373 桐花vs増江
――「監督」
藤波が呼んだ。
天を仰いでいたトーマスは、チラリと藤波を見た。
「オーダー、書いてください」
藤波は半ば呆れつつも、紙と鉛筆をトーマスに渡した。
「そうだった・・」
トーマスはそれらを受け取ったが、まさに「心ここにあらず」だった。
呪文・・
呪文・・
なんて恐ろしいんだ・・
この試合にも・・
災いが・・
ああ・・怖いでーす・・
トーマスは、こんなことを考えながら鉛筆を走らせた。
「由美子・・」
トーマスは藤波に用紙を渡した。
紙に目を通して唖然とした藤波は、トーマスに視線を移した。
「監督、これでいいんですか」
「うん・・」
うんって・・
このオーダーなんなんだよ・・
「あの、監督」
「なに・・」
「呪文ってなんですか」
「オーノー・・由美子・・言っちゃダメ・・」
「はあ?」
「言っちゃダメでーす・・」
「まったく・・」
「なみちゃん」
白坂が呼んだ。
「なに」
「呪文ってなんなの」
「さあ、よくわかんないんだよ」
藤波は呆れ口調で答えた。
「で、監督。これで行くんですね」
藤波は念を押した。
「うん・・」
トーマスの異変ぶりに、他の者も困惑した。
なにがあったんだ、と。
「ほら、監督、整列しますよ」
「わかった・・」
そして増江一行も、コートに向かった。
―――コートでは。
「えー、ただいまより、増江高校対桐花学園の決勝戦を行います」
主審はそう言いながら一礼した。
「では、オーダーを出してください」
そして日置とトーマスは、主審に用紙を提出した。
その際、日置は「よろしくお願いします」とトーマスに頭を下げた。
トーマスは日置に応えるどころか、目も合さなかった。
その様子を見た中川は思った。
ふふ・・トーマスよ・・
おめー、怯えてやがんな・・
よし・・ここはいっちょ試してみるか・・
「よーう、トーマスよ」
中川が呼ぶと、トーマスはチラリと中川を見た。
「おめーよ、こっちの監督が頭下げてんのによ、無視ってのはいただけねー!やな・・」
中川は、あえて「ねー」を大声で言った。
するとトーマスの顔が引きつった。
ふふ・・やはりな・・
「中川さん・・なに言うてんのよ・・」
阿部がジャージを引っ張った。
「チビ助、うしー!ろを引っ張んじゃねぇよ」
そこでまた、中川がチラリとトーマスを見ると「オーマイガー」と、十字を切っていた。
日置も阿部らも、なんなんだ、と不思議に思った。
「えー、ではオーダーを発表しますね!」
主審は制するようにそう言った。
「トップ、白坂、相馬対、阿部、森上」
四人は手を挙げて一礼した。
けれども日置は不可解だった。
いや、これは勘でしかないが、一番大きいあの子がエースであり、ダブルスも出るだろうと思っていたのだ。
あの子・・エースじゃないんだ・・
日置は景浦を見ていた。
「二番、藤波対中川」
藤波は手を挙げていたが「ほーう、おめーフランク藤波ってんだな」と言って笑った。
言われた藤波は気分を害した。
フランク藤波とは、なんだ、と。
この中川・・
覚えてろ・・
絶対に叩き潰してやる・・
「えー!三番、時雨対重富」
双方は手を挙げて一礼した。
「四番、景浦対森上」
二人は視線を戦わせたまま手を挙げて一礼した。
「五番、相馬対阿部」
双方は手を挙げて一礼した。
「六番、白坂対郡司」
和子も負けてはなるものかと、白坂を見たまま手を挙げた。
「ラスト、景浦対重富。お願いします」
主審がそう言うと両チームは「お願いします」と一礼し、それぞれベンチに下がった。
―――桐花ベンチでは。
「よーーし、チビ助、森上!出だしからガンガンぶっ飛ばしな!」
中川は二人の背中を叩いた。
「あんたさ、ねーって大きな声で言うとったけど、あれ、なんなん」
阿部が訊いた。
「うしも、大きい声で言うとったで」
重富が言った。
「おめーらよ・・あれやぁ~・・トーマスにとって死の宣告さね・・」
「なに言うてんのよ」
「それって、また十二支ちゃうん」
「まあまあ、後で説明してやっからよ。そう慌てるなって」
「十二支は、もう使っちゃダメだよ」
日置が言った。
「先生、なに言ってんでぇ」
「なに」
「あれは試合中だからダメだったんろがよ」
「そうだけど」
「それ以外ならいいじゃねぇか」
「というか、どうしてまた十二支なの」
「それを訊くのは野暮ってもんさね」
「またそんなこと言って」
「まあまあ、こちとら考えがあんだよ」
「まったく・・阿部さん、森上さん」
日置が呼ぶと二人は日置の前に立った。
「おそらくだけどね・・」
「はい」
「うーん、僕の勘でしかないんだけど」
「はい」
「このオーダー、向こうは間違って組んだんじゃないかな」
「どういうことですか」
日置の言い分は当たっていた。
本来の増江なら、ダブルスは時雨と景浦が出て、シングルは藤波が二回出る、というのが万全のオーダーだったのだ。
そう、白坂は四番手であり、相馬は五番手なのである。
とはいえ、白坂も相馬もかなりの実力者であることには違いないのだ。
「よくわからないけど、ま、それは関係ない」
「はい」
「白坂さんと相馬さんがエースと二番手だと考えて臨むこと」
「はい」
「大事なダブルスだ。出だしは様子を見ながらチャンスは絶対に逃さないこと」
「はい」
「よし。徹底的に叩きのめしておいで」
日置は二人の肩をポンと叩いた。
「阿部さん、森上さん、しっかりな!」
「先輩、出だし1本ですよ!」
「さあーーおめーら、フランク野郎を奈落の底へ突き落してやんな!」
阿部と森上は力強く頷いてコートに向かった。
―――増江ベンチでは。
「監督・・監督!」
白坂と相馬は、トーマスの前に立っていた。
「あ・・ああ・・」
声に気付いたトーマスは、座ったまま二人を見た。
「今から試合なんですけど」
白坂が言った。
「うん・・わかってる・・」
「監督・・ほんとにどうしたんですか・・」
相馬が訊いた。
「え・・明美・・智子・・」
トーマスは呆然と二人を見ていた。
智子とは相馬の名前である。
「なんですか」
そこでトーマスはコートに目を向けた。
すると阿部と森上が立っているではないか。
「え・・ダブルス・・え・・?」
トーマスは視線を目の前の二人に移した。
「なんですか」
「どーして、明美と智子ですかー・・」
「は・・はあ?」
「ダブルスは・・真由美と洋子でーす・・」
真由美とは時雨であり、洋子とは景浦である。
「監督・・」
藤波が呆れた風に呼んだ。
「なにー・・」
「だから、訊いたでしょ」
「なにを・・」
「これでいいのかって」
「オーダー・・僕が書いた・・?」
「そうです」
「オーマイガー」
トーマスは思った。
やっぱり・・呪文のせいだ・・
呪いにかけられているんだ・・
神よ・・
あなたは・・なにをお望みですか・・
「由美子・・」
「なんですか」
「ここは・・任せた・・」
「え・・?」
「ちょ・・ちょっと・・外へ行きまーす・・」
藤波は思った。
今のトーマスを頼るのは無理だ、と。
ここは自分たちで倒すしかない、と。
というより、はなからそのつもりでいた。
そしてトーマスは、トボトボとフロアに向かって歩いていた。
「監督・・どうしたんだよ」
時雨も唖然としていた。
「白坂、相馬」
藤波が呼んだ。
二人は黙ったまま藤波を見た。
「ダブルス、絶対に落とせないよ」
「わかってるって」
「任せておいて」
二人は自信満々だった。
「うん、しっかりな」
藤波は二人の肩をポンと叩いた。
そして白坂と相馬はコートに向かって歩いた―――




