351 謎めいた増江高校 その2
観客席に到着した日置は、「きみたち」といって、阿部ら五人に集まるよう手招きした。
彼女らは食べかけの巻き寿司を椅子に置き、階段を上がって日置の前に行った。
「先生よ、なんでぇ」
中川は巻き寿司を手にしていた。
「これ、めちゃくちゃうめぇぜ」
「そうなんだ」
「先生も食えよ」
「うん、あとでね」
「で、先生、どうかしたんですか」
阿部が訊いた。
「きみたちも増江の一回戦を観たから知ってると思うけどね」
「はい」
「先生よ、今さらどすえ野郎のことなんざ、興味もありゃしねぇぜ」
「増江ね、真城に勝ったんだよ」
「え・・」
彼女らは唖然としていた。
真城は第1シードだろう、と。
なぜ、そこに増江ごときが勝てるんだ、と。
「おいおい、先生よ。それ勘違いじゃねぇのかよ」
「僕もそう思ったんだけど、本部の人に確かめたら本当なんだって」
「するってぇと、真城が大したことなかったんじゃねぇのか」
「そうは思えないんだよね」
「なんでだよ」
「曲がりなりにも第1シードだよ。それに増江のあの子たちのレベルからすると、とてもじゃないけど勝てるはずがないよ」
「接戦やったんとちゃいますか。たとえばラストまでもつれたとか」
重富が訊いた。
「いや、それが4-0なの」
「え・・」
彼女らは思わず顔を見合わせていた。
「だから、増江の三回戦、みんなで観るからね」
「っんなよ、恐れることはねぇって」
中川は既に試合を観て、実力を確かめたことを言った。
「恐れているわけじゃないけど、念には念をだよ」
「かあ~~仕方ねぇやな」
「日置くん、きみたち」
そこへ皆藤がやって来た。
「あ、皆藤さん。おはようございます」
日置は丁寧に頭を下げた。
「よーう、じいさんよ」
「おはようございます!」
「はい、おはよう」
皆藤はニッコリと笑った。
「いま、到着されたんですか」
日置が訊いた。
「はい。早朝の高速船で」
「そうですか」
「で、桐花はどうですか」
「はい。一回戦は問題なく勝ちました」
「そうですか」
皆藤は、当然だとばかりに微笑んだ。
「あの、皆藤さん」
「はい」
「増江高校ってご存知ですか」
「増江・・はて、初耳ですが」
「そうですか・・」
「その増江がどうかしましたか」
「第1シードの真城に4-0で勝ったんです」
「えっ」
皆藤は愕然としていた。
真城といえば、昨年の決勝で対戦し、実力のほどは嫌というほど知っている。
結果は4-0で勝利したものの、どの試合も点数は競った。
当時、二年だった田丸と城之内も試合に出ており、三年生にも引けを取らない実力者だった。
その子たちは今年エースと二番手としてチームの中心選手として出ているはずだ。
他の選手も、いわば同等のレベルであることは間違いない。
それが、なぜなんだ、と。
「きみ、真城戦を観ていたのですか」
「いえ、試合中でしたし、一回戦で実力を確かめましたので、観ていません」
「ということは、さほどではなかった、ということですね」
「はい」
「じいさんよ」
中川が呼んだ。
「なんですか」
「どすえ野郎なんざ、三神の足元にも及ばねぇチームだったぜ」
「どすえ・・」
「ああ、すみません。増江のことです」
日置がすぐにフォローした。
「あはは。きみは相変わらず面白いですね」
「なにがおもしれぇのかわからねぇが、とにかくどすえ野郎なんざ、話になんねぇって」
「それにしても、変ですね・・」
「なにがだよ」
「真城は間違いなく、強豪チームです。エースの田丸くん、二番手の城之内くんは、並の選手ではありませんよ」
「・・・」
「4-0ということは、田丸くんも城之内くんも負けたということですね」
「そうなりますね・・」
「日置くん」
「はい」
「一回戦は、不調だったのかもしれません」
「はい」
「いずれにせよ、心して臨まなければなりませんよ」
「はい」
「きみたちも、いいですね」
皆藤は彼女らに向けてそう言った。
「はいっ」
「っんなよ、気にするこたぁねぇって」
「中川くん」
「なんでぇ」
「ここはインターハイ。どんな強者でも初戦は不調も十分あり得るのですよ」
「わかってらぁな」
「真城に勝ったのは、まぐれではありません」
「そうかよ」
「じゃ、応援していますから、きみたち、頑張りなさい」
「はいっ、ありがとうございます!」
阿部ら四人は深々と頭を下げていた。
けれども中川は、たかがどすえ野郎ごとき、なにをそんなに恐れる必要があるのかと不満を抱いていた。
「まあいいやね。相手がどこであろうが、桐花が優勝すると決まってんだ!じいさんよ、ゆっくりと高みの見物、ぶっこいてな」
「はい、ぶっこかせてもらいますよ」
そして皆藤はこの場を後にした。
すると日置は、何かを思い出したように「あっ」と言って皆藤を追いかけた。
「皆藤さん!」
「なんですか?」
皆藤は立ち止まって振り向いた。
「上田さんが来ておられます」
「上田さん?」
皆藤は、まさかあの上田とは思いもしなかった。
「山戸辺で監督なさってた、あの上田さんです」
「え・・ええっ!本当ですか!」
「はい」
「え・・いや、きみ・・確か上田くんとは、そりが合わなかったのでは」
皆藤は、日置と上田の過去の関係を知っているので、思わずそう訊いた。
「以前はそうでしたが、僕、上田さんに大変お世話になったんです」
「え・・」
そこで日置は、昨年色々とあったことをかいつまんで説明した。
その際、上田の家に泊まって話を聞いてもらったことで、自分は救われたことも話した。
「きみ・・そんなことがあったのですか・・」
皆藤は、日置が落ち込んでいたことなど、全く知らなかった。
「はい」
「それにしても・・あの上田くんが・・」
「上田さん、今は漫画同好会の顧問をなさっておられます」
「ま・・漫画・・」
驚いている皆藤に「あこそにいらっしゃいますよ」といって、日置は歩いた。
ほどなくして上田と柴田が座る席へ行き「上田さん」と呼ぶと、振り向いた上田は皆藤を見てニッコリと微笑んだ―――
その後、二回戦も順当に勝ち進んだ彼女らは、増江の試合を観るため、第1コート近くの観客席に腰を下ろしていた。
けれども増江の選手は、再び補欠の者たちが出ていたのだ。
やがて試合が始まったが、試合内容は一回戦と同じように、上手くて強いことは強いが、なぜこの子たちが真城に勝てたんだと不信感は募るばかりだ。
「やっぱりそうじゃねぇか」
中川は呆れていた。
「ほんまやな・・」
阿部も同じように感じていた。
「真城て・・やっぱりなんかあったんとちゃうか・・」
重富が言った。
「オーダーミスとか?」
和子が言った。
「でもぉ、試合は何が起こるかわからんよぉ」
森上は漠然とだが、奥の手があるのでは、と思っていた。
日置も確かに妙だと感じていた。
まさか・・この子たちが真城に勝てるはずがない・・
たとえるなら・・島乃倉さんたちがいた頃の山戸辺より少し上くらいのレベルだ・・
島乃倉とは、小島らより一学年上で、当時、山戸辺のエースとして活躍していた選手だ。
桐花と山戸辺は因縁の関係にあり、小島が卓球をやると決意したのも、島乃倉を倒すためだった。
「先生よ」
中川が呼んだ。
「なに?」
「こんな試合、観る必要があんのかよ」
「ああ・・まあね」
「相手も弱ぇ。この分じゃどすえ野郎が勝って終わりだぜ」
―――同じ頃、増江高校のレギュラーたちは。
第4シードである、宮城県代表の気仙沼南高校の試合を観ていた。
「所詮、第4シードだね」
主将の藤波が言った。
「弱いよねぇ・・」
白坂も、気仙沼南の実力に呆れていた。
「動きとタイミングが、ほんと遅いよね」
相馬が言った。
「この分じゃ、準決もあの子たちでいいんじゃないの」
時雨は補欠でも勝てると言いたかった。
「確かにそうだね。だって真城でさえあんなだったんだよ」
森上より大きい景浦が言った。
「っていうかさ、決勝もあの子たちでいいんじゃないの」
時雨は半笑いになっていた。
「ときちゃん、それはダメだよ」
藤波が否定した。
「冗談だよ、冗談」
「まあ、決勝は浅草西か桐花だね」
「それにしても桐花ってさ、変なのがいるよね」
相馬は中川のことを言った。
「下品だよねぇ」
「下品もそうだけど、なによあの変なカット」
「他の子も、変なサーブ出してたよ」
「あんなの目じゃないよ」
「まあそうなんだけどさ」
「浅草西だろうが桐花だろうが、4-0で撃沈だよ」
景浦は親指を下へ向けた。
「それにしても監督さ、ほんとなにやってんだうろね」
まだ姿を現さない監督に、藤波は振り向いてそう言った。
「決勝だけ来るんじゃないの」
「決勝も来ないかもよ」
「ええ~それはないよ。ないない」
「電話した方がいいんじゃないの」
「仕方ない。そうするか」
藤波は、半ば辟易として席を立った。
「ふじちゃん、私が行くよ」
景浦が言った。
「そうなの?」
「お茶も買いたいし」
「そうなんだ。じゃ頼んだよ」
そして藤波はまた席に座り、景浦は階段に向かって行った。
やがて景浦がロビーで電話をしていると、その後ろを亜希子が通りかかった。
あら・・この子・・すごく大きいわね・・
森上さんより・・大きいわ・・
へぇ・・増江高校っていうのね・・
亜希子は景浦の背中を見て校名を確認した。
それにしても、この暑いのに・・どうしてニット帽なんて被ってるのかしら・・
「それじゃ」
景浦はそう言って受話器を置いた。
そして自分を見ている亜希子に気が付いた。
「なんですか」
「いやっ・・あなた、とても大きいのね」
「はあ」
「身長、何センチなの?」
「180ですけど」
「ひゃ~~!180!バレーの選手にもなれるわね」
「はあ」
「あなた、どうしてそんな帽子被ってるの?暑くないの」
「別に」
そこで景浦は思い出した。
確かこの人は、開会式で叫んでいたおばさんだぞ、と。
そしてプッと笑った。
「なによ」
「おばさん、開会式で叫んでましたよね」
「そうなの!そうなのよっ」
「すごいですね」
「だってさ~、あの市長ったら、話が長いんだもの」
「確かに」
「でしょ?」
「ところでおばさんは、どこかの応援に来たんですか」
「そうなの、そうなのよ!」
「うわあ・・」
景浦は亜希子の積極ぶりに引いていた。
「それがさ~来る予定はなかったのよ」
「え?」
「間違って船に乗っちゃったの!」
「へぇ・・」
「でね、船長なんかもやって、それで来たの」
「ああ・・もう行きます」
景浦は話の意味がわからず、この場を離れたかった。
「あらら、そうなの~」
「じゃ」
そして景浦は、そそくさと階段に向かって歩いた。
「あなた~~頑張ってね~~~!」
何も知らない亜希子は、景浦の背中にそう言ったのである―――




