341 慢心は堕落の始まり
やがて電車は丸亀駅に到着し、一行は下車しようとドアへ向かった。
そして一番前で立った亜子起子は、ドアが開くのを待っていた。
「あら、開かないわね。車掌さーーん!ここ、壊れてるわよ~~!」
亜希子は大声で叫んだ。
すると隣のドアからは、スッスと客が降りているではないか。
しかも自分を見て、笑っているではないか。
「なに笑ってるのかしらね」
「ああ、おばさん、このドア手動じゃけに」
和子が慌てて説明した。
「ええっ!手動?」
「はい、取っ手を持って開けるんです」
すると亜希子は、「これね」と言って押した。
「おい、かあちゃん、早くしねぇと出発すんぞ!」
もたもたしている亜希子に、中川が焦った。
「あら、引くのかしら」
亜希子は手前に引いた。
「おばさん、横に引くんじゃけに」
「あら、そうなのね」
「電車は間もなく出発します。お降りの方はお急ぎください」
そこで車内放送が流れた。
「ほら、かあちゃん、早くしろって!」
「こ・・これ・・重いわ・・」
「僕が代わります!」
そう言って日置は慌ててドアを開けた。
「ほら、みんな急いで降りて」
すると彼女らは慌てて降りた。
「待って~~待って~~」
亜希子は取り残されまいと、階段から飛んだ。
すると駅員がドアの確認にやって来た。
そう、閉まっていないと出発できないからである。
「なんだ~慌てることなかったじゃないの」
「なに言ってんだよ!」
「それにしてもあれね~、まさか手動ドアとは、驚き桃の木だわ」
「私は大阪に来て、自動ドアにびっくりしました」
和子はニッコリと笑った。
そして一行は、駅を出てからバスに乗って体育館前で降りた。
その際、前方には愛豊島一行が歩いていた。
日置は気が付いたが、後で声をかけようと思っていた。
「愛豊島野郎め・・」
中川は、亜希子が重富と森上と和子と楽しそうに話しているのを確認して、そう呟いた。
「きみ、どうかしたの?」
日置は、中川が離席した際、何かあったのだと悟った。
「先生よ、あいつらとんでもねぇ集団だぜ」
「え・・」
「強ぇのかなんだか知らねぇが、礼儀ってもんを弁えてねぇのさね」
中川は森田から、愛豊島は絶対王者だと聞かさせれていた。
「なにかあったの?」
日置は中川の口から出た「礼儀」という言葉に、少し呆れつつもそう訊いた。
「滝本東に対して、バカにしたように言ったり、私の顔、じろじろ見て冷やかしたりよ」
「あんた、やっぱり大河くんとこ行ってたんや」
阿部は呆れていた。
ちなみに阿部も、日置が愛豊島出身で、監督を務めていたことは知らなかった。
そう、日誌には書かれてなかったのである。
「そうさね。大河くんに対して、彼女同行かと言いやがってよ」
「それで、きみ、どうしたの?」
「はあ?ってがん飛ばしてやったぜ」
「そうなんだ」
「でよ、人の顔、じろじろじろと見てんじゃねぇぞ、と言ってやったのさね」
「監督は、なにしてたの?」
「愛豊島のか?」
「うん」
「知らねぇ」
日置は思った。
自分が監督を務めていた時も、選手らは全国優勝を果たした結果、天狗になった。
おそらく今の子たちも、そうなんだろう、と。
これは一言、手塚に忠告する必要があるな、と。
そして桐花と愛豊島の距離が、徐々に近づいて行った。
そこで中川を「美人だ」と言った男子が、何気に振り向いた。
すると中川を見つけて「あっ!」と言った。
「なんだよ」
中川は、また睨んだ。
「こわっ。美人が台無しじゃん」
「うるせぇよ!」
「中川さん、やめなさい」
日置が制した。
「ひょ~監督もハンサムだねぇ」
男子は、わざと茶化すように言った。
「きみ、監督は?」
日置は語気を強めて訊いた。
「なんか用っすか」
「うん」
「別に、悪気があったわけじゃないっすよ」
「おい、先生よ。別にいいって」
中川は、日置の態度が意外だった。
いつもの日置なら、当然、無視するはずだからだ。
「先生、どうしはったんですか・・」
阿部も心配していた。
「どうもしないよ。ちょっと監督に注意しとかなくちゃね」
「いやいや、先生、いいって。もう私も相手しねぇし」
「きみ、監督を呼びなさい」
日置は男子に言った。
「おいおい、先生よ。もういいから。こんなクズ野郎、無視すっから」
「先生・・私も中川さんの言う通りやと思います」
中川と阿部は顔を見合わせて、複雑な表情を浮かべていた。
一方で男子は、日置を無視して仲間のところへ小走りで駆けて行った。
阿部と中川は、なんとか収まったことに安堵していた。
「チビ助・・」
中川は小声で呼んだ。
「なに・・」
「先生・・おかしくねぇか・・」
「うん・・おかしい・・」
「どうしたってんでぇ・・」
「私にもわからん・・」
すると日置は、二人の心配をよそに、ズカズカと愛豊島の集団に向かって進んだ。
「え・・」
「ちょ・・嘘やろ・・」
「おいチビ助・・駅弁・・変なもん入ってなかったよな・・」
「なに言うてんのよ・・っていうか・・止めんといかんのとちゃう・・」
「それさね・・」
そして二人は慌てて日置を追った。
「先生よ!なにするつもりでぇ!」
「先生、落ち着いてください!」
二人がそう言うと、愛豊島の男子らはなにごとかと二人に目を向けた。
そして見知らぬ日置のことも見た。
そこで先頭を歩く手塚が振り向いた。
「あああああ~~~!」
「手塚、久しぶりだね」
「はっ!ご無沙汰しております!」
手塚は直立不動で、そのまま深く頭を下げた。
この様子を見て驚いたのが阿部と中川であり、愛豊島の男子らだった。
「チビ助・・これ、どういうこった」
「知らん・・私にもわからん・・」
二人は呆然と日置を見ていた。
「手塚。後で話があるんだけど」
「はいっ!」
「じゃ」
日置はこの場を離れようとした。
「監督!」
「なに」
「今年は、参加しておられるんですね!」
「うん」
手塚は不思議に思った。
なぜなら日置に笑顔がないからだ。
まさかこの後、忠告を受けるとは夢にも思わなかったのである。
「いやあ~僕、嬉しいっす!」
「うん」
「あ・・あのっ、試合、頑張ってください」
「うん、手塚もね」
そして日置は、この場を離れた。
その後を、阿部と中川も続いた。
「おい・・先生よ」
中川が呼んだ。
「なに?」
「監督とか・・手塚とか・・一体、なんだってんでぇ」
「僕ね、愛豊島出身なの」
「え・・」
「それで、桐花に来る前、監督もやってたの。手塚はその時の教え子なんだよ」
「ええええええ~~~~!」
阿部と中川は同時に叫んだ。
「おい、それマジかよ!」
「うん」
「そうやったんですか・・」
そもそも日置は、どれだけ強かろうが、全国チャンピオンであろうが、いや、むしろ強ければ強いほど謙虚になるべきとの考えの持ち主だ。
それだけに母校である愛豊島の彼が、あんな態度を取ったことが許せなかった。
その点、中川は無礼な態度を取っても、強いからといって少なくとも慢心することはない。
そこへ手塚が慌てて引き返してきた。
そう、日置の様子がどうにも変だったからである。
「監督!」
「僕は監督じゃないよ」
「いえっ、あの、お話とはなんでしょうか!」
「今は試合前だからいいよ」
「いえっ、気になりますので仰ってください!」
この様子を見た重富らも、何事かと慌てて駆け寄って来た。
「阿部さん・・どしたん・・」
重富は、ただならぬ空気に小声で訊いた。
「うん・・それがな・・」
阿部は日置と手塚が気になり、説明どころではなかった。
「あのね、手塚」
「はいっ」
「きみ、あの子たちの指導、うまくいってるの?」
「え・・」
「強ければ強いほど、謙虚になれと僕はずっと言い聞かせてたよね」
「はい・・」
「勝つことは大事。それと同時に日頃の姿勢はもっと大事」
「あの・・うちの者がなにか失礼なとこをしたんでしょうか」
「どうやら、そうみたいだね」
「そうですか・・大変申し訳ありませんでした!」
「いや、僕にそんなことしなくていい。それより、慢心は堕落の始まりだよ」
「はいっ」
「うん、それだけ」
「肝に銘じます!」
そして手塚は「失礼します!」といって彼らの元へ戻った。
一方で愛豊島の彼らは、監督がペコペコと頭を下げていたことに驚いていた。
一体、あれは誰なんだ、と。
「話がある」
手塚は彼らを前にしてそう言った。
「何があったのかは、詳しくわからないけど、きみらの中で無礼な態度を取った者がいるよね」
彼らの中には、心当たりのある者がいた。
荷物を落とした者もそうだし、中川や日置をからかった者もそうだ。
「監督」
主将が呼んだ。
「なに」
「あの人、誰なんすか」
主将は日置のことを訊いた。
「あの人は、かつて監督をされてた、日置慎吾さんだよ」
すると彼ら全員が、仰天していた。
中でも、日置をからかった者は、身の縮まる思いがした。
あれが、伝説の日置監督なのか、と。
「いいか。今後は誰に対しても無礼な態度は許さない。慢心など以ての外だ」
そこへ、日置ら一行が横を通り過ぎた。
すると彼らは、日置をまじまじと見ていた。
「あの・・」
日置をからかった男子が声をかけた。
「なに?」
「先ほどは、申し訳ありませんでした・・」
男子は小さくなって頭を下げた。
「うん」
「ま・・まさか・・日置さんとは知らずに・・」
「問題はそこじゃないよ」
「・・・」
「相手が誰とか、関係ないんだよ」
「は・・はい・・」
「試合、頑張りなさい」
そして日置らは先に体育館へ向かった。
彼女らは、改めて日置は何者なんだ、と驚愕していた。
けれども中川は思い出した。
そう、元全日本チャンピオンだっとことを。
「先生~!なんだか知らないけど、さすが先生だわっ。見事な大岡裁きだったわね!」
それこそ、日置の過去など知らない亜希子は、呑気にそう言ったのである。




