355 皆藤の想い
その後、阿部と森上は2セット目も連取し、桐花は1-0と好スタートを切った―――
「よーーし、おめーら、ご苦労だった!」
ベンチに下がった二人の肩を、中川はパンパンと叩いた。
「ナイスやったで!」
重富もそう言った。
「先輩~~!もうすご過ぎます~~!」
和子は、全国の舞台で第3シードをなぎ倒したことに興奮していた。
「さて、中川さん、重富さん、森上さん」
三人は呼ばれて日置の前に立った。
「まず、中川さん」
「おうよ!」
「橋本さんは、シェイクの攻撃。向井さんと同じタイプだよ」
「おうよ!」
「でも、力は向井さんの方がずっと上だよ」
「かあ~~エースがその始末かよ」
「でも相手を向井さんだと思って臨むこと」
「わかってらあな!」
「ズボールで攪乱してやりなさい」
「合点承知の助ってんでぇ!」
「で、重富さん」
日置は重富に目を向けた。
「はいっ」
「大垣さんは、ペンドラだよ」
「はいっ」
「言うまでもないけど、パワーは森上さんの足元にも及ばない」
「はいっ」
「コースを狙って動かすこと。それと必殺サーブも使ってね」
「はいっ」
「で、森上さん」
日置は森上に目を向けた。
「はいぃ」
「体力はどう?」
「まだまだ大丈夫ですぅ」
「うん。それならいい。荒井さんのことは、もうわかってるよね」
「はいぃ」
「よし。きみたち、徹底的に叩きのめしておいで」
日置は三人の肩をポンと叩いた。
「中川さん、とみちゃん、恵美ちゃん、しっかりな!」
「先輩~~ファイトです~~!」
そして日置は中川、阿部は重富、和子は森上のコートの後ろに立った。
「愛子~~~!ズボールよ、ズボーーールっ!」
亜希子は観客席の最前列に移動し、口に手を当てて叫んでいた。
ったくよ・・うるせぇな・・
中川は振り向きもしなかった。
すると日置が代わりに振り向き、観客席を見上げて軽く一礼していた。
「先生~~~!しっかりねーー!」
日置はニッコリと微笑んだ。
そしてそれぞれのコートでは、3本練習が始まっていた。
「よーう、暇つぶし野郎」
中川は橋本を呼んだ。
暇つぶし野郎・・?
一体、なんのこと・・
橋本は黙ったまま、中川に目を向けた。
「おめー、エースだかなんだかしんねぇが、いい気になんなよ」
中川はまたラケットをクルクルと回していた。
なに・・この子・・
脅かしてるつもり・・?
「こちとら一歩も引く気はねぇから、覚悟しな!」
「下品だね・・」
橋本は呆れていた。
「試合は命のやり取りさね・・」
「・・・」
「あの・・」
主審が中川を呼んだ。
「なんでぇ」
「そんな恐ろしいこと言わないでください」
「かっ。例えさね、例え」
と、このように中川は相変わらずだったが、重富と森上は淡々と試合を始めていた。
重富の対戦相手である大垣は、日置の言った通り、ドライブを打つも森上のパワーとは比較にならないほど女子高生の「それ」だった。
加えて板の対処に不慣れなことも幸いし、プッシュや厳しいコースに対する返球はチャンスボールとなり、重富は悉くスマッシュを決めていた。
「とみちゃん~~!ナイスボール!」
重富が点を取るごとに阿部は声援を送り続けた。
そして森上は、既にダブルスで対戦した荒井など敵ではなかった。
ドライブを打つと見せかけてからのストップ、その逆もまた然りで、荒井はその戦法に翻弄され続けた。
監督の高木は思った。
うちは曲がりなりにも第3シードだぞ、と。
聞くところによると、桐花は二年前にベスト8に入っているにせよ、昨年は出場すらしていなかった。
それが今年はどうだ。
桐花はまるで常連校じゃないか、と。
戦前、エースの橋本に期待したものの、中川の変なカットにラケットは空を切るばかりだ。
そして重富は板と裏を使い分け、大垣のドライブをいとも簡単に返している。
森上は言うに及ばず、超高校級だ。
ダブルスに出た阿部も、台にピッタリと着いてフットワークを駆使した速攻も見事だ。
なんなんだ、と。
いや・・桐花は三神に勝って代表になったんだ・・
このくらいの実力は当然だがね・・
それにしても・・強すぎる・・
高木は腕組みをしながら、もはや成す術がないことを悟っていた。
―――観客席では。
上田と柴田は、桐花の試合に釘付けになっていた。
「桐花って、ほんと強いですね」
柴田はコートに目を向けたままそう言った。
「そやな」
上田もコートを見ていた。
みんなそれぞれに個性があって・・レベルも高い・・
せやけど、「ほんもの」は森上や・・
わしは、長いこと卓球の世界に身を置いとったが・・
こんな選手・・見たことないぞ・・
あの三神ですら・・ここまでの子は、いてへんかった・・
この子は・・卓球史に名を残すぞ・・
「上田くん」
後方から皆藤が呼んだ。
「あ、皆藤さん」
上田は振り向いて答えた。
そして皆藤は階段を下りて「ここ、いいですかね」と訊いた。
「どうぞ」
上田は椅子に置いてあるバックを自分の足元に移動させ、皆藤は「どうも」と言いながら着席した。
「さっきは、ご挨拶だけでしたからね」
皆藤はニッコリと微笑んだ。
「そうですね」
「どうですか、桐花は」
「いやもう・・唖然とするばかりですよ」
「そうでしょう」
「素人の子らを、よくぞここまで、と感心しっぱなしですよ」
「きみが日置くんを立ち直らせてくれたのですね」
「え・・ああ、立ち直らせたやなんて、そんなええもんとちゃいます」
上田は苦笑した。
「日置くん、言ってましたよ」
「え・・」
「上田さんのおかげだ、と」
「日置くん、大袈裟なんですわ」
上田はまた苦笑した。
「わしは家に泊めて、うまいもん食わせて酒を呑んだだけですわ」
「きみ、今は漫画同好会の顧問をやっているとか」
「そうなんです」
「私~、卓球の漫画を描いてるんです~」
柴田は少し照れながら口を開いた。
「おお、そうでしたか」
皆藤は優しく微笑んだ。
「それで、先生に監修してもらってるんです~」
「なるほど。それなら間違いがないですね」
「お前な、さっきも言うたけど、この人、三神の監督さんやで」
「はい~、だからすごく緊張してます~」
「うちのことも知ってるんですね」
「はい~、そりゃもう~三神の強さは先生から何度も聞きました~」
「そうでしたか」
皆藤は嬉しそうに微笑んだ。
「上田くん」
「はい」
「きみ、高校卓球界に戻って来ませんか」
「え・・」
「こう言ってはなんですが、きみは漫画同好会の顧問に収まるにはもったいないです」
「・・・」
「大阪は、うちと桐花だけです」
「・・・」
「きみが戻って来れば、またレベルが上がります」
「それ・・山戸辺へ戻れと言うてはるんですか・・」
「そうです」
皆藤は間髪入れずに答えた。
「そんな・・わしはもう辞めたんです・・」
「それがどうだと言うのですか」
「え・・」
「過去がどうあれ、大事なのは今。それと今後ですよ」
「・・・」
「きみ、小谷田の試合を観たのですか?」
「ああ・・少しだけ」
「それで、どうでしたか」
「わしが言えた義理やないですが・・話になりませんでした」
「きみが戻って来れば、小谷田も中井田もおちおちしてられません」
「・・・」
「きみの表情は以前と全く違います。そんなきみだからこそ、強敵になることは間違いないですし、うちも桐花も胡坐をかいているわけにはいきません」
「・・・」
「一考してみてください」
皆藤は上田の肩をポンと叩いて席を立った。
「きみ、漫画が認められるといいですね」
皆藤は柴田にそう言って、この場を後にした。
「先生・・」
柴田が呼んだ。
「なんや・・」
「大阪に・・戻るんですか・・」
「まさか」
「でも・・監督さん・・ああ言うてはりましたけど・・」
「わしはもう、引退したんや」
「でも・・」
「この世界・・そんな甘いもんやないで」
「どういう意味ですか」
「パッと戻ってやな、はい次の日から試合出ます、というわけにはいかんのや」
「え・・」
「選手を育てるいうんは、一朝一夕ではいかんということや」
皆藤は思っていた。
かつては大阪の2位として、インターハイの常連校だった山戸辺。
そこの監督を務めていた上田が、そう易々と卓球を諦められるはずがない、と。
その上田は、選手の指導を誤った結果、身を引いた。
けれども現在の上田はどうだ。
まるで人が変わったかのようではないか、と。
そんな上田なら、今度こそ本来の監督として山戸辺を率いるであろう、と。
そうなった場合、桐花と同様、三神の座を脅かすライバルとなるであろう、と。
上田くん・・
きみの居場所は、漫画同好会ではありませんよ・・
卓球に未練がないのなら・・今日、ここへは来ないはずです・・
もう一度・・一から始めなさい・・
そして共に大阪のレベルアップに邁進しましょう・・
それがきみのためであり・・日置くんや中澤くん、日下部くんのためです・・
「桐花はどうですか」
席に戻った皆藤は、野間に訊いた。
「圧倒的です」
「そうですか」
皆藤は当然だといわんばかりに、ニッコリと微笑んだ。
「問題は次の浅草西ですよね」
「まあ、手強いことは確かですが、あの子たちなら負けませんよ」
―――コートでは。
重富と森上の試合は共に2-0で勝ち、中川も2セット目を20-8でラストを迎えていた。
「さあ~~ラスト1本だよ!」
日置は大声を上げた。
「中川さん~~!1本やで!」
「ラケット落としなや!」
「中川さぁん~~!締まって行くよぉ~~!」
「先輩~~!ファイトです~~!」
彼女らもやんやの声援を送った。
「よーーし、暇つぶし橋本!気の毒だがこれが最後さね!」
中川はボールを手にしていた。
橋本は黙ったままレシーブの構えに入った。
ふっ・・ここは由紀サーブを出してやらあな・・
中川はボールをポーンと高く上げた。
そしてラケットを複雑に動かし、『由紀サーブ』を出した。
すっかり気落ちしている橋本は、回転を見破れずにレシーブは高く返った。
ふっ・・おいでなすったぜ・・
フォアでバウンドしたボールを、中川は渾身の力を込めて打ちに出た。
焦った橋本は反射的に後ろへ下がった。
その動きを見た中川は、寸でのところでチョコンとストップをかけた。
「ええええ~~打たんかい!」
阿部は思わずそう叫んだ。
そう、中川のストップは甘く返ってしまったのだ。
橋本は全速力で前に駆け寄り、その勢いのままスマッシュを打って来た。
中川はすぐさま後ろへ下がり、フォアカットで返す構えに入った。
そして中川は複雑にラケットを動かした。
ふっ・・曲がらねぇぜ・・
方や橋下は、また変化球かと焦った。
ボールは橋本の体をめがけて飛んだ。
空振りを恐れた橋本は、ボールより右へ移動した。
するとボールは橋本の体にあたり、ポトンと床へ落ちた。
嘘・・曲がらなかった・・
橋本は呆然としたまま中川を見ていた。
「よーーし!よーーし!」
日置は手を叩いていた。
「よっしゃあ~~~!」
「ナイスカット~~~!」
「やったぁ~~~!」
「きゃ~~~!先輩、すごいです~~~!」
彼女らも手を叩いて喜んでいた。
こうして桐花対三河第一は、4-0と桐花が圧勝したのである。




