370 本部の命(めい)
―――ここは本部席。
役員ら四人は話し合っていた。
そう、十二支で数えることに疑義を抱いていたのだ。
極めて当然なことである。
「ここは、元に戻させるべきですよ」
「でも・・1セット終わりましたからね・・」
この者は、もっと早くに注意すべきだと思っていた。
「しかし・・両校の監督は動かないですね・・」
「やはり、こんなルール違反は正すべきですよ」
「でも今さら・・」
「いいえ。ここで認めてしまうと他の者に示しがつきませんし、今後、同じことをやる者が出て来ないとは限りません」
「確かにそうですね・・」
「予選ならともかく、これはインターハイなんですよ」
「わかりました。私が行きます」
役員長の竹田が席を立ちあがった。
「竹田さん、お願いします」
「私たちも行きましょうか?」
「いえ、私だけでいいです」
そして竹田は7コートに向かったのである。
―――桐花ベンチでは。
「中川さん、ゴルゴってなんなの?」
中川は日置の前に立っていた。
日置は勝ったことより、先に謎を訊いた。
「あはは、先生もおめーらも、驚き桃の木だったろうさね」
「いや、勝ったんはええんやけど、ゴルゴってなんなんよ。しかも干支てなんなん」
阿部が訊いた。
「こちとらアメリカ人じゃねぇんだ。なにがワンツースリーでぇ」
「中川さんね、英語で数えられることを死の宣告だって言ってね。急かされてる気がして嫌なんだって」
日置が答えた。
「死の宣告・・」
「まあ、それはわかるけど、ゴルゴってなんなんよ」
重富が訊いた。
「かぁ~~おめーら、まだわかんねぇのかよ。デューク東郷・・さね・・」
「いや、もっとわからんし」
「デューク東郷てぇ、この試合に出てるぅん?」
森上は、中川がやたらと変な呼び名を付けることで、また誰かに「あだ名」をつけたのだと勘違いした。
「あはは!もしデュークが試合に出てたら、おめー撃ち殺されんぞ」
阿部も森上も重富も和子も、『ゴルゴ13』を知らなかった。
そもそも成人男性向けの漫画など、知る機会もなかったし、ましてや読むこともなかったのだ。
「で、ゴルゴってなんなの」
そう、日置も知らなかったのだ。
「かあ~~さいとうたかを先生の大ヒット作品を知らねぇとは、こっちが驚き桃の木さね」
中川は呆れていた。
「ま、ゴルゴのことはあとで説明してやっからよ」
その頃、ベンチ後方で見ていた植木は「ゴルゴて・・ぷっ」と笑いを堪えつつも、その意味は知っていた。
「ゴルゴのことはいいとして、中川さん」
日置が呼んだ。
「おうよ」
「このセットで決めるよ」
「あたぼうさね!」
その頃、竹田は主審のところに到着していた。
「きみ」
「はい」
「促進のことなんだけどね」
「はい」
「なぜ十二支で数えてるんだ?」
「あ・・はい・・それは・・」
そこで主審は事の経緯を説明した。
すると竹田は「桐花の要望だったのか」と呟いた。
「でも・・渋沢さんも納得した上での事だったんです・・」
「ダメダメ。次のセットは元に戻しなさい」
「はい・・」
主審はそう返答したものの、あの中川が譲るはずがないと思った。
「それなら・・桐花に直接言ってくれませんか・・」
「無論だ」
そして竹田は桐花ベンチに行った。
「あの、いいですか」
竹田に声をかけられた日置と彼女らは、黙ったまま竹田を見た。
「私、本部の竹田と申します」
「はい」
日置は軽く会釈をした。
「ラリー中のカウントのことですが、元に戻してください」
そう言われ、日置は当然の指摘だと思った。
けれども元に戻すと、中川は自滅する。
ここは、どうしたものか、と。
「おいおい、竹田さんとやら」
中川は、当然のように黙っていなかった。
そして竹田は中川の話しぶりに唖然とした。
「カウントのことだがよ、あちらさんも合意の上なんだぜ」
「きみ、合意だとか、そんなことは関係ないんだぞ」
「ちょっと待てって。無理やりじゃねぇんだ。だったらそれでいいじゃねぇかよ」
「ダメだ。そもそも十二支ってなんなんだ。ふざけているとしか思えないぞ」
「おいおい、こちとら真剣も真剣さね。あくまでも私は勝つためにやってんだ」
「ルールに則って勝つのが当然だ」
「っんな、堅てぇこと言うなよ」
そこで竹田は日置に視線を移した。
「きみ、監督ですね」
「はい」
「なぜ、こんなふざけた真似を黙って見てたんですか」
「中川が言ったように、浅草西も納得しましたので」
日置は苦し紛れの言い訳をした。
「きみ、これインターハイですよ」
竹田は呆れ口調で言った。
「はい・・」
「本部は認めません」
「・・・」
「いいですか。元に戻さない場合、没収試合とします」
「なにーーーーっ!」
中川が叫んだ。
「おいおい、おめー、没収試合ったぁ、一体どういう了見でぇ!」
「ルール違反だから当然だ」
「だから、相手も合意の上だっつってんだろがよ!」
「中川さん」
日置が肩を叩いて止めた。
「なんだよ!」
「あの、没収試合と言うのは中川の試合のことですか」
日置は中川を無視して訊いた。
「いえ、桐花対浅草西のことです」
「えっ」
「このまま続けるようでしたら、浅草西の勝ちと見做します」
中川のみならず、阿部も重富も森上も和子も絶句していた。
あり得ない、と。
「わかりました。元に戻します」
日置が慌ててそう言った。
「おい、おめー」
中川が竹田を呼ぶと「戻します、戻します」と阿部が竹田に頭を下げた。
そして重富も森上も「戻しますから、お願いします」と阿部に倣った。
「いいですか、二度とこんなことがないように」
竹田は強い口調で念を押した。
「それと監督さん」
「はい」
「もっと監督としての自覚を持っていただかないと」
「申し訳ありません」
日置は深々と頭を下げた。
こうして本部の命により、十二支は却下されたのである。
そうと知った渋沢は、俄然息を吹き返した。
方や中川は、「死の宣告」に苛まれ、2セット目を落とし、さらには3セット目も落として負けたのである。
―――桐花ベンチでは。
「おのれぇ~~~」
ベンチに戻った中川は、不完全燃焼の試合にイライラが募っていた。
「中川さん」
日置が呼んだ。
「なんでぇ」
「実力で負けたわけじゃないからね」
「だからなんだってんでぇ!」
「きみには今後、徹底して促進をやらせるからね」
「私に死ねってのかい!」
「なに言ってるの。試合ではカットマンとあたる可能性だって高いんだよ」
「くっそ~~~」
「三神には須藤さんがいるんだよ」
日置は来年のことを言った。
「むっ」
「勝たないとダメでしょ」
「ふんっ。よーーし、こうなったら促進だろうが突進だろうが、やってやろうじゃねぇか!」
「突進は、あんた、いっつもやってるやん」
阿部が突っ込んだ。
「チビ助、おめーうるせぇよ」
「さて、森上さん」
森上は日置の前に立っていた。
「いいね、徹底的に叩きのめすんだよ」
日置は余計なことは言わなかった。
そう、森上の圧勝は確信していたからだ。
「はいぃ」
「よし、じゃ行っておいで」
そして森上の肩をポンと叩いた。
「恵美ちゃん、しっかりな!」
「森上さん、またすごいのん、見せてや!」
「先輩~~ファイトです!」
「よーし、森上よ。フーテン芳賀をぶちのめしてやんな!」
中川は森上の背中をバーンと叩いた。
「わかったぁ」
そして森上は静かにコートへ向かった。
―――浅草西ベンチでは。
前原は渋沢が勝ったとはいえ、芳賀では話にならないと落胆していた。
そう、4-1でうちが負ける、と。
「ほうちゃん」
それでも前原は、口を開いた。
「はい・・」
芳賀は既に委縮している様子だ。
「気持ちだけは負けないこと」
「はい・・」
「きみは、浅草西の選手なんだ。堂々と戦えばいい」
「は・・はい・・」
「よし。頑張って」
前原は芳賀の肩をポンと軽く叩いた。
「ほうちゃん、しっかりね」
渋沢が言った。
「まだ負けてないよ。しっかり」
「頑張れ、ほうちゃん」
「マイペースだよ」
西井らも懸命に励ました。
「う・・うん」
芳賀は頼りなく頷いた。
そしてトボトボとコートに向かったのである―――




