336 混乱する亜希子
その後、船員室へ連れて行こうと判断した船員だっが、まずは船長に報せるべきだと操舵室へ向かった。
その実、船員は亜希子が頭の「ふれた」人物だと勘ぐっていたのだ。
そして神戸港に到着した際、下船させて警察へ引き渡すのが得策だと考えていた。
「どこへ・・行くんですか・・」
亜希子は不安げに訊いた。
船員は黙ったまま歩き続けた。
「私は娘にこれを渡したいだけなの。それで間違って乗ってしまっただけなの」
「・・・」
「あなた・・聴こえてます?」
「はい」
それから二人は黙って歩き続け、やがて操舵室に到着した。
コンコン・・
船員はノックをして中へ入った。
舵を握っているのは副船長だった。
「増田くん、どしたんや」
船長の亀井が訊いた。
そしてここに相応しくない女性を見て、怪訝な表情を浮かべていた。
「その人、誰や」
亜希子はわけがわからず、ボ~ッと立っていた。
「なんでも、間違って乗船されたお客さんでして・・」
「間違って?」
「娘さんにお守りを渡すためだとか」
「あの、お客さん」
亀井は亜希子を呼んだ。
「はい・・」
「娘さんは、この船に乗ってるんですか」
「はい、乗ってます!」
「お一人で?」
「いえっ、先生とチームメイトと一緒です!」
「行き先はどちらですか」
「丸亀です、丸亀!」
船の終着点は高松だが、亜希子は体育館の場所を言った。
「丸亀・・でしたら高松まで行かれるんですね」
「いえっ、丸亀です!」
関東人である亜希子は、西日本や四国の地理や地名に疎かった。
「この船は、高松行ですよ」
「えええええ~~~!」
「ですから――」
「じゃ・・愛子はこの船に乗ってないんだわ・・どうしよう・・」
「・・・」
「乗ってたとしたら・・あの子たちも間違えたんだわ・・」
「あの、お客さん」
「試合は明日なの!間に合わないわ~~!」
亀井と増田は顔を見合わせて、呆れ返っていた。
副船長も、時々振り向いて様子を見ていた。
「船長、どうしますか」
「そうやな・・困ったな・・」
「神戸で下船させて、警察に引き渡したらどうですか」
「えっ!」
亜希子は、警察という言葉に仰天した。
「私、なにも悪いことしてないわ!」
「いえ、そうやなくて」
「警察ってなによ!あっ、タダで乗ったことを言ってるのね!」
「違いますって」
「お金は持ってるの。払いますから、おいくらかしら」
亜希子は鞄から財布を取り出した。
「いえ、今ここで払われても困ります」
「じゃ、なに?警察ってなんなのよ!」
「お客さん、お名前は?」
亀井が訊いた。
「中川です!」
「あの、中川さん、神戸に到着するまで、ここで待っててください」
「え・・」
「そこの椅子にお座りください」
亜希子はパイプ椅子を見た。
「監禁ってことね・・」
「あほなこと言わないでください。人聞きの悪い」
「ううう・・愛子ぉ・・」
亜希子は椅子に座って泣き出した。
―――一方、日置らは。
二等室へ入り、空いている場所へ上がって座った。
「おおお~~毛布もあんのかよ」
「きみたち、それ一枚ずつ取って、今から寝るよ」
「ええ~もう寝るのかよ」
「明日試合だよ。ちゃんと睡眠はとらないとね」
「つまんねー」
中川は、さも納得したようにそう言ったが、ここでじっとしているわけがないのだ。
そう、みんなが寝静まったあと、「探検」してやろうと企んでいた。
「ほな、これ明日試合場で食べますか?」
阿部は紙袋を見せた。
「そうだね」
「ほな、これもやな」
重富がそう言った。
「ほならぁ、これもですねぇ」
森上もそう言った。
「だけど、ほんといいご両親だね」
「来るなって言うたのに・・」
「私もやん」
「私もぉ、まさか来るとは思いませんでしたぁ」
「郡司さんのお母さんは、先に行ってらっしゃるんだよね」
日置が訊いた。
「はい。朝の船でばあちゃんを迎えに行ってます」
日置も阿部らも、中川の親だけ来なかったことで、中川には何も言わなかった。
そう、来ないどころか、まさか船に乗っているなどとは思いもせずに。
日置らの「エリア」には、他に家族連れや友達同士の客もいた。
みな、帰省や旅行を楽しむように、和やかに話していた。
やがて時間も過ぎ、日置らも他の客も静かに眠りについた。
けれども日置は試合が気になり、目を瞑ってはいたがオーダーのことを考えていた。
とりあえず・・どこのブロックに入ってるかなんだよね・・
頼むから・・シードの近くに入ってませんように・・
日置は二回戦でシード校とあたることを思った。
いいところに入ってたら・・
勝ち上がって行くうちに、場慣れもするし、コンディションもよくなる・・
一回戦は・・そうだな・・
ダブルスは阿部と森上・・
シングルを、中川と重富・・どっちを二回出すかなんだよね・・
そこで中川は毛布から抜け出し、他の客を起こさないよう、靴が置いてあるところまでそっと移動していた。
日置は目を開けた。
中川さん・・
どこへ行くのかな・・
トイレかな・・
こう思った日置だったが、中川のことだ。
なにをしでかすか、わかったもんじゃない。
不安になった日置は、中川の後をつけようと思った。
やがて中川が二等室から出て行くと、日置も起き上がって部屋を出た。
あ・・やっぱりだ・・
そう、中川はトイレへ行かず、なんとデッキに出て行ったのだ。
まったく・・あの子はほんとに・・
日置はあとをつけた。
「ああ~~いい風だぜ!」
中川は海に向かって叫んでいた。
「しっかしよ~こんな暗くちゃ、なんも見えねぇな。ひゃっほーー!」
なにがひゃっほーだよ・・
「中川さん」
日置が呼んだ。
「あっ!先生じゃねぇか!」
「きみ、寝なさいって言ったよね」
「まあいいじゃねぇかよ。夜の海っての、見たかったんでぇ」
「まったく・・」
そして日置は中川の横に立った。
「これ、落ちたら助からねぇな」
中川は海を覗きこんでいた。
「なに言ってるの」
「あ・・そういえば先生よ」
「なに?」
「おめー、チビ助に嘘ついただろ」
「え?」
「ほら、写真のことさね」
「あ・・ああ・・」
「ほんとに供養したのか?」
「いや・・それがさ・・」
「なんでぇ」
「写真が消えたの」
「え・・」
「部屋の引き出しにしまったんだけど、ないんだよ」
「どういうことでぇ」
「それが、まったく見当もつかないんだよ」
「小島先輩が持ってるとかねぇのかよ」
「あの子はすごく怖がりでね。写真があるってだけで帰っちゃったんだよ」
「そ・・そうか・・」
「まあ、僕の勘違いかも知れないし」
「それってよ・・やっぱりヤベーんじゃねぇのか」
「ヤバイって?」
「心霊現象さね・・」
「ないない。ないけど、阿部さんに言っちゃダメだよ」
「言えるかってんだ」
「間もなく当船は神戸港に到着します」
そこで放送が流れた。
「あっ、先生、見てみろよ。あの夜景!」
神戸の夜景は「100万ドルの夜景」といわれており、見事な光を放っていた。
「わあ~とても綺麗だね」
「ひゃ~~これゃあ~~得したぜ!」
「まあね」
そこで乗降口に船員が準備のためにやってきた。
日置と中川は、邪魔にならないよう場所を譲った。
「ここで降りる客なんて、いんのかよ」
「どうなんだろうね」
その実、降りる客は皆無だった。
ここからは、また大勢の客が乗って来るのだ。
「それにしても綺麗だぜ・・」
中川は夜景のことを言った。
「戻るよ」
日置が言った。
「おうよ」
そして二人が船室に戻ろうとした時だった。
他の船員に交じって、なんと亜希子は船長の格好で現れたのだ―――




