340 電車の中
その後、電車に乗った日置ら一行は、それぞれ分かれて四人席に座った。
その際、中川は滝本東から離れるため、あえて別車両を選んでいた。
なぜなら、亜希子に余計なことを言わせないためだ。
くそっ・・
ほんとならよ・・
ちょっとでも旅行気分を味わうために・・
大河くんの近くで居たかったってのによ・・
中川は、日置と亜希子と一緒に座っていた。
阿部らは通路を挟んで座っていた。
「弁当~~弁当はいかがですか~」
そこへ、ホームで駅弁を売る男性が歩いてきた。
「あらっ、駅弁だわ~!」
ホーム側に座る亜希子は、珍しそうに窓から顔を出した。
「ねぇ愛子。買おうよ~」
亜希子は中川の肩をゆすっていた。
「ったくよー、ガキかよ」
「だって、お腹空いたんだもん」
「みんな、どうする?」
日置は阿部らに訊いた。
「ああ・・食べたいかもです・・」
阿部は亜希子に気を使ってそう言った。
「私も食べたいです」
「私もぉ・・」
「私も食べたいです・・」
彼女らがそう言うと「すみません」と日置が男性を呼び止めた。
「はいはい」
男性は日置を見上げた。
「お弁当とお茶を、それぞれ七つください」
「はい~ありがとうございます」
やがて弁当を手にした日置らは、お茶の入れ物を珍しそうに見ていた。
それはポリ容器でできた茶瓶で、蓋が湯飲みになっている。
「まあ~かわいいわね~」
亜希子が言った。
「そうですね」
正面に座る日置が答えた。
中川は何も言わずに弁当の蓋を開けて、パクパクと食べ始めた。
そして不機嫌であった。
「なあなあ、中川さん」
阿部が呼んだ。
「なんでぇ」
中川は弁当を見たままだ。
「おばさん・・なんで船長やってはったん・・」
「それさね!」
中川は箸をバンッと置いて、阿部らを見た。
「あはは、それね~――」
亜希子がそこまで言うと「かあちゃんは、黙ってろ!」と中川が制した。
「なによー」
「ったくよ、かあちゃんったらよ――」
中川は亜希子を無視して、事の経緯を説明した。
すると彼女らは、次第に声を挙げて笑うようになっていた。
「ああ~、だからつっかけなんですね」
「そうなのよ。すぐに帰るつもりだったからね」
「でもぉ、船長が出来るなんてぇ、すごいですぅ」
「あはは。すごく楽しかったわ」
「なかなか出来ないことですよね」
日置が言った。
「先生なら、とても似合うと思うわ!」
「いやいや、まさか・・」
「だって、先生、背も高いしハンサムだし。帰りの船でやったらどうですか」
「いやいや、勘弁してください」
阿部らは想像した。
制服は白のスーツで、白の帽子。
そら、似合い過ぎるやろ、と。
「先生、ええんちゃいますかね」
阿部が言った。
「ピッタリやと思いますよ」
重富が言った。
「見たいかもですぅ」
森上が言った。
「かっこええんじゃなかろか・・」
和子はあさっての方を向いていた。
「きみたち。ごちゃごちゃ言ってないで、早く食べなさい」
日置は呆れ返っていた。
やがて電車は高松駅を発車し、弁当を食べ終えた彼女らは車窓の景色に見入っていた。
特に和子は、「懐かしい~」と言いながら、阿部や重富や森上の親が持たせてくれたお菓子をポリポリと食べていた。
そんな中、中川は大河が気になって仕方がなかった。
この分じゃ・・
試合場でも話せねぇぜ・・
さっきは・・笑って許してくれたけどよ・・
二度めがあれば・・いくら大河くんとはいえ・・
気分を害するに違いねぇ・・
くそっ・・
ババア・・帰れよ・・
「あら~~なんて綺麗な景色なの~~」
亜希子は呑気にそんなことを言っていた。
「先生も、東京ですよね」
亜希子が訊いた。
「はい」
「こんな景色、見たことないんじゃない?」
「ああ・・はい」
日置は昨年見ていたが、見たとは言わなかった。
そこで中川は我慢が出来ずに立ち上がった。
「あら、愛子。どうしたのよ」
「気分転換」
「え?」
「かあちゃんがうるせぇから、気分転換だよ」
「まあ~酷いこと言うのねっ」
「付いてくんなよ」
そう言って中川は、滝本東の車両へ向かった。
「あらら・・なんなのよ」
亜希子は中川の後姿を見ていた。
「あの、おばさん」
阿部が呼んだ。
「なに?」
「これ、よかったらどうぞ」
阿部は、チョコレートを差し出した。
「あら~嬉しいわ。ありがとう」
亜希子は受け取って、早速口に放り込んでいた。
「これもどうぞ」
「よかったらぁ、これもどうぞぉ」
重富はバームクーヘンを、森上は醤油せんべいを渡した。
「あら~ありがとう。あなたたち、優しいわね。愛子も見習ってほしいわ」
亜希子がそう言うと、彼女らは苦笑していた。
一方、別車両に到着した中川は、大河を探していた。
あ・・いたわ・・
見つけた中川は、席に向かって進んだ。
けれどもなんとなく、空気が変だ。
なぜなら、滝本東の選手たちの表情がとても硬いのだ。
どうしたのかしら・・
この車両には、他校の男子選手たちも乗っていた。
―――遡ること、三十分前。
「ここに座るよ」
監督らしき一人の男性がそう言った。
「うーす」
選手らは、それぞれ分かれて席に着いた。
その時、一人の男子が荷物を荷台に置こうと持ち上げた。
すると電車の揺れで、荷物が滝本東の男子の頭上に落ちたのだ。
「あ、わりぃ」
男子に悪気はなかったが、なんとも軽々しく詫びた。
「失礼なやっちゃな」
滝本東の男子は、思わずそう言った。
「はあ?」
「それ、謝ってるつもりか」
「謝ったじゃん」
「おい、やめとけ」
滝本東のキャプテンが制した。
「うっす・・」
男子は不満げだったが、それに従った。
落とした男子は「へぇ、滝本の選手なんだ」とバカにしたように言った。
「それがなんやねん」
滝本東の別の男子が言った。
「別に」
その男子は、まるで校名を報せるかのように背を向けた。
男子の背中には、なんと「愛豊島高校」と書かれてあったのだ。
愛豊島とは、日置の出身校であり、かつて日置は監督も務めていた。
校名を確認した男子は、思わず顔を引きつらせていた。
そう、愛豊島は全国トップのチームであり、絶対王者として君臨しているのだ。
「どうしたの?」
監督の手塚が、様子を気にして歩いてきた。
この手塚は日置の教え子である。
「なんでもないっす」
「早く座りなさい」
手塚はそう言って、自分の席に戻った―――
そうとは知らない中川は、違和感を覚えながらも大河の元へ歩いた。
「大河くん」
中川が声をかけると「ああ、中川さん」と大河はニッコリと微笑んだ。
「あの・・どうしたの・・」
中川は「空気」のことを訊いた。
「なにが?」
「いえ・・なんか、様子が変だと思って・・」
「別に、なんでもないよ」
「中川さん、ここ、座りぃや」
森田が空席を指して言った。
「あら・・いいのかしら」
そこは大河の隣りだった。
「ええやん」
森田は優しく微笑んだ。
「うん、じゃ、少しだけ」
そして中川は席に腰を落とした。
「さっきは、ほんとにごめんなさい」
「いやいや、もうええって」
「うん、ありがとう」
「ええお母さんやん」
大河はお守りのことを言った。
中川もそうだと察した。
「でもね、安産祈願なのよ」
「え?」
「間違えて買ったのよ・・呆れるでしょ?」
「あはは、ええやん」
「安産祈願?」
森田は驚いていた。
「そうなの。まったく慌てん坊なんだから」
「あはは、おもしろい人やな」
そこへ愛豊島の男子が、横を通った。
すると中川の美貌に驚いて、思わず立ち止まった。
「へぇ・・彼女同行なんだ」
男子は大河に目を向けてそう言った。
「なに」
大河が反応した。
「いや、別に」
中川は、その男子を見上げた。
「ひゃあ~・・すごい美人だね」
「はあ?」
中川は男子を睨んだ。
「中川さん、やめとき」
大河が制した。
「おおっ、こわっ」
男子は、わざとそう言った。
「おめー、人の顔、じろじろ見てんじゃねぇよ」
「えっ」
男子は当然のように、中川の話しぶりに仰天していた。
そして、慌ててこの場を去った。
「愛豊島?どこの学校でぇ」
「東京やで」
「ほーう」
そこで大河と森田は、中川の話しぶりにクスクスと笑っていた。
「なんでぇ」
「いや、ええねんけど」
「あ?あっ!ああっ、ごめんなさい」
「あははは」
二人は爆笑していた。
「いえっ、違うの。今のは間違えたの」
「かめへんやん」
「嫌だわ、私ったら。大河くんの前で、なんとはしたない・・」
そして森田が、さっきの「事件」のことを話すと、中川は「まあ~なんて方たちなのっ。許せなくってよ!」と怒り心頭になったのである。




