376 オーダーの謎
―――観客席では。
「今のところ互角の戦いですね」
野間がそう言った。
「野間くん」
皆藤はコートを見たまま呼んだ。
「はい」
「きみの言うように互角ですが、このダブルスは桐花が勝たなければなりませんよ」
野間は、ふと不思議に思った。
確かに自分も桐花に勝ってほしいと願っている。
無論、皆藤もそうであろう、と。
けれども今しがたの言いぶりは、若干ではあるが桐花が不利なように聞こえた。
「確かに相馬くんも白坂くんも、予想を上回る強さです」
「はい」
「でも、あの程度で田丸くんと城之内くんに勝てると思いますか?」
田丸と城之内は、真城高校のエースと二番手である。
当然、野間も二人の実力を知っている。
「ああ・・確かに・・」
「相馬くんと白坂くんがエースと二番手だとしたら、この勝負、桐花の勝ちは確実です」
「はい」
「けれども私はどうにも納得がいきません」
「・・・」
「相馬くんと白坂くんが増江の主力で、あの真城に勝てるはずがないからです」
「はい」
「したがって、ダブルスを落とせば、桐花の勝目はないということです」
皆藤の言い分は的中していた。
そもそも増江の二回戦のオーダーは、ダブルスが景浦と時雨。
シングルの二番が藤波、三番が時雨、四番が景浦という、真城に1ミリたりとも隙を与えない布陣を敷いていたのだ。
「このオーダーは間違っているということですか?」
「そこはまだわかりません。この後を見るしかないですね」
―――コートでは。
双方とも一歩も譲らない展開になっており、カウントは10-10の同点となっていた。
「阿部さん、もう少し力を抜こうか」
タイムを取り、阿部と森上は日置の前に立っていた。
桐花が稼いだ点数は、やはり森上だった。
森上は徹底して相馬のミドルを狙い、その策を読んでいた相馬は徐々に対応しつつあったが、森上は瞬時に相馬の動きを見抜き、フォアやバックの厳しいコースに送っていた。
これをやられると相馬の足の動きは鈍り、精神的にもかなり負担がかかっていた。
一方で白坂は、阿部の「力み」に付け込んで、時には強打、時にはタイミングを外した返球をし、阿部は何度もチャンスボールをミスしていた。
「チビ助よ」
中川が呼んだ。
阿部は自分の不甲斐なさに、チラリとだけ中川を見た。
「おめー打たされてんぞ」
「うん・・」
「っんなもんよ、コートに入れりゃあいいんでぇ」
「わかってるけど・・」
「自分が決めようなんて思うんじゃねぇぜ」
「でも・・」
阿部は言いたかった。
せやかてチャンスボールは決めんといかんやろ、と。
決まれば、恵美ちゃんの負担も軽くなるんや、と。
けれども口には出せなかった。
なぜなら、そのチャンスボールをミスしているからである。
「いいかい、阿部さん」
日置が呼んだ。
阿部はそのまま日置を見上げた。
「きみたち四人の力は、ほぼ拮抗している」
「・・・」
「いや、実力からするときみたちのほうが上だ」
「・・・」
「でも阿部さんの実力は、いつもより劣っている」
「・・・」
「ひとつ穴があると、どうなると思う?」
「そ・・それは・・」
「阿部さん」
日置は阿部の肩に手を置いた。
「力を抜いて、森上さんにボールを繋げよう」
「はい・・」
すでにトイレから戻っていた重富は、複雑な表情で阿部を見ていた。
阿部さん・・
相馬と白坂は・・下位の選手なんやで・・
四番手と五番手なんやで・・
重富は口にしかけたが、言ってしまえば反って負担になると思ってやめた。
「さあ、試合はここからだ。徹底的に叩きのめしておいで」
日置は二人の肩をポンと叩いた。
「チビ助、っんなフランクごときに負けてんじゃねぇぞ!」
「阿部さん、しっかりな」
「先輩!1本ですよ!」
彼女たちに後押しされ、阿部と森上はコートに向かった。
「千賀ちゃぁん」
歩きながら森上が呼んだ。
阿部はそのまま森上を見上げた。
「先生も含めてぇ、私ら色々とあったよなぁ」
「え・・」
「でもなぁ、そのたびにぃ乗り越えてきたやぁん」
「・・・」
「その苦労を考えたらぁ、たかがミスなんてぇ、なんでもないでぇ」
森上は優しく微笑んだ。
「恵美ちゃん・・」
「だからぁ、頑張ろなぁ」
阿部は思った。
去年から今までのことを。
恵美ちゃんの言う通りや・・
ほんまに私らは色々とあった・・
いや・・あり過ぎたというてもええ・・
そのたびに乗り越えてきた・・
それは何のため・・?
言うまでもない・・
全国優勝するためやん・・
そうやん・・
たかがミスでへこんでる場合やない・・
私が足を引っ張るとか・・
もう・・そんなん関係ない・・
「恵美ちゃん」
「なにぃ」
「勝とな」
「うん」
二人はニッコリと微笑んだ。
――ー桐花ベンチでは。
「先生」
重富が呼んだ。
「なに?」
「向こうのエースは景浦さんです」
「え・・」
「ほんで二番手が時雨さんです」
「きみ、どうしてそう思うの」
「トイレで小谷田の畠山さんから聞いたんです」
「そうなんだ」
「二回戦のダブルスは、景浦さんと時雨さんが出てたらしいです」
「畠山さん、二回戦、観てたんだ」
「はい」
日置は、やっぱりそうか、と思った。
一方で、ならばこのオーダーはどういうことだ、と。
まさか、うちを舐めて組んだのか、と。
「景浦さんは左のシェイクらしいです」
「そうなんだ」
「畠山さん曰く、実力は別格らしいです」
「なるほど」
「おい、重富よ」
中川が呼んだ。
「なに」
「ということはだぜ、フランク野郎はうちを舐めてやがるってことだな」
「それはわからんけど、小谷田の監督は、このオーダー間違うてるって言うてたらしい」
「けっ、上等じゃねぇか!おのれ・・フランクトーマスめ・・さっきまでビビッてたくせによ」
「中川さん」
日置が呼んだ。
「なんでぇ」
「浅草西もそうだったでしょ」
「はあ?」
「うちを舐めてたよね」
「あ・・ああ」
「でもうちが勝ったよね」
「おうよ」
「そういうこと」
日置はニッコリと笑った。
おのれ・・フランク野郎・・
インターハイの決勝戦で・・
舐めた真似してくれるじゃねぇか・・
けっ・・上等だ・・
「おらあ―――!ダブルフランク野郎!」
中川は大声で叫んだ。
相馬と白坂は当然ながら、増江の彼女らも何ごとかと中川を見た。
ダブルフランク野郎とは、なんだ、と。
「おめーらだよ!相馬に白坂!」
相馬と白坂は怪訝な表情に変わっていた。
「いいか!お遊びはここまでだ!今から徹底的に叩きのめしてやっから、覚悟しな!」
相馬と白坂は、半ば呆気にとられていた。
なにが遊びだ、と。
遊びどころか、阿部は力が入って自滅しかけているじゃないか、と。
「いいか、チビ助、森上!」
阿部と森上は振り向いた。
「作戦通りに――」
中川がそこまで言うと、森上は「しーっ」という仕草をした。
そう、森上は考えていたのだ。
ここは、これまでの試合運びとは異なる策に打って出るべきだ、と。
中川が何を言うつもりなのかはわからないが、ここで「作戦」なるものを喋られてしまうと相手は多少なりとも警戒するはずだ。
森上はそれを避けたかったのだ。
「なんでぇ、森上よ」
「なんもないでぇ」
森上はニッコリと笑った。
そして森上は「作戦」を阿部に話した。
「よっしゃ、わかった」
阿部は力強く頷いた。
そして四人はコートについて構え、試合は10-10から再開された。




