330 オーディション
一方で練習を終えた日置と彼女らは、昼食を摂ったあとオーディション会場に向かっていた―――
「SABホールて、コンサートとかやってるとこやんな」
重富が中川に訊いた。
「へぇー」
中川はSABホールを知らないし、興味もなかった。
SABホールとは、大阪北区のフェスティバルホールの地下にある小ホールのことである。
この時代、大人気番組だった『ヤングおー!おー!』の収録が行われていたホールでもある。
「中川さん」
日置が呼んだ。
「なんでぇ」
「きみ、履歴書持って来たの?」
「そんなもん、ねぇよ」
中川は、履歴書がないことくらいで断られるのなら、それはそれでいいと思っていた。
「服装だってジャージだし」
「細けぇことで、ごちゃごちゃ言うようなら、それだけの会社ってことさね」
いつもの日置なら「ちゃんとしなさい」とたしなめるところだが、むしろそれでいいと思った。
ぜひ、門前払いをしてくれ、と。
ほどなくしてホールに到着した一行は、まず受け付けに向かった。
ホールの入り口には、オーディションを受けに来た若い女子らが順番に手続きをしていた。
女優志願の子たちだけに、綺麗な化粧を施した美人揃いだ。
そんな中、中川もけしてひけをとらなかった。
けれどもスッピンにジャージ姿の中川を、女子たちは小ばかにするように嗤っていた。
「私、これ受けに来たんだけど」
中川は紙を差し出し、受け付けの女性にそう言った。
女性は、なんだその格好は、と驚いていた。
「履歴書を出してください」
「そんなもん、持ってねぇよ」
「はあ?」
「来いって言われたから来たんでぇ」
女性は、中川の言葉遣いに不快感を覚えた。
「言われたって・・誰にですか」
「おめーんとこの、吉住って野郎でぇ」
「野郎・・って。あなた、いい加減なこと言うんじゃありませんよ」
「はあ?」
「履歴書がないと、受け付けられません」
女性はうんざりした口調で、語気を強めて言った。
「そうかよ。こちとら別にどっちでもいいんでぇ」
中川は受け付けを離れて日置らの元へ戻った。
「やっぱりダメだとよ」
中川の返答に、日置は安堵していた。
「あらら・・せっかく来たのに」
重富は残念そうだった。
「仕方がないね。じゃ、学校へ戻って練習するよ」
日置は嬉しそうに笑った。
「先生よ、なに嬉しそうにしてやがんでぇ」
「別に・・そんなことないけど」
「ったくよー、ここは生徒の後押しをするべく、お願いしますって頭くれぇ下げんのが教師ってもんだろがよ」
「なに言ってるの。さ、行くよ」
日置らが帰ろうとすると、「あっ!」と言いながら吉住が現れた。
「おおおおーー中川さん、来てくれたんか!」
「よーう、吉住よ」
「もう、受け付け済ましたんか?」
吉住は日置を無視して訊いた。
なぜなら、バツが悪かったからである。
「履歴書がねぇなら、受け付けられねぇんだとよ」
「そんなもん、ええ。僕が言うとく」
「あの、吉住さん」
日置が呼んだ。
「わかってる。わかってる」
吉住は日置の口から出る言葉はわかっていた。
「あとで、なんぼでも叱ってくれ。夜中まで付き合う。せやから、この子に受けさせたって」
「なに仰ってるんですか」
「はいはい、わかってる。中川さん、おいで」
吉住は「日置くんときみらは、中で座って見てて」と言い、中川を連れて慌ててこの場を去った。
「まったく・・」
日置は不機嫌になっていた。
「先生・・」
阿部が呼んだ。
「なに」
「せっかくですし・・中に入りましょう・・」
「うん・・」
そして一行は中へ入り、空席に並んで座った。
―――一方で、吉住と中川は。
「おい、吉住さんよ」
「なんや」
「私、冷やかしで来ただけだぜ」
「うん、わかってるで」
「履歴書もねぇし」
「そんなんええねや。審査員がきみに色々と質問するから、それに答えたらええねや」
「ふーん」
「舞台に立ってもらうけど、そこは大丈夫やな」
「けっ、そんなもん屁でもねぇやな」
「なんも取り繕うことはない。きみのままでええからな」
「審査員って誰でぇ」
「うちの会社のもんと、映画監督。あっ、それから特技をやってもらうんやけど、きみ、歌はいけるよな」
「ふっ・・歌だけじゃねぇぜ」
中川は不敵な笑みを浮かべた。
「なに?」
「演技もできらぁな」
「えっ、そうなんか?」
「早乙女愛を完璧にやって見せるぜ」
「へぇー!」
やがて楽屋に到着した吉住は「ここで待っといてな」と言った。
「おうよ」
「ほんで、番号が呼ばれたら舞台に上がって」
「私って、何番でぇ」
「うーん、そやな。十五番にしとくわ」
「おうよ」
「ほな、頑張りや」
そう言って吉住はこの場を去った。
中川がドアを開けて中へ入ると、大勢の女子が各々椅子に座って待っていた。
そして中川も空いている椅子に座った。
その際、中川の風貌を見てクスクスと笑う者もいた。
「なに笑ってんだよ」
中川はその者らを睨んだ。
「ジャージて・・」
「スッピンやし・・」
「おめーら、ここに何しに来たんでぇ」
「え・・」
「なんなん・・この言葉遣い・・」
「ぷっ・・ヤクザみたい・・」
「けっ、女優志望ってやつらは、たかだかこの程度なのかよ。くっだらねぇ」
「なによ」
「見た目で決まるのかっつってんだよ」
「まずは、見た目やん。そんなん当然やで」
「バカ言ってんじゃねぇよ。ようはここさね、ここ!」
中川は自分の胸を叩いた。
「おっさんか」
「ほんま、下品な子やわ」
「ええやん。こんな子、一発でアウトや」
早くも不穏な空気が漂っていたが、中川は全く意に介さなかった。
なぜなら、落ちようがなんだろうが、どうでもいいからである。
それに来週はインターハイがあるのだ。
けれども中川は、こんなくだらない連中に負けたくなかった。
その意味で、一泡吹かせてやろうと思っていたのだ。
そこへスタッフの女性が入ってきた。
「みなさん、始まりますから準備してください。まずは一番から五番までの人、着いて来て」
すると該当者らは席を立ち、女性の後に続いた。
中川は退屈とばかりに、机に突っ伏して寝た。
やがて一時間が過ぎた頃、「十一番から十五番の人、行きますよ」とスタッフが呼びに来た。
そして四人が立ち上がった。
「あと一人は?」
スタッフは残った者に訊いた。
けれども返答がない。
「ちょっと」
スタッフは中川の肩を揺らした。
中川は目を覚まし「なんでぇ」と言った。
「あなた、何番?」
「十五番」
「まったくもう。行きますよ」
「おお、そうか」
そして中川も立ち上がり、五人は舞台へ向かった。
この中には、中川を嗤った者もいた。
やがて五人は順番に沿ってステージに立った。
「来たっ、中川さんや」
客席で阿部が言った。
「中川さん、特技ってなにすんねやろ」
重富が言った。
「中川さぁん、全く緊張してないみたいやなぁ」
「先輩・・一番きれいですよね」
まずは十一番の者が審査員から質問を受けたり、特技を披露していた。
この間も中川は、つまらないとばかりに腕組みをして女子らを見ていた。
やがて十四番の女子が呼ばれた。
この者は、中川を嗤った女子である。
「自己紹介してください」
審査員がそう言った。
「市内から来ました、黒住里香です。十八歳の高校生です。よろしくお願いします」
黒住は深々と頭を下げた。
「このオーディションに参加した理由は?」
「子供の頃から女優に憧れてました。なのでこのチャンスを活かしたいと思い参加しました」
そして次から次へと質問が続き、やがて特技披露の時間となった。
「そしたら特技やけど、なにをやってもらえますか」
「卓球です!」
なにっ・・
中川は思わず黒住を見た。
「へぇー卓球。今も続けてるん?」
「はいっ!クラブ活動に参加してます!」
「これは偶然やなあ」
映画監督が言った。
「堀本さん、どうされたんですか」
審査員の一人が訊いた。
「僕ね、スポーツもんを撮りたいと思ってたんですよ」
「へぇー」
「卓球かあ。ええかもな」
堀本がそう言うと、黒住の顔が輝いた。
ここは見せ場だと。
そしてスタッフが舞台袖から卓球台を運んできた。
なんと黒住は、事前に用意してほしいと依頼していたのだ。
日置は思った。
頼むから、しゃしゃり出るなよ、と。
きみが出れば、合格は決定したようなものだ、と。
「卓球て・・」
阿部が呟いた。
「ほんまや・・」
「中川さぁん、黙って見てるんかなぁ」
「いえ・・先輩のことですよ・・」
重富らも心配していた。
そして黒住は、用意されたラケットとボールを持ち「相手、お願いします」とスタッフに言った。
事前に頼まれていたスタッフもラケットを持ち、それぞれ分かれて台に着いた。
やがてラリーが始まったが、当然のように「ピンポン」だった。
ポッコーン
ポッコーン
頼りない音がホール内に響いた。
そして黒住は「えいっ」と言いながらスマッシュを打った。
スタッフはボールが取れずに「ありゃりゃ」と頭を掻いていた。
「うーん」
堀本は唸った。
そう、いいスマッシュじゃないか、と。
「きみ、筋がええね」
堀本が言った。
「ありがとうございます!」
黒住は嬉しそうに笑った。
「ほな、黒住さん、後ろで待っててな」
審査員がそう言うと、黒住は一礼して後ろへ下がった。
「じゃ、次の人」
呼ばれた中川は前に出た。
そしてスタッフは台を下げようとしていた。
「よーう、おめー、台はそのままでいいぜ」
「え・・」
スタッフは足が止まった。
「そのままでいいっつってんだよ」
この時点で審査員らは、中川の話しぶりに仰天していた。
なんだ、この変なのは、と。
そして中川は正面を向いて「私は中川愛子だ。年は十六。高校生だ」と自己紹介をしたのである。




