342 試合前の空気
ほどなくして体育館へ到着した一行は、中へ入ろうとした。
入り口横には「昭和○○年度、全国高等学校卓球選手権大会」と、縦長の看板が置かれてあった。
看板を見た彼女らは「おおおお~~」と、思わず声を挙げた。
「なんか、いよいよって感じやな」
阿部が言った。
「ほんまや。やっと実感が湧いてきたというか」
重富が答えた。
「そやなぁ~来たって感じやなぁ」
森上も感慨深げだ。
「ふふふ・・」
中川は不気味に笑った。
「なによ」
阿部が訊いた。
「帰りにゃあ~ここへ、優勝、桐花学園と書き足してやるぜ」
「あんたやったら、ほんまにしそうやからな」
「あの、先生」
和子が呼んだ。
「なに?」
「私、ここで母を待ちますので、後で行きます」
「そうなんだ。来られたら報せてね」
「はい、わかりました」
そして日置らは、先に進んだ。
「まあ~~大きい体育館ね!」
亜希子は物珍しそうに、上を見上げていた。
「いいか。かあちゃんは観客席だからな」
「ええ~~一人ぽっちなの?」
「ガキじゃあるめぇし、わがまま言うんじゃねぇよ」
「なんだ~つまんないの」
「きみたち、練習時間はたっぷりとあるから、あまり力を入れ過ぎないようにね」
時間はまだ八時前だった。
そして日置と彼女らは、入口で靴を履き替えていた。
「私はなにを履けばいいのかしら」
「ったく・・」
中川はそう言って、スリッパを靴箱から取り、それを亜希子の足元に置いた。
「愛子~ありがとうね」
「ほら、あっちに階段があんだろ」
中川は観客席に通じる階段を指した。
「はいはい、わかったわ。試合になったら報せてよ。みんな~頑張ってね!」
亜希子はそう言って階段に向かった。
「じゃ、僕は本部席でトーナメント表を貰うから、きみたち、練習しなさい」
「はいっ」
「おうよ!」
そして一行はフロアへ足を踏み入れ、日置は本部席へ行き、彼女らは台に向かった。
まだ八時前とはいえ、台のほとんどが大勢の選手で埋まっていた。
「あっ、一番奥が空いてんぞ!」
中川がそう言うと、台を取られまいと四人は一目散に走った。
コートに到着すると、彼女らはラケットを出して台の上に置いた。
彼女らの横では、とある男子らが練習していた。
そう、近畿大会で選手宣誓したチームである。
そして中川を見つけた男子は「あ・・」と言った。
「おおっ、おめー、あん時の」
「一週間ぶりやな」
「そだな」
「今日も、やるん?」
男子は半笑いになりながら、選手宣誓のことを訊いた。
「やるって、なにをでぇ」
「宣誓」
「おめーがやれよ」
「えっ」
「男なら、そんくれぇやってみろよ」
「こら、中川さん!」
阿部が叱った。
「練習するで!」
阿部は男子に軽く会釈をして、中川を引っ張って行った。
―――一方、日置は。
表を受け取ったあと、ロビーに出てベンチに座った。
さて・・どこかな・・
ナムナム・・
日置は祈るような気持ちで表を捲った。
えっと・・
桐花・・桐花・・
日置は第1シードブロックから、丁寧に探した。
あ・・増江高校って・・
真城高校とすぐにあたるんだ・・
栃木県代表の真城高校は、第1シードであり、昨年度の準優勝校だ。
そう、神奈川県代表の増江高校は一回戦を勝つと、真城とあたる位置にいた。
日置はこの時点で、増江が気の毒だな、と思っていた。
えーっと・・桐花・・桐花・・
あっ、あったぞ・・
よかった・・第3シードだ・・
そう、桐花は第3シードブロックに入っていた。
ということは・・準決で浅草西とか・・
浅草西は第2シードである。
よし・・二年前の雪辱を晴らして・・
決勝で・・真城との対戦だ・・
そう、日置は増江のことなど、なんら気にかけていなかったのである。
―――体育館入り口では。
「あっ、来た!お母さん~~ばあちゃ~~ん」
和子は節江とトミを見つけて、急いで駆け寄って行った。
「おお、和子~」
トミは元気そうな和子を見て、嬉しそうに笑っていた。
「ばあちゃん~~!久しぶりじゃな」
「そうよの。和子、頑張りよるんじゃのぉ」
「うん、すごく頑張っとるんじゃけに」
「和子、先生は?」
節江が訊いた。
「うん、もう中に入って、先輩は練習しとるんよ」
「ほな、あんたも行かんとあかまがや」
※「あかまがや」とは、「ダメじゃないの」という意味です。
「ああ、先生が、お母さんとばあちゃんが来たら、報せて言いよったけに、付いてきて」
「うん、わかった」
そして節江はトミの歩調に合わせて、ゆっくりと進んだ。
やがてロビーに足を踏み入れた和子は、すぐに日置を見つけて駆け寄った。
「先生」
日置は顔を上げた。
「あ、郡司さん。お母さん、来られたの?」
「はい!」
そして節江とトミは、ゆっくりと日置の元へ来た。
「ああ、おばあさん。どうもご無沙汰しております」
「あらあら、先生、お久しぶりです」
トミは曲がった腰をさらに曲げて、深々と頭を下げた。
「どうぞ、お掛けになってください」
日置はトミに手を貸して、ベンチに座らせた。
「はいはい、どうも」
「その節は、色々とお世話になり、ありがとうございました」
日置は深々と頭を下げた。
「なんちゃ、なんちゃ。こちらこそ、和子が世話になって、ありがとうございます」
「先生」
節江が呼んだ。
「はい」
「これ、しょうもないもんじゃけど、皆さんで召し上がってください」
節江はそう言って、小さな紙袋を渡した。
「これは?」
「それの、多度津のうどん屋の名物での、巻き寿司じゃ」
トミが答えた。
「あっ、あそこの?」
和子もその店は知っていた。
「ほうじゃ」
「わあ~先生、ここの巻き寿司、すごく美味しいんですよ!」
「そうなんだね。どうもありがとうございます。遠慮なく頂ます」
「まあ~それにしても、大きい体育館じゃのぉ」
トミは珍しそうに辺りを見ていた。
「ほな私、二人を観客席まで連れて行きますけに」
「いや、僕がお連れするから、きみは練習しなさい」
「そうですか。すみません」
和子は一礼してフロアへ向かった。
「先生」
トミが呼んだ。
「はい」
「和子がの、電話してきては、日置先生はほんまにええ先生じゃ言うての」
「そうですか・・」
「桐花に入ってよかった、言うての。ほなけに私は、安心しとります」
「そうですか。僕も嬉しいです」
「まあまあ、それにしてものぉ・・」
トミはまた辺りを見回していた。
「おかさんよ」
節江がトミを呼んだ。
「なんなら」
「先生、お忙しいんじゃけに、はよ二階へ上がらんと」
「ああ、そうよの」
トミはそう言って立ち上がった。
「ゆっくりでいいですからね」
「はいはい。先生は、優しいのぉ」
「いえ・・そんな・・」
「ほら、おかさんよ」
節江はトミに手を貸した―――
二人を観客席に連れて行った後、日置はまたロビーに座って表を見ていた。
「あっ、日置さん!」
そこへ植木が現れた。
「おお、植木くん」
「おはようございます!」
「おはよう」
日置はニッコリと笑った。
そして植木は日置の隣に座った。
「いやあ~~いよいよですね」
「うん、そうだね」
「桐花、どこですか?」
「これ」
日置は表を渡した。
「どうも」
そして植木は捲って見ていた。
「うちは第3シードだよ」
「へぇー、そうなんですね。あっ、ほんまや。一回戦は、長野の善光寺高校ですか」
「うん」
「聞いたことないし、大丈夫ですよ」
「あ、そうだ」
日置は何かを思い出した。
「なんですか?」
「植木くん、たくさん写真撮ってるよね」
「ああ・・はい」
「ちょっと訊きたいんだけど」
「はい」
「今まで、心霊写真の類とか、あった?」
「え・・」
「いや、僕はそんなもの信じてないんだけど、どうなのかなって」
「心霊写真と思しきものは、ようさんありますよ」
「そうなんだ」
「でも、どれも光の影響です」
「だよね」
日置はいたく納得していた。
「それが、どうかしたんですか?」
「うん、それがね――」
日置は写真のことを説明した。
そして阿部が怯えていることや、寺で供養してもらったと嘘をついたことも話した。
「近畿の写真ですよね。僕のにも映ってましたよ」
植木は鞄の中をゴソゴソと探り、簡易アルバムを取り出した。
「えーっと、あ、これなんか、まさしくそうですよ」
その写真は他チームのものだったが、まさしく阿部が映っている写真とアングルが同じで、坊主らしき者が映りこんでいた。
「あ、これと同じだよ」
「それね、太陽と照明の乱反射で、そんな風に撮れたんですよ」
「へぇ、そうなんだね」
「その意味で、僕はまだまだ素人なんですよ」
植木は苦笑した。
「阿部さんの写真、持ってはるんですか」
「いや・・それがさ――」
そこで日置は、写真が消えたことを話した。
すると植木は、「それは変ですね・・」と妙に深刻ぶった。
「坊主の幽霊ですか・・」
植木はポツリと呟いた―――




