36 一年生大会
―――そして試合当日。
森上と阿部は、体育館の前で日置の到着を待っていた。
「恵美ちゃん、なんで私服なん?」
阿部が訊いた。
森上はTシャツとGパンを身に着けていた。
阿部は、卓球部のジャージを着ていた。
「うん~実はなぁ、バイト休む、いうん、親には内緒にしてんねぇん」
「ああ~、小島先輩が代わってくれたってこと?」
「それもやしぃ、休んで試合に出るなんて言うたらぁ、絶対に反対されるからぁ」
「そうなんやあ」
「今後はぁ、ちゃんと言わなあかんと思てんねぇん」
「そらそや。黙って続けられへんもんな」
「そうやねぇん」
「それにしても先生、遅いなあ」
今は、八時四十五分だ。
試合まで、十五分しかない。
「練習できる言うてはったけど、恵美ちゃん、どうする?」
「そやなあ、とりあえず中に入ってみよかぁ」
そして二人は、中へ入った。
フロアもそうだが、ロビーにも大勢の選手でごった返していた。
「台、空いてないで」
阿部がフロアを覗いて言った。
「ほんまやなぁ」
「恵美ちゃん、今のうちに着替えた方がええで」
「うん、ほなら着替えて来るぅ」
そして森上は、更衣室を探しにこの場を去った。
―――その頃、本部席では。
三神高校の監督、皆藤は椅子に座りながら、組み合わせ表を見ていた。
日置くん・・インターハイ予選は出てなかったので、今年度は無理かと思っていましたが・・
そうですか・・二人、獲得しましたか・・
どんな選手か楽しみです・・
「皆藤さん、おはようございます」
本部役員の一人である、三善が声をかけた。
「おはよう」
「皆藤さん、なんだか嬉しそうですね」
三善は椅子に腰を下ろしながら訊いた。
「桐花が出てるんですよ」
「へぇー、そうなんですね」
三善も早速、組み合わせ表を開いた。
「森上と阿部、ですか」
「そうです」
「二人だけ・・?」
「二人でもいいじゃないですか。これで今後、シングルとダブルスには出ることが可能です」
「どんな選手なんですかね」
「うーん、日置くんは引き抜きはしないので、おそらく素人でしょうけど、たった半年間で素人を準優勝させた日置くんですよ」
日置は、小島ら八人を団体の一年生大会で準優勝させていた。
「そうなんですよね」
「あの日置くんです。タダでは転びませんよ」―――
そしてとうとう時間は九時を迎えた。
「恵美ちゃん、どうする?」
二人はロビーで日置を待っていた。
「先生ぇ、どないしはったんやろなぁ」
「ただいまより、開会式を行います。選手の皆さんは練習を止めて集合してください」
本部席から放送がかかった。
「集合せなあかんみたいやで」
阿部が言った。
「ほな、行こかぁ」
そして二人は、不安を抱えながらフロアへ入り、他校の選手に紛れて適当に座った。
―――その頃、小島は。
「小島彩華と申します。本日はよろしくお願いします」
小島は、店長や従業員の前で挨拶をした。
「小島さんは、森上さんのピンチヒッターで、なにも知らへんから、みんな教えたってな」
店長の毛利が言った。
「わかりました」
従業員は、パン製造に男性が二人と、店内担当の中年女性が二人いた。
このうちの一人は、先日、日置にパンを販売した今井という女性だ。
「ほな、小島さん」
今井が声をかけた。
「はい」
「店は十時開店やから、表を掃除してくれる?」
「はいっ!」
「それが終わったら、表のドア拭きな」
「はいっ!」
「あはは、元気ええね」
「はいっ!元気が取り柄ですので、なんでも申し付けてください」
「うん。終わったら声かけてね」
小島はパン屋の制服を着ていた。
白の開襟シャツの上に、格子柄の入ったカーキー色のベスト、下も格子柄の入ったカーキー色のズボンを穿いていた。
そして頭には、これまたカーキー色のベレー帽を被っていた。
小島は、せっせと働いた。
元々家事が得意な小島は、掃除もなんら苦にならなかった。
これも森上のため、桐花のため、ひいては日置のためだと思うと、体は自然に動いていた。
その後、パンの陳列の仕方、レジスターの打ち方なども習い、小島は直ぐに覚えた。
この様子を、店長の毛利も、従業員たちも温かく見守っていた。
―――一方で体育館では。
開会式も終わり、選手たちは試合に備え、各コートに分かれて行った。
「恵美ちゃん・・私らどうしたらええんやろ・・」
阿部は不安げだった。
「とりあえずぅ、組み合わせ表を貰いに行こかぁ」
「ああ・・そやな」
そして二人は本部席へ向かった。
「あの、すみません」
阿部が三善に声をかけた。
「はい」
「組み合わせ表、頂けますか」
「はい、どうぞ」
三善は阿部に一部渡した。
「きみたち」
皆藤が声をかけた。
「はい」
「きみたち、桐花の選手ですね」
皆藤は、ジャージを見てわかった。
「はい、そうです」
阿部が答えた。
「日置くんは、どうしたのですか」
「ああ・・まだ来てはらへんのです」
「あらら・・どうしたのでしょうね」
「うーん・・八時半に集合て、言うてはったんですけど・・」
「まあ、そのうち来るでしょう」
そこで皆藤は、ひときわ背の高い森上を見た。
「きみ、身長は何センチですか」
「はいぃ、170ですぅ」
「おお、これは高いですね」
この子は背も高いが・・
体つきが普通の子と違う・・
日置くん・・この子は、一体、どんな選手ですか・・
楽しみでなりませんよ・・
皆藤は早くも、森上に興味を抱いていた。
「きみたち、頑張りなさい」
「はいっ」
「はいぃ」
そして二人は本部席を後にした。
「えっと~・・恵美ちゃんは、ここやから、5コートやな。ほんで、私はここやから、12コートや」
阿部は歩きながら、森上に説明した。
「そうなんやぁ」
「でもな、試合はまだやで」
各コートには、ブロックごとにコートが振り分けられていた。
1から16ブロックまであり、1ブロックは1コート、2ブロックは2コート、といった具合だ。
「恵美ちゃんは、四試合目。私は三試合目や」
「うん~ありがとぉ」
「ほんでな、最初の試合は、お互いから審判を出すねん」
「へぇ~」
「んで、試合に負けたら、そのまま残って審判するんやで」
阿部は、蒲内の『卓球日誌』を読んでいたので、ルールや試合進行など、全て把握していた―――
「え・・嘘やろ・・」
フロアの隅で、小谷田の監督、中澤が思わず呟いた。
「どうしたんですか」
中井田の監督、日下部が答えた。
「あそこで立ってる大きな女子、あれ森上やないか!」
そう、中澤は森上の両親に「小谷田に欲しい」と声をかけていたが、頑として断られていた。
なのに今、その森上が桐花のジャージを着て立っているではないか。
「森上?」
「あの子、素人なんやけど、ものすごい身体能力なんや。俺はそれを買って、声をかけたのに断られたんや・・」
「でも、桐花のジャージを着てますね」
「そこやん!なんでや。なんでなんや」
「うーん・・」
「あっ!日置監督か。そらな、日置監督はかっこええで!でもさ、それはないやろ!」
「まあまあ・・中澤さん、落ち着いて」
「なんやねん!世の中、かっこええもんが得をするて、どないやねん!」
「まあ・・森上さんも女子ですからね」
「ずるい!うう~~ずるいですわ。世の中、不公平ですわあ~」
中澤は泣き真似をした。
と同時に、あの日置が森上を育てているのだ。
中澤は、寒気がするほど既に脅威を感じていた。
―――その頃、日置は。
うっ・・ダメだ・・起き上がれない・・
日置は、さっき熱を計った。
すると39℃もあったのだ。
でも・・行かないと・・
あの子たちが待ってる・・
日置は懸命に起き上がろうとしたが、全く体が動かない。
この時間だと・・試合は始まっているかもしれないけど・・
まだ間に合う・・
そこで日置は、這いつくばりながら、風呂へ入った。
そう、熱いシャワーを浴びれば、熱を下げられると思ったからだ。
けれども日置は、シャワーの湯を出したまま、半ば意識は朦朧としていた。




