33 素人ではない素人
「きみ・・よう自分のこと素人て言うたな」
瀬戸は森上に打ち負かされ、機嫌を損ねていた。
「え・・」
「僕をからこうたんか」
「違いますぅ・・」
「素人やないくせに、そんなん言うんは、相手に失礼やで」
「ほんまにぃ・・素人なんですぅ」
「まだ言うか」
「まあまあ、瀬戸さん」
そこで中島が制した。
「森上さん、ほんまはだいぶやってたんやね」
中島が訊いた。
「いえ・・やってへんのですけどぉ・・」
「でも、今の打ち方、習ってなかったらでけへんと思うんよ」
「学校で習ってるんですけどぉ・・まだ、ほんまに始めたばかりなんですぅ」
「せやけど、弟の世話せんならんて、言うてたよね」
「はいぃ、せやからぁ、朝早くに登校してぇ、一時間くらい教えてもらってるんですぅ」
「ええ~朝に?」
「はいぃ・・朝練ですぅ」
「それ、いつからやってるん?」
「まだ半月ほどですぅ」
「は・・半月・・たった一時間・・」
中島も唖然としたが、瀬戸も秋川も、信じられないといった様子だ。
「ちょっと秋川さん」
中島が呼んだ。
「なんや」
「森上さん、上手いやん。だからここで練習して貰ろたらどないよ」
「うん・・まあなあ・・」
「ぼくのことは、私が見たげるし、柳田さんかていてるんやし」
柳田とは、もう一人の中年女性のことだ。
「きみ、そんだけ出来るんやったら、試合もやってるな」
瀬戸が森上に訊いた。
「試合はぁ、まだやったことありませぇん」
「それ、ほんまか?」
「あぁ・・中学の時にぃ、一回だけ出たことありますけどぉ、ボロ負けしましたぁ」
「ふーん・・」
瀬戸は、何と大人げないことに、森上と試合をして負かしてやろうと考えたのだ。
「1セットだけ、試合しよか」
「えぇ・・試合ですかぁ」
「11点先取でええで」
普通は21点先取だが、瀬戸は、その半分でいいと言った。
そして森上は、仕方なく応じることにした。
やがて3本練習が始まった。
審判は、秋川が務めることになった。
3本練習は、普通はフォア打ちのラリーをする。
したがって、この時点で瀬戸は、森上の威力のあるボールに打ち負けていた。
瀬戸は一瞬、試合を提案したことを後悔していた。
なぜなら、負けるかもしれないからだ。
「弟子」たちを前に、女子高生相手にコーチが負けるなど、恥をさらすようなものだ。
しかも相手は素人だと言っている。
始めてまだ、半月だと。
「ラブオール」
秋川が試合開始を告げた。
サーブはジャンケンに勝った瀬戸からだ。
互いに「お願いします」と頭を下げて、それぞれ構えに入った。
けれども、応用を全く知らない森上は、なんとフォア側に立って構えていた。
普通、ペンの選手であれば、レシーブはバックに立って構えるのが基本だ。
あれ・・この子、ほんまに試合やったことないんや・・
そこで瀬戸は、いくばくか安心した。
そして大人げない瀬戸は、バックから、バックのロングサーブを出した。
森上は、慌ててショートで返そうとしたが、既にボールは後ろへ転がっていた。
「よーし!」
瀬戸は左手でガッツポーズをした。
森上は何も言わずに構えに入った。
瀬戸は、バックからフォアの横回転サーブをバックに出した。
森上はすぐに動いてラケットにあてたが、回転がわかっていない森上は、激しくオーバーミスをした。
やっぱりこの子・・素人なんやな・・
こうなったら瀬戸は容赦なく、ミドル、フォアへと複雑な回転のサーブを出し、カウントは既に5-0で森上はリードされていた。
そして次は森上のサーブだ。
けれども森上は、まだサーブを習ってない。
出すといえば、普通のロングサーブだけだ。
しかも、ポコンポコンという、なんとも頼りないサーブだ。
そう、日置との練習で、サーブを出すのは常に日置だからだ。
それでも森上は、日置の出し方を見ただけで、既に覚えていたのだ。
森上のサーブを、瀬戸は強打した。
そう、決めてやると言わんばかりだ。
するとどうだ、森上は習ったばかりのフットワークを駆使して、それを倍の力で打ち返したのだ。
スパーン!
バウンドしたボールの音が、小屋に響いた。
森上は「サーよし」という言葉を、まだ知らなかった。
スマッシュが決まっても、森上は黙っていた。
いや、森上はスマッシュを打ったつもりはなかった。
そもそも、まだスマッシュは習っていないのだ。
単に返しただけなのだ。
それでも森上は思った。
自分のボールは緩い、と。
なぜなら、使用するラバーは「薄」なのだ。
自身のラケットであれば、極厚なので、もっとスピードが出ていたはずだ、と。
「どんまい!」
瀬戸は大きな声でそう言った。
そして森上は、またポコンポコンというサーブを出した。
すると瀬戸は、バッククロスへ思い切り強打した。
森上は、またフットワークを駆使して、ショートで返した。
これも確実に、バウンドしたと同時にボールをあて、瀬戸のバッククロスにスピードの乗った返球となった。
慌てた瀬戸は、ショートで対応するしかなかった。
森上は、ミドルに入ったボールを直ぐさま動いて、腕を大きく振りおろした。
するとどうだ。
恐ろしいほど回転のかかったドライブが、瀬戸のミドルに突き刺さった。
また森上は思った。
緩いドライブだ、と。
瀬戸は対処できずに、ミスをした。
後ろで観ている中島は、あのラケットは、果たして自分が使っているラケットと同じなのか、と驚愕していた。
使う者によって、こうも違うのか、と。
そして試合は森上が挽回し、10-10の同点となり、デュースに入った。
瀬戸は、何としてでも負けられないと焦り、また複雑な回転のサーブを出して、簡単に1点をリードした。
デュースの場合、サーブは1球交代となる。次のサーブは森上だ。
森上は相変わらず、ポコンポコンサーブだ、
瀬戸は決めてやると言わんばかりに、バックコースへ逃げるようなボールを打った。
森上はフォアに立ってサーブを出しているため、この返球は、さすがに返せなかった。
そして12-10で瀬戸が辛くも勝利した。
「ありがとうございましたぁ」
森上は、特に感情も出さずに頭を下げた。
瀬戸は思った。
この子の言う「素人」はほんとだった、と。
なぜなら構える位置、なんとも頼りないサーブ、そしてレシーブを一球も返せなかった。
けれども、朝練で習っている内容は、素人ではない、と。
そう、この子は、ほんとに始めたばかりで、単に練習時間が足りないだけなのだ、と。
そして森上の、恐ろしいくらいの「可能性」を感じ取っていた。
同時にこうも思った。
次に試合をした時、自分は完敗するであろう、と。
「さすがコーチやな!」
秋川は、瀬戸に気を使った。
「秋川さん」
瀬戸が呼んだ。
「なんでっか」
「この子のいう、素人は、ほんまや」
「え・・」
「嘘やない」
「そ・・そうでっか・・」
「あのぅ・・」
森上が瀬戸を呼んだ。
「なんや」
「瀬戸さんがぁ、出してはったサーブ、教えてくれませんかぁ」
「え・・」
「私ぃ、サーブ、まだ習ってないんですぅ」
「瀬戸さん!教えたって~」
中島が言った。
「うん、わかった。秋川さん、ええよな」
「あ・・ああ・・ええけど・・」
「この子は、育てたら大物になるで」
「へぇ・・」
「あのぅ・・私でよければぁ、ラリーくらいは出来ますんでぇ、相手させてもらいますぅ」
「う・・うん。わかった」
秋川も、やっと森上を練習に参加させることを認めた。
「よかったな~森上さん」
中島は嬉しそうだった。
「はいぃ、これからもよろしくお願いしますぅ」
慶太郎は、次第に中島に懐き、「おばちゃん~」と中島の手を握っていた―――
次の日の朝、森上はいつもより早く登校した。
時間は、まだ午前七時だ。
そう、森上は、昨日教えてもらったサーブ練習をしようと思ったのだ。
森上は小屋の中へ入り、急いで着替えてボールの籠を抱えてコートに着いた。
サーブを出せん限りは・・試合では通用せぇへん・・
ほんで・・レシーブや・・
これも先生に、教えてもらわんとあかんな・・
森上はバックに立ち、フォアの横回転サーブを出していた。
けれども、教えてもらったのが瀬戸レベルでは、「横回転出します」と、みすみす相手に教えるような出来だった。
これではダメたとわからない森上は、次から次へと出し続けた。
ガラガラ・・
そこで小屋の扉が開き、「森上さん、早いね」と言いながら日置が入ってきた。
「先生ぇ、おはようございますぅ」
森上はボールを出すのを止めて、そう言った。
「なにしてたの?」
そこら中に転がっているボールを見て、日置はそう訊いた。
「サーブ練習ですぅ」
「え・・サーブ練習?」
日置は、当然、驚いていた。
「はいぃ」
「どんなサーブやってたの?」
「横回転ですぅ」
「え・・それほんと?」
「はいぃ」
「やってみて」
そして森上は、サーブを出した。
「ああ・・」
日置はそう言いながら、森上の横に立った。
「そのサーブもいいんだけど、それが通用するのは、一回戦や二回戦だけ」
「え・・そうなんですかぁ」
「まず、構えてる時点で、横回転を出しますよって、相手にわかるの」
「へぇ・・」
「それ、誰かに教えてもらったの?」
「はいぃ・・町内に卓球クラブがありましてぇ、そこへ行ったんですぅ」
「おお、そうなんだ」
「ほんでぇ、コーチがいてはってぇ、その人に教えてもらいましたぁ」
「弟さんは?」
「はいぃ、弟も連れて行ったんですぅ」
「なるほど、そういうことね」
「ほんでぇ、これからそこで練習することになりましたぁ」
「うん、一球でも多くボールを打つことは大事だから、とてもいいんだけどね」
日置は、どこかしら否定的な言いぶりだ。
「そこで打つのは、僕が教えたこと以外は習っちゃダメだよ」
「どうしてですかぁ」
「きみは初心者だけど、呑み込みが早い分、変なクセがつくと困るからね」
「そうですかぁ」
「応用が出来るようになると構わないんだけど、まだ基礎段階で初心者の間は僕が教えたことだけをやること」
「そうですかぁ。わかりましたぁ」
「僕、一度、ご挨拶に伺うよ」
「えぇ・・、そんなん、悪いですぅ」
「なに言ってるの。教え子がお世話になってるのに、知らんぷりなんて出来ないよ」
「そうですかぁ」
「さて、今日もフットワークね」
そしてこの日の練習が始まった―――




