34 年寄りの嫉妬
―――そして昼休み。
「恵美ちゃんも、今日はパンなんやな」
阿部が訊いた。
ここは食堂の売店だ。
森上と阿部は、順番を待っていた。
「そうやねぇん。今日の朝、いつもより早く家を出たからなぁ。お弁当が間に合わんかったんよぉ」
「何時に着いたん?」
「七時ぃ」
「ひゃ~めっちゃ早いやん!」
「そうやねぇん。サーブ練習しよと思てなぁ」
「ああ~昨日、教えて貰ろたて、いうサーブやな」
「でもなぁ、先生ぇ、あかん言うてはったわぁ」
「なんでやの?」
「横回転ていうサーブやねんけどなぁ。相手に見破られるてぇ」
「へぇーそうなんや。私はな、今日から違う練習するみたいやで」
阿部のフォア打ちは、もう定着していた。
「そうなんやぁ、よかったなぁ」
「はよ、恵美ちゃんに追いつかなな」
「せやけどぉ、同じ卓球部やのにぃ、一緒に練習できひんのもぉ、変な話やなぁ」
森上がそう言うと、阿部は「あはは」と声を挙げて笑っていた。
そして森上もつられて笑っていた。
「森上さん、阿部さん」
そこに日置が来た。
「きゃ~~ひおきん~~」
「ひおきん~なにパンがええですか~買ってあげます~」
列に並んでいる生徒から、すぐに声が挙がった。
「ありがとう。でも僕も並ぶからいいよ」
「きゃ~~笑ろてはるわ~~」
「めっちゃかっこええ~~」
森上と阿部は、苦笑していた。
「森上さん」
日置が呼んだ。
「はいぃ」
「今日も、卓球クラブへ行くの?」
「はいぃ、そのつもりですぅ」
「じゃ、僕は阿部さんの練習を終えてから行くね」
「そうですかぁ、なんか、すみませぇん」
「クラブは何時までやってるのかな?」
「うーん、わかりませんけどぉ、昨日はぁ、晩ご飯の前までいてましたんでぇ、六時まではやってると思いますぅ」
「そっか。わかった」
「先生」
阿部が呼んだ。
「なに?」
「今日は、はよ切り上げてもええですよ」
「じゃ、五時半までにしようか」
それでも、二時間弱は練習できるのだ。
「はい、わかりました」
「阿部さんは、今日からショートをやるからね」
「はいっ、頑張ります!」
―――そして練習後。
日置は森上の住む近隣の商店街へ向かった。
そこで日置は途中、商店街の中を歩いていると、パン屋を見つけた。
そう、森上がバイトしているパン屋だ。
そうとは知らない菓子パンが大好きな日置は、思わず中を覗いてみた。
うわあ~・・美味しそうだなあ・・
この店に並んでいる菓子パンは、学校の売店で売っているものと、全くレベルの違うパンだった。
日置はたまらず店の中へ入った。
「いらっしゃいませ~」
アルバイトの中年女性が、日置を迎え入れた。
「こんばんは」
「好きなパンを、お取りくださいね」
「え・・」
日置は買い方を知らなかった。
「これと、これを持ってお選びください」
女性は、トレーとトングを日置に渡した。
「ああ・・そうなんですね。ありがとうございます」
そして日置は、並ぶパンを見て回った。
へぇー・・パンに焼きそばが挟んである・・
こっちのは・・ウインナーが挟んであるぞ・・
これは・・え・・中に卵とハムが入ってるのか・・
これはすごいぞ!
日置はそれらをトレーに乗せて、レジまで持って行った。
レジの女性は、手際よくパンの一つ一つを小さなナイロン袋に入れ、最後に店名の入った紙袋にまとめて入れた。
「ありがとうございます。合計で二百六十円です」
日置はお金を払って、袋を受け取った。
「ここのパン屋さん、どれも美味しそうですね」
「はい、当店オリジナルの商品です」
「そうですか。食べるのが楽しみです」
「ありがとうございます」
「あの、ここの近くに卓球場があると思うんですけど、どこかわかりますか」
「ああ、秋川さんとこですね。ここを真っすぐ行って、通りを抜けた所にありますよ」
「そうですか、ありがとうございます」
そして日置は店を後にした。
しばらく歩くと商店街を抜けた。
ええっと・・卓球場・・卓球場っと・・
すると『よちよち卓球クラブ』という看板を見つけた。
ここだな・・
そして日置は中を覗いてみた。
すると森上はおらず、老人の男性が二人で打っていた。
椅子には女性二人が座っていた。
「こんばんは」
日置は扉を開けて、そう言った。
台で打っていた秋川と水沢、座っている中島と柳田は、誰なんだ、という風に一斉に日置を見た。
「どなたですか」
秋川が訊いた。
「初めまして。わたくし、ここでお世話になっている森上の教師をやっております、日置と申します」
中島と柳田は、丁寧に挨拶をする日置を見て、心の中で「かっこええええ」と叫んでいた。
コーチの瀬戸よりもずっと若く、おまけに背が高くてハンサムだ。
いつもしわくちゃなジジイばかり見ている二人にとって、まるで俳優でも見たような気がしていた。
「ああ、森上さんの先生ですか」
秋川が答えた。
「はい、生徒がお世話なにり、それでご挨拶をと思って参りました」
「ああああ~~っんもう~先生!そんなとこ立っとらんと、中へ入って、入って」
「そうですよ~、まあ~なんて若くて素敵な先生なんやろ~」
中島と柳田は、日置を出迎えに行った。
「ああ・・どうも」
日置は困惑したが、二人に腕を引っ張られ、中へ入った。
「森上は、もう帰宅しましたか?」
日置が秋川に訊いた。
「ああ、さっきな、晩御飯や言うて、帰ったで」
「そうでしたか」
「先生、若いけど、いくつなんや」
水沢が訊いた。
「ああ・・二十九です」
日置は、年齢まで言わないといけないのか、と少し戸惑った。
「いやあ~二十九て、私の息子より若いわあ~!」
「うちの娘とは同い年やわあ~」
日置は、正直、うるさいな・・と思った。
「ほんで、あんたが卓球のコーチか」
秋川が訊いた。
「はい、卓球部監督も務めております」
「へぇー、ほんなら、強いんか」
「僕はもう現役ではありませんので」
日置は、「打とう」と言われる前に、制するように答えた。
「それでは、今後も森上をよろしくお願いします」
日置はそう言って頭を下げた。
「なあなあ~先生、せっかくやから打って行きません~?」
中島が言った。
「そうそう、見せてほしいわ~」
柳田もそう言った。
「いえ、僕はこれで失礼します」
「いやあ~そんなこと言わんと~」
中島がそう言うと、秋川と水沢は、ボソボソと話をしていた。
「もうちょっとしたら・・後藤はん来るで・・」
秋川が言った。
「なんや・・わしらでは、かなん気がするしな・・」
水沢は日置をチラリと見た。
「ここは・・後藤はんで・・いっちょ、いわせたろか」
「そやな・・」
秋川と水沢は、日置に対抗意識が丸出しだった。
相手が森上という女子高生ならまだしも、若くてハンサムな男性であれば、年を取っているといえども、自らの実力など顧みずに嫉妬はするのだ。
秋川にすれば、「道場破り」とも思えたのだ。
日置にすれば、迷惑な話以外、何物でもない。
単に挨拶に来ただけで、対抗意識を燃やされても、という話だ。
「なあ、先生」
秋川が呼んだ。
「はい」
「もうすぐしたらな、うちのエースが来るんやけど、相手させて貰ろたらどないや」
「え・・」
「試合、やって貰ろたらええで」
「そや。エースとは、なかなか打って貰われへんのやで」
日置は、なぜこうなるんだ、とうんざりした。
「いえ、僕は遠慮します」
「あれま、そうかいな」
秋川はいかにも、逃げるのか、といった表情を見せた。
それでも日置は「はい、帰ります」と答えた。
「秋川さん、いくらなんでも、それは失礼やと思うわ」
中島が言った。
「なんでや」
「そんなん・・うちのエースて・・」
そう、中島も後藤の方が強いと決めつけていたのだ。
「いや、先生。うちのエースてね、ラリーもすごくうまいし、なによりサーブが凄いんよ。あれは誰もとられへんのよ」
中島が言った。
「そうですか」
「そうそう。年の割には体力もあって、へばることなんて、ないんよ」
柳田もそう言った。
「いえ、僕は帰らせていただきますので。練習の邪魔をして、申し訳ありませんでした」
日置がそう言って頭を下げた時だった。
「まいど~」
そこに後藤が入ってきた。
「来たで!待ってました。うちのエースや」
秋川は、どうだと言わんばかりだ。
「またそれを言う。もうええて」
後藤は日置にまだ気がついてなかった。
なぜなら日置は背を向けていたからだ。
「後藤はん、来て早速で悪いんやけどな、この人と試合したってくれへんか」
秋川が言った。
「え・・」
後藤は日置を見た。
そこで日置は振り返った。
「あ・・ああああああ~~!兄ちゃんやがな!」
「あっ、後藤さん!」
日置も後藤のことは憶えていた。
「いやあ~~兄ちゃん、ひっさしぶりやなあああ~~」
「後藤さんもお元気そうで、なによりです」
他の者は二人の様子を見て、口をポッカーンと開けていた。
「後藤はん・・この人、知り合いか・・」
秋川が探るように訊いた。
「知り合いも何も、わしはこの兄ちゃんと試合したんやで!」
「ええええええ~~~!」
四人は一斉に叫んだ。
「いうても、ボロ負けしたけどな」
そして後藤は「あっはは」と大声で笑った。
その後、後藤は日置のすごさを、これでもか、というくらい話し続けた。
伝家の宝刀の投げ上げサーブも、一切通用しなかったことも。
そして後藤が「兄ちゃん、わしで悪いんやけど相手してくれるか」というと、日置は快諾して少しだけラリーをした。
日置の打つ姿を見た四人は、言葉を失っていた。
ほどなくして日置は、また丁寧に頭を下げて、この場を後にした。




