37 緊急事態
―――「よしよし、間に合うたで」
早坂出版の記者、植木は、たった今体育館に到着した。
植木がお気に入りの桐花学園は、近畿大会、インターハイ予選には出てなかったが、この一年生大会ならば、きっと出ているに違いないと思い、慌てて来たというわけだ。
植木は早速、本部で組み合わせ表を受け取り、歩きながら開てい見た。
「えっと~、桐花、桐花っと・・あっ、あった。森上と阿部か」
植木は顔を上げて、桐花のユニフォームを探した。
うーん・・いてへんな・・
日置監督は、どこや・・
植木はフロア内を、歩きながら探した。
するとフロアの隅で、桐花のジャージを着た森上と阿部が並んで座っているのを見つけた。
「あの」
植木は二人に声をかけた。
阿部は、以前、小屋に来た人や、と思い出した。
そう、阿部が素振りをしていた時、植木は日置に報告があって小屋を訪れていた。
二人は、ペコリと頭を下げた。
「日置監督は?」
「それが、まだ来てないんです」
阿部が答えた。
「え・・来てないて・・」
植木は腕時計を見た。
「もう九時半回ってるやん」
植木は独り言のように呟いた。
「来はるんやろ?」
「はい。集合は八時半て、言うてはったんです」
「もう一時間も遅刻やがな・・」
二人がじっと植木を見ていると、「ああ、僕な」と言いながら、名刺を出した。
「出版社で記者やってる、植木です」
そこで二人は立ち上がり、阿部が名刺を受け取った。
植木は、森上の背の高さに驚いていた。
そう、自分よりも高いのだ。
「桐花学園の阿部です」
「森上ですぅ」
「きみ・・めっちゃ背、高いな」
「はいぃ」
「パワーもありそうやなあ」
植木は森上を、上から下まで、まじまじと見ていた。
「ああ、そや、日置監督やがな。どしたんやろなあ」
「私らにもわかりません」
「なんか急用でもあったんかなあ・・。ま、ええわ。きみらの試合、観せてもらうからな。頑張りや」
植木はそう言ってロビーへ出て行った。
「恵美ちゃん、さっきの話の続けやけどな」
「うん」
「1本取ったら、サーよして言うんやで」
「わかったぁ」
「ほんで、点を取られたら、どんまいとか、次1本とか言うんやで」
「うん、わかったぁ」
―――その頃、日置は。
え・・
あっ・・
シャワー・・?
日置はシャワーを出したまま、気を失っていた。
そして、たった今、気が付いたのだ。
しまった・・
どれくらい気を失っていたんだ・・
日置はやっとの思いで、栓を閉めた。
そして、また這いつくばりながら脱衣所に出た。
ダメだ・・
体が鉛のように重い・・
これじゃ・・動けない・・
それでも日置はバスタオルを手にして、なんとか体を拭いた。
どうしよう・・
あの子たちのデビュー戦なのに・・
まだ・・なにもわかってないのに・・
僕が行かないと・・
日置は、また這いつくばりながら、電話台へ移動した。
そしてダイニングの椅子に座り、電話帳を広げて受話器を取り、ボタンを押した。
「はい、府立体育館、別館です」
そう、かけた先は体育館だった。
電話に出たのは事務の女性だった。
「すみません・・あの・・」
「はい?」
「あ・・あの・・」
「どちらへおかけですか?」
「いえ・・あの・・桐花学園の日置と申します・・」
「ああ・・はい」
「すみませんが・・桐花の阿部を・・阿部を・・」
「阿部さん?」
「はい・・阿部を・・呼び出して頂けませんか・・」
「ちょっと待ってくださいよ。試合中かもしれませんので、見てきます」
「は・・はい・・」
ああ・・苦しい・・
これは風邪なのか・・
あまりにも苦しい・・
事務の女性は本部席へ行き、三善に声をかけた。
「桐花学園の阿部さんって、試合やってます?」
「え・・?」
「いや、電話がかかってましてね」
「えっと・・阿部は12コートだから、えっと」
三善は12コートを見た。
「ああ、まだですね」
「そうですか。じゃ、阿部さんを呼び出して頂けます?」
「わかりました」
そして三善はマイクをオンにした。
女性は、そのまま事務室へ戻った。
「桐花学園の阿部さん、お電話がかかっています。至急事務室へ行ってください」
三善はこれを二度繰り返した。
「え・・私に電話?」
放送を聴いた阿部は、驚いていた。
「千賀ちゃぁん、はよ行った方がええよぉ」
「うん、恵美ちゃんは、ここで待っててな」
そして阿部は事務室へ向かった。
「すみません、阿部です」
阿部がドアを開けてそう言うと、事務の女性は「そこね」と電話を指した。
そして阿部は受話器を手にした。
「もしもし、阿部ですが」
「・・・」
「もしもし?」
「・・・」
「あの、誰も出ませんけど」
阿部は受話器を押さえながら、女性に訊いた。
日置はまた、意識が朦朧とし始めていた。
「なんかね、とてもしんどそうにしてはったのよ」
「名前は言うてはりました?」
「ああ、日置とか言うてはったわ」
「えっ!もしもし!先生!」
「・・・」
「先生!阿部です、どうしたんですか!」
「あ・・」
「先生!」
「あの・・阿部さん・・」
「どうしはったんですか!」
「試合・・どうなってるの・・」
「まだです。私は次ですけど、恵美ちゃんはその後です」
「そう・・」
「先生!具合が悪いんとちゃいますか!」
「熱が・・あって・・」
「ええっ!誰かいてないんですか」
「熱が・・下がったら・・行く・・」
「来んでええです!ああ・・どうしたらええんや・・」
阿部は、突然の事態に困惑していた。
救急車、呼ぶいうたかて・・先生の住所もわからへんしな・・
「先生、とりあえず切りますね!」
阿部はそう言って電話を切った。
「あの、電話帳、貸してもらえますか」
阿部は女性に言った。
女性も、緊急事態だと察し、すぐに電話帳を渡した。
「えっと・・えっと・・日置・・えっ!先生の下の名前、なんやったっけ・・」
阿部は電話帳の「ひ」のページを開いて、下の名前を知らないことに気が付いた。
これは困った・・
どうしたらええねや・・
考えろ・・考えろ・・
そやっ!桂山化学やったら、先輩ら練習してるはずや!
そして阿部は、桂山化学をすぐに見つけた。
「あの、電話借りてもええですか」
阿部は事務員に訊いた。
「うん、どうぞどうぞ」
「すみません」
そして阿部は桂山化学に電話をした。
すると取り次いだ男性は、直ぐに部員を呼び出してくれた。
「もしもし~」
電話に出たのは大久保だった。
「あの、私、桐花卓球部の阿部と申します」
「はいはい~慎吾ちゃんの教え子ちゃんね~」
なんや・・この人・・
まあええ・・
阿部はまだ、大久保の「正体」を知らなかった。
「あの、先生が家で倒れてます!」
「えっ・・ええええええ~~~!どういうことなんっ」
「急いで救急車を呼ばんと、危険やと思います!」
「なんやてえええええ~~!わかった、私に任しときっ!」
そう言って大久保は電話を切った。
ちょっと待って・・
救急車、呼んだかて・・鍵が開いてへんかったらどないすんのよ・・
あかん!はよ行かな!
「ちょっと、悪いんやけど」
大久保は事務室の男性に、そう言った。
「なんですか」
「ちょっと、お金貸して」
「え・・」
「後で返すから。ほんでタクシー呼んで!すぐやで!」
そして大久保は、男性から金を借り、タクシーに乗って日置のマンションまで行った。
日置の部屋の前に到着した大久保は「慎吾ちゃん!」と言いながら、ドアをドンドンと叩いた。
ガチャガチャ・・
ああ・・やっぱり鍵がかかってる・・
「ちょっと、慎吾ちゃん!私よ~~」
返事がない・・嘘やろ・・
そこで大久保は、台所の窓を開けた。
「あああああ~~!」
そう、日置はダイニングの床に、バスタオルを巻いたまま倒れていたのだ。
「慎吾ちゃん!慎吾ちゃん!返事して!」
どうしょう・・
ここの管理人さんて・・どこやの・・
「どうしはったんですか」
そこへ、騒ぎに気が付いた隣人の主婦が声をかけてきた。
「中で倒れてるんです!早く救急車を呼ばんと、大変なことに!」
「え、日置さんとこ?」
「そうです!」
「鍵が閉まってるんやね・・ほな、うちのベランダから入ってください」
「ええっ!いいんですか。これは恐れ入ります」
そして大久保は部屋に入ってベランダに出た。
その際、家人が大久保を見て仰天していた。
誰だ・・このアラブの国王は、と。
やがて大久保はベランダ伝いに、日置側のベランダの前に立った。
幸い、扉に鍵はかけられてなかった。
「慎吾ちゃん!慎吾ちゃん!」
大久保は、慌てて日置に駆け寄り、頬を叩いた。
日置は汗びっしょりになり、ほんの少しだけ目を開けた。
「慎吾ちゃ~~~~ん!」
「こ・・虎太郎・・」
「あっ、こうしてられへんわ。電話よ電話っ!」
そして大久保は、慌てて救急車を呼び、日置は病院へ運ばれた。




