会は、一年生大会とあって、全選手が抽選で決められているのでジードはなかった。


菅原は、裏ペンの前陣速攻型だった。

やがて3本練習が始まったが、菅原のボールも、阿部は打ち返していた。

これも、フォア打ちの基礎をやった賜物だ。


「ジャンケンしてください」


主審の福田ふくだが告げた。

この選手も三神だ。

副審には、森上がついていた。


ジャンケンに勝った菅原はサーブを選択した。


「ラブオール」


主審がそう告げると、菅原は三神の習わしであるところの、両審判に頭を下げ、ベンチに頭を下げ、最後に阿部に頭を下げて「お願いします」と言った。

阿部も「お願いします」と頭を下げた。


桐花ベンチには誰もいないが、三神ベンチには、チームメイトと、先輩である青田あおた久坂くさかが見守っていた。

この青田と久坂は、現在三年生であり、エースと二番手だった。


「先、1本ですよ」


青田が声をかけた。

三神は、試合中は先輩後輩関係なく、丁寧語で話すのだ。


「1本」


菅原は小さな声を発した。

阿部も負けじと「1本」と言った。

阿部の構えは、とても初心者とは思えない、落ち着いたものだった。

本部席で見ている皆藤は、阿部の様子を見て「ほう」と感心していた。


けれども試合が始まると、阿部は菅原に「化けの皮」を、直ぐに剥がされた。

菅原の出すスピードの乗ったサーブを、阿部は返すものの、悉く三球目を決められ、全くラリーが続かなかった。

点を取るたびに菅原は「サーよし」と小さな声を発していた。


やがて5-0でサーブチェンジしたが、構えこそ一人前の阿部だが、サーブの種類も下回転とロングサーブだけの阿部が、菅原に通用するはずもなかった。


あかんな・・

全部打たれてる・・


「阿部ちゃん~しっかりね~」


後ろで大久保の声がした。

阿部が振り向くと、見知らぬ男性が立っていた。


あ・・

電話の声の人や・・

この人・・桂山化学の人なんやな・・

先生を病院に連れてってくれはったんや・・

だから・・ここに来はったんやな・・


「はいっ」


阿部はニッコリ笑って返事をした。


「そうそう~こっからよ~」


大久保が応援するも、阿部は菅原に翻弄されっ放しだ。

とにかくラリーが続かないのだ。

それでも菅原は、徹底して阿部を攻め続けた。

コースも常に厳しいところ、阿部のいないところへ叩きつけていた。



「ふむ・・」


本部席で皆藤が呟いた。

横に座る三善が皆藤を見た。


「どうされました」

「いえ、なんでもありませんよ」


皆藤は、この時点での阿部は大したことがないと思ったが、菅原の出す複雑な難しいサーブを、ミスはするものの、阿部はミスをした後に必ず指で回転の方向を確認していた。

日置不在の中、曲がりなりにも三神を相手に怯むことなく、しかも回転を確認するという冷静さを保っている阿部に、メンタルは強く、今後は侮れないと思っていた。

そして阿部は、1セット目、21-3で負けた。


ベンチに下がった阿部は「初めまして」と大久保に挨拶をした。


「初めまして~、大久保と申します~」

「阿部です。先生はどうですか」

「大丈夫よ~、阿部ちゃんが連絡をくれたから、今は病院で点滴を打ってるわ~」

「そうですか。安心しました」

「まあ、風邪のきついやつよ。少し休めばすぐによくなるわよ~」

「わざわざ来てくださって、ありがとうございます」

「いいのよ~ん。それより阿部ちゃん、次のセット、頑張らんとあかんよ~」

「はいっ」

「相手は三神やし、強すぎるけど、今の阿部ちゃんが持ってるもの、全部出せばええのよ~」

「私、まだフォア打ちしか出来ないんです」

「ええやないの~卓球の基本よ~、それで十分よ~」

「はいっ」

「じゃ、徹底的に叩きのめしておいで~」


阿部は、その言葉は日置の信条だと知っていた。


「はいっ」


そして2セット目が始まったが、戦況が好転することはなかった。

阿部は、2セット目もコテンパに叩きのめされ、21-4で完敗した。

それでも阿部は、一切、落ち込むことなどなかった。

自分はまだ、なにも身に着けていないに等しいのだから、負けは当然である、と。


けれども開き直っているのではない。

阿部とて勝ちたい気持ちはある。

でもそれは、今ではない。

全ては、今後の練習次第だと、冷静に自分を分析していた。


負けた阿部は、そのまま審判についた。

コートから下がった森上は、大久保の元へ行った。


「あんたが、森上ちゃんね~私は大久保です~」

「はいぃ。初めましてぇ」

「背、高いね~」

「先生はぁ~どうなりましたかぁ」

「心配いらんわよ~、単なる風邪よ~」

「先生ぇ、病院ですかぁ」

「そうよ~、点滴が終わったら、家に帰って休むわ~」

「そうですかぁ、よかったですぅ」

「阿部ちゃんは負けたけど、森上ちゃん、頑張らんとあかんよ~」

「はいぃ~頑張りますぅ」


「どうも・・」


そこに植木がやって来た。


「あらまっ、植木ちゃんやないの~久しぶりやねぇ~」


植木は、まさか大久保が来てるとは知らず、12コートへ向かう途中、大久保の姿を見つけて戸惑っていた。

なぜなら植木は大久保に、過去、何度も「威嚇」され続けたからだ。


「あの、大久保さん」

「なによ~」

「日置監督、どうしはったんですか・・」

「あんたには関係ないのよ~」

「え・・なんかあったんですか」

「なにもないわ~、それ以上訊くと、どうなるかわかってるんやろね~」


大久保は、両手を挙げて植木の頭を押さえようとした。


「訊きません、訊きませんから」


植木は後ずさりした。



―――一方、桂山の体育館では。



「安住、大久保、なんやったんや」


電話から戻った安住に、遠藤が訊いた。


「なんか知りませんけど、今、府立の別館にいてるらしいです」

「ああ・・今日、試合やったな」

「練習終わったら、荷物持って来い!言うて、大久保さん、今日の練習は休むらしいです」

「なんでやねん」

「さあ、日置さんがいてるからとちゃいますか」

「あいつ、もうすぐ実業団があるん、知っとるやろ」

「まあ、大久保さんにしたら、実業団より日置さんですよ」

「まったく・・どないもしゃあないやっちゃな」


この会話を聞いた彼女らは、日置がとんでもないことになってるとは知らず、大久保のことだから、気持ちのまま行ったのだろうと理解していた。

けれども浅野は変に思った。

なぜなら、体育館へ行くにしても、まさか自分の荷物まで放り出して行くのか、と。

それと、体育館までの運賃はどうしたのだ、と。

大久保は、Tシャツと短パンの上にジャージの上下を着ただけだ。

お金など、持ってるはずがない、と。


そこで浅野は「ちょっと事務室へ行ってきます」と言って、体育館を出て行った。

事務室に着いた浅野は、男性に「大久保さん、なんの電話やったんですか」と訊いた。


「なんや、えらい慌てた様子でな。ほんで僕に「金を貸せ、タクシー呼べ」言うて、出て行ったで」

「え・・」

「なんかあったんやと思うで」

「電話の相手は、誰やったんですか」

「なんか、阿部とかいう若い女の子やったで」


阿部・・いうたら、阿部さんやん・・

何で阿部さんが・・ここに電話を・・


「そうですか。ありがとうございました」


浅野は礼を言って、事務室から出た。


これはおかしい・・

緊急事態発生や・・


そして浅野も、府立の別館へ向かおうと決めたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ